これ等は岩手県御所野縄文博物館で展示されていた遮光器土偶ですが、パッと見ただけでも色んな遮光器土偶がありますよね。
以前青森の遮光器土偶についてブログで上げた時、
「遮光器土偶は青森より岩手の方が遥かに出土しているんですって」
ってなことを書きましたが
本当に沢山の遮光器土偶がございましてビックリしました!
て事で本日は、眠らせていたブログを再更新したいと思いますね!
前回は“誤爆”訂正更新で本日はupしないままになっていたネタの再投稿をすると言う、なんともブログの大掃除みたいな事をやっておりますがw
今年はね~
クリスマスも正月も一人で過ごす事となりそうですので
「ちょっと変わった年末の過ごし方をしようかな~」と画策していて
やれる事は今のうちになんでもかんでもやっちゃおうかな!って気持ちになっているんですよね!
なんかさ、
こうして振り返るとあっという間でしたよね~、2022年も
今年も残りあと二か月となりましたが、
昨年の今頃ブログで
「このまま何もなく終わればいいのですが」と、書いた後に地獄見ましたからね~・・・
残り僅かではございますが、
気を引き締めて邁進していきたいと思いますね!
って事で、話を遮光器土偶に戻しますが
実はね。この博物館にあった数ある遮光器土偶の中に、
こんな変わった遮光器土偶があったんですね。
「遮光器土偶は男女一対の存在」
「男女の区別がない」
等の説があるのですが、
この土偶を見ると遮光器土偶はやはり女なのかしら?と、思わされるんですよね~
だってね、
この遮光器土偶、口の周りにぶつぶつがありますよね?
土偶のブツブツ模様は「毛」を表しているのではないかと言われているのですが、その説から考えると口周りにあるブツブツは「髭」って事になりますよね?
それにスタイルから見てもこれは男性を模して造られたってことは明白ですから、遮光器土偶はちゃんと男女区別して作られていたって事になるんじゃないかと思ったりしたわけですよ。
まぁ答えがでない分
あれこれ言い出したらキリが無いんですがw
遮光器土偶の存在に関する独自の考えにつきましては後程やらせて頂くとしまして、
先ずは御所野遺跡について簡単にご紹介しますね!
御所野遺跡は御所野公園としてその中にあるのですが、博物館もその園内にあります。
下の地図全体で御所野公園となっているのですが
赤丸で囲っている部分が博物館です。
駐車場からトンネルをくぐって公園へ入るのですが、この公園っと素敵でございましてね!
トンネル内も縄文イズムとなっていて、潜っているだけでワクワクしてくるんですよ!
で、
御所野縄文博物館では目玉とされる展示物が三点ありまして
一つは縄文ボインと呼ばれる3500年前の土偶と
二つ目に2300年前の鼻曲がり土面
そして、三つ目に人体文土器の破片
羽付き縄文人があるのですが
この羽付き縄文人を見た時わたくしとある物を思い出したんですね。
それが、フゴッペ洞窟にあります
有角人・有翼人の壁画です。
画像リンク元 : 余市町役場
フゴッペ洞窟は北海道の余市町にあるのですが、有角人ってのは単純に角を持っている人、有翼人は羽を持っている人達ってことなのですが~、だからと言ってそれが何を意味しているのか、どんな人達なのかは今もって謎とされているのですね。
推測としては
羽付き縄文人と同じく宗教的なもの説、都市伝説的には「宇宙人」説なんかも囁かれているのですが
「有角」「宇宙人」「おっぱい」って意味では、
熊本県のチブサン古墳からも壁画が発見されています。
時期的に言うとフゴッペと同じ1600年くらい前のものになるようなのですが、御所野遺跡の出土物とも近しいものがありますよね~
この壁画を見る限り
「角」ってよりは頭に何か装飾した人が星に祈りをささげている図にも見えますので、共通点からも見る限り、これらの表現はやはり祭祀的(シャーマニズム)なものなのかもな~とも思えてきます。
因みに、チブサン古墳の名の由来は壁画に描かれているものが乳房に似ている事からだそうですが
またおっぱいかぃ!!
と、言いたくなりますがw
胸は女性の象徴ですからね~。
これも女神崇拝の表れの一つだとは思うのですが、それならばこれらの習俗がどこから始まって、どうやって広がっていったのかが今わたくしが一番興味を持っているところなのですよ!
今回の話しだけで考えると、
時期的に御所野遺跡が一番古いので「御所野が発端かなー」と思いがちですが、発表されていないだけで西日本も興味深い発見が沢山ありますからね~。
旧石器は縄文より遥かに長い歴史がありますので、それを念頭に入れたら安易に答えは出せないところではありますのでね、これからもアンテナを建てながら、今後も日本の原点を探り続けていけたらと思っておりますよ!
と言う事で!!
先に宣言しましたが!
個人的に遮光器についてどー思っているの???
と、言いますと
遮光器土偶はアラハバキ神説が一番好きなのでございますよ!
この件について語りだすと猛烈に長くなってしまうので今回はちょっとだけにしますが
今回の話だけを絡めて言わせて頂きますと、
フゴッペ洞窟近辺で遮光器土偶に似た土偶が発見されているんですね。
遮光器na駅でも書きましたが、
わたくしね、土偶は「嫁入り道具みたいに自分の村から次移る村に、自分の集落の土偶を持って行った」って文化があったんじゃないかなーと思っているんですよ。
なのでね、
羽付き縄文人を見た時、フゴッペ洞窟付近の縄文人(もしくわアイヌ人)と御所野遺跡の縄文人との間に嫁婿交流があったのだとしたら、互いの影響を受けている筈だから余市から遮光器土偶が出てくるはずだ!
と、思って調べたんですよね。
そしたら、これがビンゴ!したってわけなのですよ!
しかもフゴッペ洞窟のすぐ近くでですよ!!!凄くないですか?w
って事はだね
やっぱ岩手からフゴッペ付近に嫁いだか婿入りした誰かが、自分達の象徴である「神(遮光器土偶)」をこの集落に持ち込み、そして余市の何かしら信仰している神と和合して新たな神を作りだしたのが上の土偶で、この村ではその後、この土偶を神と祀り伝えて行ったのではないかなー・・・とか思ったりしているんですよ。
そしてその祀り方ってのが壁画に描かれているそれであり、有角・有翼は装飾した村人の姿で、土偶が多様化しているのも集落の個性と融合があっての事で、各地でも様々な土偶が出土しているんだろうなー、と考えるのです。
何せ「和の国」ニッポン!ですからね!!
他の文化を取り入れていく懐の深さは、こうして古の時からあって、今も日本人の精神に根強く染みついているのではなかろうかと思われるのです!!!
うん。それは分かった。
でもだからなんで
遮光器土偶=アラハバキ神ってことになるの?
についてはですねw
個人的にずっとアラハバキ神にはアイヌエッセンスが含まれているっぽいよな~って感じていたんですが、その片鱗が今回、フゴッペの一件により個人的には解決したってのがあるんですよね!
それは土偶や壁画だけにとどまらない別ジャンルのエッセンスなので、もう少し詳しく調査してから発信しようと思っているところなのではございますが、何せ最近バタバタしておりますのでね~、中々勉強まで至っておらぬ状況なんですよ。
ホントはね、有角人についてもっと突っ込んでやりたい事もあったのですが
東北方面の話もまだ終わっていないですからね~w
ワンピも伏線回収しているっちゅーのに、
わたくしはブログ掃除も済んでない有様ですからねw
相変わらずっちゃー
相変わらずですが
頑張りますねっ!
(。•ω<。)وテヘペロ
と言う事でございまして!本日は!
旅の途中で唐突に向かった
岩手の御所野遺跡と遮光器土偶についてやらせて頂きました!
年内、もう一回東北の旅もしたかったんですけどね~
今年の雪は早まりそうだと今日聞いたばかりなのでやっぱ無理かなーと思ったりしています。
近頃はこっち側も大分寒くなってきましたからね~
皆様も風邪などひかぬ様お気を付け下さいましねっ!
それではっ
本日はこの辺で
ばいっ!