良い記事があったので、紹介します。

西野神社 社務日誌
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20110819

戦後中学校での歴史の授業や高校での日本史の授業で使われている教科書には、一部の例外を除き、日本神話については全く触れられていない事が多く、その他の科目の授業でも神話について習う機会はほぼ皆無なので、戦前・戦中であれば考えられない事でしたが、近年子供・大人を問わず古事記日本書紀の内容は全く知らない、という人が増えています

記紀の内容は、あくまでも、それを専門に研究している学者や、神職を始めとする神社関係者、熱心な氏子・崇敬者さん達が知っていればよい事であり、大多数の国民は知らなくてもよい、という事なのでしょうか。日常生活於いて、神話の内容を知らないと困る事、支障を来す事というのは無いのでしょうか。そもそも、神話を知る事、学ぶ事の意義とは何なのでしょうか。

以下の文章は、上智大学名誉教授で、英語学者、文明批評家渡部昇一さんが著された『日本の歴史 第1巻 古代篇 現代までつづく日本人の源流』という本から転載で、日本史における神話の意義、という視点から、日本人として自国の神話を知る事、認識する事の重要性が語られています。ちょっと長い文章ですが、なかなか興味深く、しかも判り易い内容で、なぜ神話を知らなくてはいけないのか、という問いに対しての一つの回答例になっています。


▼▼▼ここから転載▼▼▼

戦後、『古事記』『日本書紀』(「記紀」と並称される)の記述を信用する人は少なくなったよう だ。まして神話時代などは荒唐無稽のものとされ、そのかわりにもてはやされているのが考古学である。記紀があまり読まれなくなった一方、“古代史ブーム” とかで、吉野ヶ里遺跡(佐賀県)や三内丸山遺跡(青森県)などは観光客でにぎわっているようだ。

日本史も考古学から始めるのが一般的になっている。岩波書店から刊行されている『日本史年表』 (第四版第八刷 二〇〇八年)の天皇の記載が第二十六代継体天皇からであることが雄弁に物語るように、教科書の記述も「旧石器時代」「縄文時代」「弥生時 代」「古墳時代」というように始まり、神話はいっさい無視されている。また、記紀よりはむしろ、シナの書物に日本がどう書かれているかが問題にされ、卑弥 呼や邪馬台国などに注目と関心が集まっている。

戦前の歴史の代表的なものの一つに萩野由之博士の『日本史講話』がある。これは萩野博士が東京 大学で行った講義をまとめたもので、大正九年(一九二〇)に出版された。総ページは一〇一八ページ(索引が七五ページ)。そのうち、一ページから一八ペー ジまでの第一章で、神代の時代を扱っている。こういう神話があったということを、簡単にではあるが、きちんと述べているのである。

神代というのは、『日本書紀』でも「巻第一 神代上」「巻第二 神代下」として「神話時代のこ とだ」とことわっているわけだから、たしかに「歴史時代」ではないのだが、そこには古代の日本の歴史を髣髴させる重要な事柄が含まれている。戦前の日本の 史学界と現代のそれとを比べて、戦前のほうがすぐれていると思わせられるのは、神話を歴史と関連づけている点にある。大学の歴史の講義をまとめた本でさ え、たとえ短くても一章を設けているのだから。この点が重要なのは、日本のその後の歴史に神話が大きく関係してくるからだ。神話こそ歴史の原動力となった と言っても過言ではない。

たとえば、藤原氏と天皇家との関係である。ご存じのように、藤原氏は平安時代に栄華を極め、藤 原道長(九六六~一〇二七)のごときは三代の天皇の外祖父(母方の祖父)にもなった。しかし、それくらいなら、なぜ自分が天皇になってしまわないのかとい う疑問が生まれるが、その根拠が神話にあるのだ。

藤原家の先祖である天児屋根命(あめのこやねのみこと)は、天照大神(あまてらすおおかみ)が 天岩戸にこもってしまったときに、岩戸の前に祝詞をあげた神であり、天孫降臨のときには瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に付き従ってきた神でもある。つまり、 神話の時代から藤原氏は天皇に仕える家であると決まっているのである。その意識があるから、藤原氏の権勢がいかに強大になろうと、自分は天皇になろうとし ない。自分の娘を天皇の后(きさき)にするのが精いっぱいなのである。

また、武家として最初に日本を治め、守護・地頭という日本支配の制度を敷いた源頼朝も、ほかの 国ならば当然、新しい帝王として君臨するはずだが、日本の場合、そうはならない。第五十六代清和天皇(在位八五八~八六七)から分かれた源氏(清和源氏) の嫡流である頼朝には、神話時代から続いている皇室の系図に対し、「自分は天皇家の皇子の子孫であるから本家を侵してはならない」という意識が働くからで ある。その後の日本の政治の実権を握った足利幕府にも、豊臣秀吉、徳川家康にも、その意識は脈々と引き継がれていくのである。このように、神話というもの がなければ、日本の歴史の背骨にあたる部分は変わっていたはずだ。日本では歴史時代の人々も、神話を意識し、その流れにしたがって行動していた。そのこと を忘れてはならない。

もう五十年以上も前のことになるが、ドイツへ留学した折、現地の家庭にしばしば招かれることが あった。そういうときにはドイツ人に対してお国自慢をしたくなるものだが、当時の日本には自慢できるものがほとんどなかった。同じ敗戦国でありながら、ド イツの復興は非常に早く、生活水準が日本とはまるで違っていた。(中略)ところがあるとき、こういうことがあった。

「きみの国では戦争中、天皇という方がいたけれども、いま、どうしているのか」と聞く人がいたので、「戦前も戦中も戦後も、同じ方が天皇でいらっしゃいます」と答えたら、その人が非常に驚いたのである。私はそれにヒントを得て、こういうことを言った。

「トロイ戦争のときのギリシャ軍の総大将であったミケーネ王アガメムノンは、人間の世の時代の 王ですが、アガメムノンの系図をたどると、その祖父の祖父あたりがゼウスの神になります。もしもゼウスの血をひくアガメムノン直系の王家が現代もギリシャ に続いているとすれば、それは神武天皇の直系である日本の天皇家と同じことになります」と。すると、本当に誰もがびっくりするのである。

神話の時代から王家が続いている―これは文明国ではとっくに失われた現象で、ギリシャでも神話 の時代は途絶えてしまっている。世界に類を見ない日本の歴史の特徴は、神話の時代に根を持つ王朝がいまも絶えることなく続いているということなのである。 それは、神話の持つ意味が「ほかの国の神話とはまるで違う」ということにほかならない。ほかの国の神話なら、歴史時代以前だからといって切り捨てることが できる。むしろそんなものを歴史に入れたらおかしい。しかし日本の場合は、神話を省いてしまうと日本の歴史のいちばん中心にあたる部分が理解できなくなっ てしまうのである。

▲▲▲ここまで転載▲▲▲

続きは、西野神社 社務日誌


日本と言う国のは本当にすごい国だと思います。
こういうことをなぜ?学校で教えないのか不思議でなりません。