お疲れ様ですあじさい

 

 例年より2週間以上遅れで、昨年からだと23日遅れな梅雨入り。こりゃ来月はまた異常気象なのだろうか汗という不安もあるが、今年は春が長くて夏花が梅雨前にしっかり根はりしてくれて嬉しいガーデニング2年生。

 

神社仏閣巡りの記録
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 若い頃は、そんなに好きじゃなかった紫陽花を年々好きになる。梅雨のどんよりした街の中で、雨に濡れ咲き誇るその風情に思わず足を止め、何十枚も写真を撮るカメラ

 

 日本生まれであり、日本人に愛されている紫陽花にも不遇の時代があったことをご存じだろうかはてなマークガクアジサイは、古から自生していた品種で万葉集(奈良時代)にも記録があるのに、人気の程はイマイチ時代が続く。平安の世を代表する『枕草子』『源氏物語』「古今和歌集』などには、1mmもでてこないという人気のなさよ。

 

 【雨といえば紫陽花】と、やっとこさブレイクしたのは、太平洋戦争後。苦節約1200年あせる好きにならずにはいられない。

 

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 「紫陽花が綺麗なところがいい」と、夫と奈良へドライブをした休日。

 

 黄色い花奈良、滋賀の神社仏閣は、ほぼ全て網羅している夫が行ったことがない神社で、紫陽花が咲いているということで、1つ目にエントリーした「源九郎稲荷神社」

 

 日本3大稲荷の1つであり、大和大納言・豊臣秀長が郡山城の鎮守として創建した通称大和の源九郎さん。

 

 源九郎とは、文楽・歌舞伎「義経千本桜」にでてくる源九郎狐。義経が兄の討手を逃れ吉野へ落ちのびた際、佐藤忠信に化けた白狐が側室静御前を送り届け、義経と静を守り抜く。狐であることを義経に見破られるも、静愛用の鼓が両親でこさえられていたことから深い思い入れがあり、忠信に化けていたと申す白狐。義経は、その想いに同情し守りぬいてくれたことに感謝し、自分の名である源九郎を与えた。それが社名の由来となったとされる。

 

 夫の腎臓も守ってくださりそうではにゃいか。知らんけどオカメインコ

 

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 宝珠を巻いて、笑顔なのが珍しい。

 

「宝珠に触れれば金持ちになり、巻物に触れれば賢くなる」との言い伝えがあるとのことで、巻物を撫でまわしてきた次第。

 

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 黄色い花2つ目は、「慈光院」 

1663年、大和小泉藩主片桐貞昌が亡き父の為に建立。片桐貞昌は、片桐且元の甥で石洲流茶道の祖。なので、お茶付き拝観。

 

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 きのこ幼少のみぎりより、あだ名はキリン。口は悪いが姿勢はいい。現在は、キノコと徹子とキリンである。どれもわりとお気に入り。

 

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 1ミリも趣味があわない夫が、「この石畳の道が凄く好きなんや」といったので、わざと声を張って「私も凄く好きアップうちの庭もこんなしたいアップ」と言うたら、「ええな」と言うたことをここに記録しておく。なかったことにせぬように指差し

 

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 芽葺き入母屋造りの書院は、簡素な中にも風格と趣きがある。渋さたまらぬ目がハート

 

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 竹林院、當麻寺中之坊庭園と並び、大和3大庭園と賞される美しい枯山水庭園を愛でながら時を忘れ、茶をすする。

 

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 黄色い花3つ目は、お地蔵様と紫陽花の「矢田寺」

 

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 日本最古の延命地蔵菩薩を安置している。天武天皇がまだ大海人皇子であられた約1300年程前、壬申の乱の戦勝祈願の為矢田山へ登られ、即位後に七堂伽欄48か所坊を造営したのが、山の開基。

 

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 お地蔵様は、子供を守る仏様であると思われているが、元来は仏教が生まれるよりもずっと前に、信仰されていたインドの「大地の神様」が起源であり、「地上に存在する全ての生命あるものの全てをやしなってくださる者」という意味を持っているらしい。

 

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 お地蔵様の多くは、右手に杖、左手に如意宝珠を持たれているけれど、こちらのお地蔵様は、右手の親指と人差し指を結ばれた阿弥陀如来のようなスタイルで【矢田型地蔵】と呼ばれており、阿弥陀如来と地蔵両方の功徳を搭載されておるはずという言われがあるのだとか。

 

 毎年開花のタイミングに合わなかったので、開花真っ只中にテンション爆上がりアップ

 

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 神社仏閣巡りが趣味になったのは、紛れもないババァになった故なのかもしれないが、世界中の偉大な芸術家や小説家が晩年になると、静かな場所へ隠居して森や山を散歩しながら思想を深めたのが今ならなんだか凄くわかる。本堂までの山道を歩いていると、いつの間にか無心になり普段とは違う思考になったりして、新しいイマジネーションが巡りそうな気ぃがしてくるから。こんな私とて知らんぷり

 

 松下幸之助も本田宗一郎も、神社参拝を日課にされていたそうだし、決してババァの趣味なだけやない。非日常に触れたほんの一瞬でも、心を無にすることって大事なんだなぁ~と思うわけ。そんな心のリセットがきっかけで、思いがけぬアイデアが閃くようなら何よりのご利益や思う。というわけで、神社仏閣巡りの趣味は続く乙女のトキメキ

 

 前世があさり売りだった件

 

 妙にくっきりした夢だったので、いつか暇を持て余してこれを読むかもしれない老後の自分へ捧げるべく記録してみる。

 

きのこ「私はね、中国であさりを売っててん」

 

 場末の酒場で酩酊した夢の私は、予想外の前世を語りはじめた。

 

きのこ「道端の露店でね、当初は野菜を売っててん。せやけど野菜って自分で育てなあかんから難儀でしょ。その点あさりは勝手に育ってくれるから」

 

ちょうちょ「へぇ、楽やねんな」

 

きのこせやねん。私は砂を掘るだけでいいねん。イマジネーションで野菜からあさりに転向してん」

 

 前世でも、そのような横着をしておったのかと苦笑。

 

ちょうちょ「ほんで、あさり売れたんはてなマーク

 

きのこ「そうでもない」

 

ちょうちょ「生活は苦しかったんはてなマーク

 

きのこ「貧乏過ぎた。しかもな、私があさりを掘っている砂浜に、潮干狩り客が押し寄せるようになって、素人にも荒らされて、全然採れなくなったの」

 

ちょうちょ「それは難儀されたね」

 

きのこ「うん、生活の糧だったしね」

 

ちょうちょ「ご主人はみえたんはてなマーク

 

きのこ「いた。顔はハンサムなんだけど、1mmも働かなくて私が食べさせてた」

 

ちょうちょ「あさりを売ってね。で、結局どんな最期を遂げたのはてなマーク」※夢ながら唐突汗

 

 貧苦の末に野垂れ死んだか、働かぬ男に骨の髄まで毟り取られて自害したか、と思いきや

 

きのこ「あ、あのねぇ、普通に死んだよ、老衰で」

 

 わりと地味な最期であった。

 

きのこ「あさりを掘って売るだけの人生だったわ」

 

 と、夢の私は着地した。そして私は、ハマグリは好きだけどあさりはそんな好きやないことに、こんな前世との因縁があったことを知った泣き笑い特に前世なるものを信じてはいないのだが、滞在意識のどこかに、あさりを売るだけの人生を遂げる物語があったことが意外で面白かったので記録してみた話を終わります。

 

 

 最後までお付き合いいただきありがとうございました。ほなまた、いつかまでうさぎクッキー