お疲れ様です。
初夏の空が余りに青く澄んで絹みたいに光るから、少々自分が後ろめたい。いつの頃から澄まなくなったのだろう。いや、そんなネガティブやなくて青い空なだけで幸やな、とは思っている。幸せってちょろい方がきっといい
窒息恐怖症
職場の健康診断で追試になったHが、人生初上部内視鏡検査を受け、午後から出勤してきたのだが、内視鏡ハイ気味で普段の更に3倍饒舌だった。
例のドロドロを飲まされ、あのぶっとい筒状の物体を口から体内に侵入させられ、余りにしんどくてオエッとなると、矢継ぎ早に麻酔を打たれただとか語った。何だか猥談みたいだけど、そうじゃないから、だとも説明していた。
胃カメラは年々小型化されており、現在では小さなカメラを仕込んだカプセルも保険適用になっていて、飲んだカプセルが胃の中で溶けたら、遠隔操作でカメラを動かし胃壁を検査するカプセル内視鏡検査などもある。胃液で溶けてしまうので取り出す必要もない。ミクロ決死圏のような感じだが、鼻腔が狭くて鼻からの内視鏡検査には向かないそうで、カプセルに縋りたい思いはある。
「カプセルって、どのくらいの規模なんやろ」
「カプセルって言うんだから、風邪薬程の規模じゃない」
「それならええけど。チュッパチャプス程になると難儀なるわ」
「どうかなぁ、案外あの位の規模はいくかもね」
チュッパチャプス程のカプセルが喉に詰まったら、確実に死ぬと思われる。大至急Google先生に問うたところ、長さ約26mm、直径約11mmというサイズ感で安堵した。
だいたい私は、オエッとなりやすい。うがいをしただけで、オエッとなるときがある始末。昔、矯正をしていたのだが、歯型をとるのが毎回恐怖でしかなかった。一度など、歯型をとっておる最中にどうにも耐えられず、口内を満たすスライムみたいなゴムを剥ぎ取って、父に「殺す気か」と毒づき涙目で診察椅子にへたり込んだ
しかし、不思議なのは1mmもオエッとならない方もみえる事実だ。歯型を取る時も、嬉々としてスライムみたいなのを歯に塗りたくられている方がいて、なんとも理解しかねると思った。Hによると隣の検査台には、苦しむわけでもなく粛々とごっくんしてみせた男性がいたそうで、強者というほかない。
この差はなんなのだろう。口の大きさや喉の太さなどの物理的なものなのか、心構えなどの精神面なのか。
そう考えてふと思いあたったのが、以前ダイビングをしたときのことだ。経験もないのに、急に船で沖合いにつれ出され海に投げ込まれるという、荒行めいたダイビングだったのだが、しんどかった脳裏に窒息死という事態が過ったのは、歯型のとき以外では、このときの荒行ダイビングの時だ。なのに、一緒に投げ込まれた従姉妹はクラゲのように優雅に海を漂っていた。半ば殺意に似たものを覚えた。
私のえずきやすさは、自分にとっての異物、異世界を拒絶せんとする頑なさから来ておるのではないか。もっと大らかな気持ちでリラックスして、胃カメラ、歯型、海中散歩と何でも受け入れ、楽しむべきではないのか。
そう反省するのだが、逆に、何でもオエッとならずに飲み込めるというのも、恐怖に対して鈍感すぎる精神のなせるわざやないかと思ったりもする。無論、オエッとならない方へのやっかみである、という話を終わります。
帰省
久々に両親在宅時に帰省した。3連休を取るために鬼残業をするのは、強制ではなく勝手にしていることやのに、ブツブツ愚痴る自分のしょぼさを何とかしたい。
寺だらけの街は桜が散っても、「ここはどこの国やねん」となる多国籍な方々に溢れ、「なぜにその店にそんな行列が
」と小首かしげる。SNS強っ。
円安なことも大きな理由だろうけれど、「京都へ行きたい」と思っていただくのは、大変嬉しいことや思う。しかし、訪れた方々は、これが思い描かれた京都の姿なのだろうかと、薄く不安にもなる。
日本人よりも圧倒的に他国の方で溢れ、ぎゅうぎゅうな街を散策して、満足されているのだろうか・・・。こんなに騒然とした中で、庭園の侘びさびとかにまったりしてられへん思うねん。京都府の案件か国の案件なのか、わかれへんけど。まぁでもハワイへ行っても似た感じか
修学旅行でしか京都へ行ったことがないという他支社の友人に、いつでも案内するねと約束して早4年。4年越しの約束の為に、わざわざ合わせて有給をとってくれた。JRの快速で移動するので、新幹線ホームで待ち伏せして驚かせるはずが、席を立つ前から見つかっていたらしい
竹林って、足音しか聞こえない違う世のような静寂な場所なのにフェス会場みたいだった。
人力車の通路は、わりと静寂。ちょっと掃除がしたくなるガーデニング2年生。
女子で賑わっていた「野宮神社」
古のころ、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王が伊勢へ行かれる前に、身を清められたところとされ、「源氏物語 堅木の巻き」に美しく描かれている。
列の横から参拝方法を熱心に観察していたフィリピン女子3人組が、背筋を正し2拝、少し掌をずらして2拍手、また背筋を正し深く1拝される姿に、胸あつなると共に「こんなぎゅうぎゅうじゃ遠方から来られても、厳かに参拝なんてできひんやん」と思っていた勝手さを恥じた。ご本人次第やのにほんま恥ずかしい。
竹林でUターンされる方が多いし、小倉山中腹にある「常寂光寺」まで行くとわりと疎ら。太い角材を格子に組んで造られた山門は江戸後期に作りかえられたもの。閉門しても墨色に塗られた角材の格子の隙間から参道が見える開放的な山門である。
境内図を確認されていたご家族の膝下の長さに驚愕していると
「階段は何段くらいあるのですか」
と、話しかけられ
「急な階段の他に、緩めの階段と階段のない坂道が選べます。」
的な英語で説明したのだが、「何段か」を知りたかったようで
「清水寺の3倍くらいかな」
と一か八かでいうたところ、満足されたようで山門をくぐられた。
個人的に「天龍寺」より、静かで好き。苔生す石段や石畳が続く何ともフォトジェニックな寺である。
縁側に座り、30分程慶長年間へタイムスリップ。というか寝落ち。
静かなので、二尊院を経由して渡月橋へ戻る。
何回目でも、1啜り目はピキッとなる。数年ぶりに神席に当たり高まった
食後なのに、可愛さに負けてうさぎパンを買う。
車内で、志津屋のあんぱんを食べながら来たというのに。パンの消費全国1位が京都であることは、余り知られていないけど、パン屋が多めや思う。
最後に、想い出の寺「法輪寺」を参拝。観光客は少なめだが「枕草子」にて、京都の代表的な寺院として挙げられ、本尊のご利益は「今昔物語」にも描かれている。
古より、数え年13歳になった男女が、成人の儀礼として法輪寺参りをしたことから、多分にもれず私も13歳のときに、厄難払いをし祈願をした。智恵を授けて下さるという虚空蔵菩薩様・・・授かる機会は未だでしょうか
「難波より 十三まいり 十三里 もらひにのほる 智恵もさまざま」
さまざまか
かなん話
既に3万歩近く歩いているというのに、まだ鞍馬まで行くという友人一旦と別れ、タクシーに乗った。
朝9時から30分程の手術を受けた母。付き添う為に帰省したくせに、無事に終え病室に戻り(1泊入院)深酒したように、ぐっすり寝ているのを見届け出てきた。夕方、仕事を終えた父と説明を受ける予定を忘れちゃいないが、既に4時半ええ年になって、こんな日なのに怒られるわけにはいかぬという勝手な理由など、当然運転手さんは知る由もない。
病院名を伝えたのだが、5月から転職された方らしく道順がおぼつかないというので
「カーナビで入れて下さい」
というたところ
「搭載されてるけど、壊れてるんですよね」
だとか仰った若葉運転手。個人タクシーでカーナビが壊れたら死活問題だし、すぐに修理すべきではないかと過りつつ
「…壊れているんですか」
と多大な疑念を込めて問うたら、ようやく口を割られた。
「いえあの、壊れているというか機械が苦手というか」
中曽根元総理のようなバーコード頭で、気の弱そうな年配の男性である。「かなんな、しかし」と思ったのだが、責めたところで仕方ないし、自分でカーナビに行先を入力した。(運転席と助手席の間の物入れにひっそり挟まったカーナビのリモコンを発見した奇跡)
もう安心、これで渋滞しても30分で着くわ、とシートに身を預けるも、全く安心やなかった。この若葉さん、機械の操作ばかりではなく、運転も苦手そうだったのである。
車線を大幅にはみ出しクラクションを鳴らされ、カーブを大曲がりし対向車とギリギリになり、速度は常に制限速度より10キロは遅かった。せやのになぜカーブが曲がれへんねん
「かなんなぁ、しかし」と思った。
私の運転免許証は「殺しのライセンス」と呼ばれている。その私から見ても、「私と代わりませんか」と言いたくなるほどだった。
緊張感溢れる車内で、カーナビが「しばらく道なりです」といった。若葉さんが強めに
「お客さん今なんか言いましたか
」
と尋ねてきた。
「いいえ、私ではなくてカーナビです」
「そうですか。少し音量が小さいですかね」
リモコンで音量を上げた。次にカーナビが「800m先を右折です」といった瞬間、若葉さんは右折した。800m先いうてるやろごらぁ
と心が揺れたが
「曲がるのはまだ先です。戻ってください」
とナビゲーションをした。若葉さんは苦労してUターンをし、まちがい交差点までくると左折しようとしたそれじゃ、元来た道を逆走してまうやないかい
機械が苦手で運転も苦手で方向音痴。どのような経緯で運転手になられたか不明だが、運転手としての適性に致命的に欠けていた気ぃする。
やっと目的地に着き、「領収書を下さい」というたら、やはり領収書の出し方がわからず、まごまごされていた。その間にメーターが上がった。
「あ、メーターが・・・」
と指摘した声は聞こえぬようだった。メーターが上がった料金をおとなしく払い、タクシーを降りた。
気弱そうな風情は、乗客に文句を言わせないための偽りなのかもしれない。その偽りに対し喧嘩をふっかけられなかった私は、正真正銘の気弱なのか気弱合戦に勝利したわけだ。「貴様の弱さなど、私の気弱に比べれば塵のごとし」だとか誇ってみるも、むなちい
「かなんな、しかし」と思った。
担当医が多忙で、説明には余裕で間に合ったのだが、こんな日に散策に行くなんてと小言は言われた。でも、色々充実した一日だった、たぶん
希少冷や麦
昨年も珠さんにいただいた、もちもち冷や麦が今年も届いた。生麺と乾麺の間のような希少な麺は賞味期限が短い。だが、揖保乃糸よりも更に悪魔的美味しさなので、どんどん入る。帰省する前だったら実家に少し持って帰ったけど、誰にもあげずに食べている。幸せなお裾分けに感謝である
大河の余談
ちょっと道長をかっこよく描き過ぎちゃうのかと、視聴意欲が下降気味だった大河だったが、一条天皇と定子パートに視聴意欲回復傾向にあり。
個人的に、一条天皇は若かりし頃の中村七之助なのだが、塩野さんも麗しい。また気ぃ向いたら大河の感想も記録したい、という話を終わります。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。ほなまた、いつかまで