お疲れ様です。

 

最寄り駅から会社の入るビルまでは、徒歩5分。通りに沿ってずらりと植えられた樹々の若葉の香りがして、その緑色がビル街の空気にもしっくりとにじみこんでいる。初夏やな、と思う時ってこんな時。だとか、しれっと村上〇樹っぽく書いてみる。未だかつて一度もしっかり世界観を掴んだことがないし、作品が醸すヘミングウェイみもそうでもないのだが、あの文体で海外小説を翻訳されると大変読みやすい。文学史上1の作家だとは思わないけれど、個人的に最も読みやすい文章を綴る作家だと思うし、拝みたい才能や思う。あんた誰やねんあせるな話ですみません。

 

揖保乃糸はじめました

 

今季初日、揖保乃糸。やーれん、そーれん、冷素麺。すべるようになんぼでも胃に流れ行く悪魔的食べ物だ。素麺は旨い。せやけど悩み多き食材でもある。

 

1,つゆはどうするか問題。私は、具沢山なつゆが好き。

 

image

 

↑この油揚げ大好き、干しシイタケ甘辛く炊いたん、ナスなどに、薬味も山盛りにする。だが、「具入りなど論外、つゆが死ぬ」という方もあり決着はつかない。

 

2,茹でた麺の盛り付け問題。私は滑りを洗濯ばりにゴシゴシ洗い、氷水にさらしたものを竹ざるに盛り食卓にだす。「それでは麺が干からびる」という方もあるが、素麺は悪魔的食材故干からびる前に完食してしまうので、心配無用。「氷水をはった器に麺を涼やかに浮かべる派」「器に涼やかに盛り、氷を散らばす派」最近だと「素麺流し器派」など様々な流派が存在する。

 

雑談であれば、様々よねでいいのだが、仕事だとそうはいかない。似たようなケースで「雑煮」でもあった。「関西では丸餅を焼かずに出汁の鍋にドボン」、「関東では角餅を焼いて器にいれ、出汁を注ぐ」という認識だったので、関西寄りの原稿で「餅を焼かずに鍋に入れる」という描写をした。すると、長文の駄目だしがきた。

 

社内の関西圏出身者にリサーチしたところ、「食べる分だけ小鍋に移し、そこに餅をドボンする」「大鍋でこさえた雑煮に、一度でたべきる程度の餅をドボンする」「焼いた餅が好きだから絶対焼く」など様々な意見が出たため修正せよと。

 

そういえば鹿児島出身で京都へ婿養子に入った父は、焼いた丸餅をドボンし、角だか丸だか留めぬ程煮込み、母に品がないとキレられていた。

 

様々な食べ方を実践することで、食文化の多様性が生まれるのだが、文章にして伝えねばならぬ時どうも収拾がつかないから、もう細やかな描写はやめて「素麺をたべた」「雑煮を食べた」というシンプル描写で済ませようかと毎回思うという話でした。

 

石山寺詣

 

此度は寄り道ではなく、夫と初夏の遠足。

 

image

 

石山寺東大門は、三間一戸の八脚門、入母屋造、本瓦葺の建物で左右に仁王像を安置している。

 

現在の門は、1190年に建築とされるが、淀殿の寄進で1596年~1615年にほぼ新築に等しい修繕工事が加えられた。軒の組み物に隅を除いて尾垂木がないのが特徴とされる。と、ボランティアガイドの方が丁寧に説明してみえた。

 

どこもかしこも、一体ここはどこの国やねん!?とぼやいてしまう京都とは異なり、異国の方々よりも国産のお姉さま方多しであった。平日とてツアーバスからは、お元気そうな方々がドドドッと放たれスマホでバシバシ📷背後が大渋滞もなんのその、5人組だとそれぞれのスマホで記念撮影をされる。1枚を共有してくれあせると見ていたくせに、全員写真の撮影を頼まれると気さくな笑顔で応じた。

 

image

 

石山寺は、世界最古の長編小説「源氏物語」が起筆された寺院として知られている。紫式部が石山寺で観音に祈り、十五夜の月が琵琶湖に映える様を見て物語の着想を得たと伝わっている。ほんまかどうかはわからないが、月が印象的に描かれる場面もあるし、薄くそんなこともあったのかもね、と思っている。

 

琵琶湖と周囲の美しい景観が生み出した「源氏物語」は、1000年もの間人々の暮らしを彩り、今後も尚途切れることなく受け継がれ、式部ゆかりの地として石山寺に足を運び当時へと想い巡らすのでしょう。そうであってほしいあせる

 

image

 

青紅葉が美しい。こんな道を行くとき、山口百恵さんのあの曲が脳内に流れてしまう昭和世代。「真っ赤なポルシェ」ではなく、「真っ赤な柄シャツ」と変換して歩く一人遊び。赤い柄シャツのお姉さま方とはドラマ館でも一緒で、3回記念撮影係をした。

 

image

 

image

 

古の貴族女子の方々が、逢坂の関を超え打出浜より船に乗り寺へ着き、あれに乗り換えお堂で祈願をされたのかな。数々の女流文学者に霊感を与え、色んな時代にこの地を訪れ文学を紡ぎだしてきはってんな・・・としばし感慨にふけ夫とはぐれた。

 

image

 

image

 

神木は天平時代。石山寺草創当時からの老杉。

 

image

 

image

 

その名の由来になった至るところに突出した天然記念物硅灰石の岩盤に建つ数々の堂宇。

 

image

 

image

 

いよいよ国宝本堂。階段下から見上げ、清水寺本堂の舞台と同じ懸造りであると気付く寺だらけの街杵柄。滋賀県最古の木造建築物とされており1078年に大火で焼失したが、1096年に再建された。

 

image

 

image

 

こんなタバコ屋感覚で綴られてはいなかっただろうけど、美しい本堂で筆が進まれただろうなとは思った。

 

image

 

image

 

本堂では御守りではなく、絵葉書セット(8枚)500円を4セット購入してみた。

 

image

 

日付けも丁寧に書いてほしいものである・・・という心の声が届きませんように。

 

image

 

日本三大名塔の1つとされる国宝多宝塔。バリバリ鎌倉様式なのは真言宗だからなのかな。この見事なまでに均等のとれた構造美よ。装飾がシンプルで低めの化粧屋根と天井、なんと気品に満ちた優雅さをたたえておるのか・・・和風建築万歳。

 

image

 

硅灰石ゾーンを横目に山道を登ると聳え立つ光堂。初夏限定の特別拝観。

 

image

 

image

 

紅葉の時期ではなく、青紅葉の季節限定で公開される光堂のご本尊阿弥陀如来像、旧多宝塔の本尊大日如来坐像、淀殿寄進による如意輪観音半伽象を参拝。

 

image

 

image

 

image

 

image

 

別料金だが、せっかくなので大河ドラマ館エリアへ。キャストの方々のメッセージ付きのサイン色紙などは撮影禁止だったが、こんな字を綴られるのかと意外だったり、がっかりしたり他の方より長居をした。

 

image

 

貧乏着物ではない由里子が迎えます。

 

image

 

五節の舞の衣装に高まる。美しかったわ4話の由里子。

 

image

 

image

 

真ん中に立って記念撮影をされていたが、私にはできなかったタラーあと10歳ババァになったら撮れるのだろうか、などど思っていたら夫がそれまで一枚も撮ろうともしなかった自分のiPhoneを出し

「女子2人と撮ってくれ」と言うてきて薄く尊敬した。

 

image

 

image

 

こんな部屋で何時間も集中して仕事ができるなんて、私にはできひん。

 

image

 

別棟では「源氏物語 恋するもののあはれ展」を開催中。

平安の世の恋を体感できるという企画展。物語の恋を、人気イラストレーター描きおろしイラストやアーティストによるオリジナル楽曲で現代的に表現する試みがされていた。

 

image

 

image

 

image

 

image

 

image

 

来世ではこんな情熱をたぎらせて恋をしたい。ま、別にたぎらせなくてもええかうさぎクッキー

 

参拝後に叶匠寿庵の石山寺店限定の「葛焼き 染筆」をいただくのを楽しみにしていたのだが定休日で叶わずガックリプリン屋もパン屋も定休日。水曜有給はこんなの多し。

 

image

 

カメラ叶匠寿庵の公式サイトよりお借り致しました。

 

image

 

こちらは、5月16日からの夏季限定メニューで、名物石餅がのった石餅かき氷。赤福氷よりも美味しそうな気ぃする。どちらも叶わなかったので、夫の熱望する鰻屋さんでランチをしたがここも大人気、大渋滞でタラーでも、かなりお値打ちで美味しかったので幸せな休日だった話を終わります。

 

image

 

ムダ毛のマナー


T字カミソリで腕毛を剃っていたら刃先が滑って爪にずさりタラー珍しくネイルサロンに行ったばかりだったのでジェルで刃が止まったが、Nさんがクーポンを横流ししてくれていなければ素爪だったわけで、指先が削れるところであった。

 

おそろしい不安T字カミソリではなくムダな毛が。そもそも腕毛などというものが生えていなければ、こんな危険に身を晒されずにすんだのだ。

 

まつ毛や眉毛は鼻毛や陰毛は、「汗や埃などから大切な部分を保護するために生きているのだな」と、わりと納得がいくが、それでいくと腕毛や脛毛は存在意義がやや希薄な気ぃする。胸毛に至っては、「心臓を守るためはてなマークだとしたらなぜ、一部の男性にしか生えていないのか、守るためならばいっそ私にも胸毛をびっくりマーク」と、また困惑と迷宮が深まる。

 

ムダ毛について悶々と考えながら出勤し、斜め前と3つ先に髭が2名いることに気付く。

 

「髭いうのは何のためにあるのはてなマーク

 

と、突然疑問を投げかけた変人な私に対しS(顎髭)はこのように答えた。

 

「自分の場合は、「顎はここまで」と示すためです。これがないと顎と首が同化してしまい、顔がとてつもなくデカく見えてしまうんですよ。」

 

なるほど、そんな境界線のような役割を担っておるのか

 

D(頬から顎に髭)も似た理由だそうで

 

「小顔に見せる為で、頬髭を剃り過ぎてしまうと面積は拡大した顔を晒している自分にいたたまれなくなる。」

 

もう、髭は国境、顔は領土みたいではないか。違うけどニコニコ男性が髭を駆使して、熱心に姑息に小顔を演出していたとは・・・私もムダ毛のついでにT字で眉毛も整えようと無精をかまし、眉尻を剃り落としてしまい、まぬけな柴犬顔になってしまったことがしばしばある。別に柴犬にかけているわけではない。もういい加減、全ての毛をT字でなんとかしてやろうとするのをやめてほしい。

 

思い通りにならぬムダ毛処理について、朝っぱらから我々は嘆きあい語り合った。

 

いっそのこと全身が剛毛に覆われていたらどうだろうか。整え具合によって顔の大きさも腰のくびれも自由自在にできる。理想の体型を体毛(の処理)で得られる。

 

胸の大きさは、谷間と乳下に巧みに毛を残し、シャドウに見せかけることで豊満を演出可。複雑かつ芸術的な体毛処理能力が要求される。絵画的センスとカミソリ捌きを磨かねばならない。とりあえず花後のツツジの剪定でイメージトレーニングをしてみよ。

 

石山寺で終わればよかった気が私もしています。最後までお付き合い下さりありがとうございました。ほなまた、いつかまであじさい