お疲れ様です。
外回り中に見つけた明治生まれのご神木を連写していたら、田舎のポルシェ(軽トラ)にけたたましくクラクションを連射され、「轢かれたいんか」と言われた。咄嗟に頭をさげながら「いいえっ
」と返した。せやけどトントンで1日を終えるはず。大体一日の終わりはそう思う脳になっている、たぶん。そうやないと寝れんなるから。では、また下書きを編集していきます。
妄想用意周到な老後
私の将棋の指し方は次のようである。飛車を縦横無尽に動かし、ついでに桂馬の道もあけておき出動に備える。相手の駒は取れるときに遠慮なくどんどん掻っ攫う。いま駒が増えればそれでええから、先のことは考えへん。そのために、香車を取ったら伏兵に飛車を取られたとか、割に合わないめを見る羽目にはなる。飛車を取られたら潔く勝負を投げる。だって私には角の使い方がよくわかれへんから。
角は斜めに動く。将棋盤の上にX字を描くように動く。この角の動きにお手上げになる。「えいえいえい」と升目上を斜めに動かしているうちに、なぜか軌道がそれて思いもしなかったとこに着地してしまう。相手も「なんでや?将棋知らんのか?」と呆れ顔になる。物体が斜めに移動するというのがどういうことなのかを、ちゃんと認識できていない。
更にいうと、例えば私が後手だったとする。先手が自分の角の右斜め前にある歩を1升動かして、角の動くための道筋を開けたとする。そうすると私はいつ、角が動く道筋をこさえたらええのでしょうか。私の1手目、同じく道を開けようとして角の右上にある歩を1升進めると、次は先手に私の角を取られたうえに成られてしまうんやないのか。あまりにも早過ぎる展開に呆然とするしかない。
そういうわけで、角の動く道を作れないまま対戦は進み、そうこうしておるうちに戦局が白熱してきて角の存在を忘れ、飛車を取られて戦いが終わる。要するに、将棋がめちゃめちゃ弱いのである。
それでも私は小学生の頃、学校のクラブ活動で「将棋クラブ」に入りたかった。ところが見学に行ってみると、「将棋クラブ」には男子しかいなかったのだ。今だったら「ハーレムじゃ」と喜ぶんだが、小学生の社会では男子の中に女子一人というのはかなり躊躇われる。
将棋は泣く泣く諦め「刺繍クラブ」に入った。どうしてピチピチした小学生が、老人が通うカルチャースクールみたいなクラブばかり好んで入ろうとするのか答えは簡単で、ジジババ子だった私は老人的趣味が大好きで、早く老人になりたいと思うぐらい好きだったのだ。
しかし、思春期になると、さすがに趣味が将棋と刺繍という自分が空恐ろしくなり、短歌と俳句を読むことにした。(このころは、詠んではいない)
意図に反してあまり趣味が若返らなかったわけだが、これは相手を必要としない楽しみなので、誰も私が老人であることに気付くまい、というわけなのだ。
今一番習得したいのは、碁の打ち方と三味線である。趣味の傾向が相変わらずカルチャースクール的。どうせなら茶道とか華道とか嫁入り前の娘の習い事系にすればいいものを、楽隠居して縁側で猫と戯れる系になってしまっている。ええねん隠居するのが夢だから。
なんでも碁は、「熱中していたら斧の柄が腐るほど時間が経ってしまっていた」という故事があるくらい楽しいものだと言うではないか。時間を持て余す老人には最適の趣味だ。日がな縁側でゴロゴロすることに飽きたら、支給されたバスの老人パスで市内を巡回して、途中の市民病院で薬を山ほどもらい帰る。帰宅時間を知っていたかのように、碁敵である隣のばあさんが遊びに来ていて、私たちは夜を徹して碁をうつのである。
三味線は「丹下左膳餘話」の喜代三を見て以来、「やはり女は粋に三味線を弾けなあかん」と思うようになった。
以下より、更に妄想老後が加速致します・・・
ば様の私が、縁側でピンと背筋を伸ばして三味線を弾いていると、近所の樋口のじいさん(仮名)がふらふらとやってきて、性懲りもなく結婚してくれと言う。
「いやですわ、私はもう82ですよ。せやけど、そちらがどうしてもって言うぐらいならしょうがない。私は、碁でも将棋でもなんでもござれですねん。お相手してあげましょう。私に勝ったらお申し出を考えてみてもよござんすよ。」
でも、じいさんは昔からテレビゲームばっかりしていたおかげで、碁や将棋は全然できない。かろうじて麻雀はできるというから、隣のばあさんと猫を交えて賑やかに麻雀大会をした。
そうこうするうちに、じいさんの家が道路拡張に引っ掛かり立ち退きを迫られることになり、
「それは酷い。こんな老人から家を取り上げるなんて、一体どうしようと言うんじゃ?」
「うるせぇ、じいさん。老人ホームにでも行け。」
という市の職員の態度に、ついに怒髪天をついた隣のばあさんと猫とばあさんな私。
「樋口さん(仮名)今こそ私たちもキレる時ですよ。」
「うぅ、ワシはショックで脳の血管が本当に切れたかも」
「しょうがないわねぇ、年をとると、これやから困りますよ。」
と、一致団結してクーデターを起こすことを決意。市内路線バスのタイヤを夜のうちにことごとくパンクさせ、交通も麻痺させると市役所に乗り込み、市長を人質に取ってローカルテレビ局を占領。即座に三味線の小粋な音色をバックに、全家庭に向けてクーデターを宣言。駆け付けた警察署長を碁と将棋のダブル勝負であっさりと撃退し、怖いもの知らずぶりを発揮。
何しろ家族もおらず、死刑を宣告されたところで刑の執行前に自然死してしまうような年寄りだ。私達に怖いものなど何もないのであった。ああ、素晴らしき哉(老後の)人生。
などど妄想してみるのだが、82になっても鮪のように動いていそうで仕方ない。ご近所トラブルなく仲良く老後をおくりたいものである。ちなみに、この妄想には「還暦の頃の私」という続編もあるのだが、此度は控えてみる。
引っ越しの宴の戯れ
先日私は、友人の新婚新居へお邪魔をした。いつものメンバーが集結し、友人のご主人も巻き込んで新築マンションの日当たりのいいリビングで宴が繰り広げられた。
そして夜も更け、終電を逃した友人H、締切週をナポレオン睡眠で駆け抜けた友人Ⅿ
、別に帰ろうと思えば帰れた私
がリビングを占領してゴロ寝させてもらうことになった。
ちゃんが毛布を配ったり空調調整をしたりとマネージャのように世話をしてくれる。もう12時間はしゃべり続け、そろそろ寝るべきかなと言う雰囲気だ。ところが、そこで
が大きな話題ぶっこんできた。
はこう言ったのだ。
「あのさ、葬式ぐらいでしか会わない知人がいるんだけど、おじさんで明らかにカツラなのよね。しかも茶髪なの。それで私、一緒に葬儀に参列した人に思わず、【○○さんってカツラですよね
】って言っちゃったの。余りにもわかりやすくて、どうしたらいいか分かんなかったから。そうしたらね、『そうですよ。だってあの人普段はカツラ付けてないから』って。」
「えぇ」(一同)
「えぇ
でしょ。どうやら○○さんは、冠婚葬祭とかの改まった席においてのみ、カツラを着用するらしいの。もう私なおさら、【わかんねえーっ
】て気分になって。」
「葬儀という厳粛な場に、禿げ頭では悪い、と思ったはるんじゃない
」
「でも茶髪なんでしょ
」
と、が疑問を呈した。
「お洒落するときのスイッチになるとか。」
が新たな視点を見出す。
「それにしては一見してカツラと分かる安物なのがわからん。大体カツラというのは、ハゲは恥だと本人が認識しているから着用するものでしょ?なのに分かりやすい安物、さらには冠婚葬祭にしか着用しないというのは、カツラのアイデンティティの崩壊であるとともに、周囲の人間に多大なストレスを生じせしめるんだってば
」
と、苦悩の表情で続ける。
「もしカツラを付けていない時の〇〇さんに遭遇したらどうしたらいいの
【あ、○○さんだったんですか
なんだか印象が違うから分かりませんでした】って言うべきなの?それとも、【○○さん?先日発注した件なんですが】って何も変化などないという顔で会話を始めるべきなの
」
「確かに〇〇さんがカツラをどう認識しているのか、不明なのが薄く難儀やな。それによってこちらの態度も決まってくるのに、帽子と同じで、『今日はお洒落してるな〇〇さん』と受け止めればええのか、日によって着脱しているにも関わらず、それは〇〇さんにとっては、やはりあくまでもカツラであって、触れてはならぬものなのか・・・」
「帽子だったら葬式の席は脱がなあかんでしょ」
とが混ぜっ返す。
「入れ歯的な
」
と、が控えめに呟いた。
「入れ歯と同じなんじゃない
祖母とか家でご飯食べる時は歯茎で噛むけど、外出するときは『口周りのシワが気になる』って総入れ歯を着用したりしていたよ。アデランスイヴでふんわりさせたりとかさ。」
「そんなとは、インパクトが違うんだってば
」
とが吠える。
「んってしていれば歯は見えない。ふんわりウイッグとか髪型の変化という問題じゃないわけ。ゼロなの
そのゼロの部分が「森」になるの。ゼロには何をかけてもゼロのままなのに、何故かゼロじゃなくなるのよ。それがカツラの居心地の悪さの原因なのに、さらにそれを冠婚葬祭の時だけ使用するて。この不条理をどう自分に納得させればいいの
」
「落語やな。落語的不条理やな。」
そこで私たちは、この不条理に打ち勝つために新作落語を作ってみることにした。
「よう、玄さん。この度はまた急なことだったね。」
「寅さんかい。まったくだよ。今年の冬は一段と冷え込むとは思ってたが、まさか大家さんのお袋さんがぽっくり逝っちまうとはねぇ。大家さんもかなりがっくりしているらしいよ。」
「親が先に死ぬのは世の習いとはいえ、心構えもないうちにあっという間。無理もねぇことよ。どれちょいと弔問に行ってこよう。」
「2人は、長屋から連れ立って大家さん宅に行きました。寒空の下、弔問の提灯が寂しく揺れ、普段は賑やかな大家さん宅からも今日は坊主の読経が聞こえるばかり。2人は庭先へ回り溢れた弔問客に混じり、開け放たれた屋敷を除きます。」
「なななっ
」
「なんだいっ、玄さんそんな大声を出して不謹慎だよ。」
「だって、寅さん。あそこで喪主面で座ってるあれは誰だい
」
「大家さんじゃねーか大家さん。」
「んなわけがねぇ
大家さんは自分でお経をあげてもおかしくない、まばゆいハゲだ。なのに今あそこに居るのは、夏山もかくやとばかりにふさふさと繁らせた人じゃねーか
」
「ちょっとこっち来な。寅さんを庭の隅にグイグイ引っ張って行きました。
「いいかい、お前はまだこの長屋へ来て間もないから仕方がない。あれは正真正銘、大家さんだ。大家さんはああいう人なんだ。」
「ああいう人ってのは
」
「改まった席では、大家さんはカツラを付けるんだよ。厳粛な席で禿げた頭皮を見せるなんざ、裸でいるようなものっていう、大家さんの恥じらいの心の表れなんだよ。」
「ひゃぁー
」
「なんだい、ひゃぁーって。」
「いや、俺はたまげたよ。そんな慎み深ぇ人がいるなんてなぁ。でも俺たちは、一体どういう顔をしたらいいんだよ
俺は自信がないよ。だってさ、なかったもんがあるんだぜ。このままじゃ、弔意を示そうにも視線はふわふわとカツラをとらえ、【本日はお日柄もよく繁る草に春の訪れを間近に感じ】なんて挨拶しちゃいそうだよ。」
「そこはおまえさん。俺たちもいい大人なんだから。伏し目がちにグッと奥歯を噛み締めて大家さんの心意気を受け止めなきゃな。そうだ、一昨年、大家さんと長屋の連中とで箱根に行った時の事は話したかい
」
「いいや聞いてねぇ、なんだい
」
「そんな時も大家さんは頭を森にしてきたんだが。」
「ひゃぁーっ
湯治に行くときも頭は夏なのかい
」
「当然だ、旅なんだから。改まった席だ。」
「うむむ、続けてくれ。」
「箱根の山の緑は目にしみる美しさよ。江戸とは空気の味も違ったね。俺たちは旅籠でうまいもんを飲み食いして、さて温泉に浸かるってことになった。当然、気になるのは大家さんが頭を、まぁ正しくは頭に載せたものを洗うかどうかってことだ。」
「やっぱり気になるのかい。」
「そりゃそうさ。みんな洗い場でチラ見したもんよ。大家さんは頭に載せたものをガシガシと男前に洗ってよ。まるで頭に生えているもんだと言わんばかりにさ。ところが、大家さんが手桶で頭から湯をかぶった途端、どうなったと思う?」
「どうなんだい
」
「頭に載せたもんが洗い流されて腹にへばりついてまったんだよ。ちょうどへその下あたりにギャランドゥに。」
「そりゃ一大事だ、爆」
「あの時ばかりは申し訳ないと思ったが、俺たちも思わず眩い頭と、男らしく繁ったへその下とを見比べちまったね
ところが、大家さんは腹の下のギャランドゥをちらっと見て、そのまま湯船に歩いて行ったよ。「ふうーっ
」と悠々と深く浸かってさ、浮いてきたギャランドゥの束を何事もなかったみてぇに頭に被り直したんだ。
「漢だね。」
「そうさ、大家さんは男の中の男さ。そういう話だから寅さん。」
「わかったよ、玄さん。俺も男だ。しっかりキリッとお悔やみを申し述べられそうな気がしてきたよ。」
「よし、行こう
」
「うん、だけどその前に俺はもう一つ、どうしても気になることがあるんだ。」
「なんだい
」
「縁起でもないけど。もし、大家さんが亡くなったとするよ。そうすると、その夏草のギャランドゥをどうすればいい
やっぱり棺の中ってのは、『改まった席』だろうかね。頭に載せて差し上げるべきか。でも、大家さんの人柄からすると、自分の棺の中を『改まった席』とするのは、小ざかしいと言いそうな気もするだろ。」
「そんなの?簡単さ。棺に入った大家さんの手にギャランドゥを持たせてあげりゃいいのさ。それを頭にのせるかどうかは、大家さんのみが決めること。どっちにしろ、ハゲの上塗りってもんだ。」
「・・・・・・・」
○○さんの逸話は、人間心理の不可解と不条理を接したものに否応なしに突きつけてくる。この世には不思議なことなど何もないという、わけではない。こうして全員変人ABの我々は、仕事でもない共同作業を終え、朝を迎えたのであった。
マスカルポーネどら焼きと伊勢茶。どら焼きも旨かったが、無駄睡眠不足に伊勢茶の上品な甘みが沁みた
以上で、今週の下書き分を終わります。
夫が早朝から出かけた休日。ガーデニング2年生は名残惜しいガーデンシクラメンと、乱れ咲きなパン、ビを抜き土壌改良後、夏苗のインパチェンスとペチュニアを植栽してみた。1年生の頃は、枯らしそうでブランド苗におっかなびっくりだったけど、「pw」デビューをした。
昨秋、動画をみて見よう見まねで剪定をしたツツジが、今年はたくさん蕾をつけている。数年数個しか咲いていなかったのは、老けたからやなくて手入れ不足だったと申し訳なくなった。おこがましいけれど、共に生きてるねんなぁ・・・と感じる。ガーデニングって楽しい。結構腰にくるけど
最後までお付き合いいただきありがとうございました。ほなまた、いつかまで