お疲れ様です。
記念日に夫がくれた山紫陽花自然にこうてきたわけやなく、「山紫陽花の藍姫」と20回ほどLINEしたせい。昨年は、「アナベル」を逆指名したのだが記憶にすらないらしい。花が終わった後裏庭の隅に地植えしたものが新芽を出しているのいうのに。
また自然にぼやいてしまったけれど、ホムセンではなく私のお気に入り植物園までいって買ってきてくれた特別感に感謝しているあの植物園のものじゃないと、気に入らんだろうと嫌々だったとしても。
「言門はぬ木すら紫陽花、諸弟らが練りのむらとにあざむかえけり」という歌が万葉集にあるように、奈良の世にはすでに故人に詠まれていた。古より日本に自生している固有の植物。桜より地味めだが、細い軸の先にたわわな花が咲き何とも可愛い。2年連続で逆指名しているとは、そんな好きだったのかと、新しい発見でもあった。
花言葉は「切実な愛」、切実な感じは覚えないけれど癒されてはいる。
下瞼メイク
記念日に新しいアイシャドウを開封してみた。ババァ化という下り坂が止まらなくなり、影色というものを一切使わなくなり、オレンジ、コーラルピンクという、昔は気にも止めなかった色が増えた。春なのでピンク系のパレットにしてみたのだが、「舐めたら甘いのか?」という色味。初日は、かなり違和感がある。なんとか優しい色で、この濃い顔を中和したい。
韓国アイドル風らしい薄い前髪が流行ろうと、同じく長めが流行ろうと、鬱陶しいまでに厚く目にかかる重め前髪を貫いている。無駄に器用なので、セルフカットはちょっと上手い。でも、誰も同じにはしたくないとも思う
せやから、アイシャドウなんて余程やないと新しくしたところで誰も気づかないと思っていたが、最近のメイクは下瞼に重点をおくスタイルなので、すぐにバレた。影色ライナーはクマみたいになって苦手だったのだが、ピンク系の影色ライナーが発売され愛用している。いかにも感がなくて好き。
もう少し語尾の感じがシックめな話し方の方が、より素敵なのになと余計なことを思いつつ、案件かもしれなくても紹介されていると、ほぼほぼ購入しているヘアメイクの長井さんの動画をお借り致します。
時の流れに身を任すにもほどがある
空でも景観でも心の向き次第で様々や思うが、ガラスばりのエレベーターに乗るたび、なぜ、ガラスばりにする必要があったのか?が止まらない。景色を見られるように?怖いんだが外部からも丸見えというのは、防犯上はええのかもしれんが、個人的に高所恐怖症にとってガラスばりのエレベーターはまさに、「死刑台のエレベーター」だ。
いつものように、ガラスの壁から眺望を楽しむことなど断じてせず、「とにかく早く目的階についてくれ」と念じながら、咄嗟の何かに備えられるように押しボタン前に立っていた。
すると、小学校1,2年程の女児と幼稚園児程の女児と、その下の弟っぽい3姉弟が乗ってきた。一番上の子が弟をおんぶしていたが、親の姿はない。おやおやとは思った。世知辛い世になり、昨今ではあのくらいの年齢の子達が保護者なしでぷらついている姿を余り見かけなくなった。観察しておると、少女らは大変楽しそうに会話しながら、手慣れた様子で目的階を押し、到着すると、よーいドン
ばりにかけだしていった。弟をおんぶしたまま。
「昭和っぽい。」
勿論、エレベーターに同乗してきた3人は、サクランボ柄のボンポワンっぽい高そうで可愛い服を着ており、生まれてこの方青っぱななどたらしたことなんてなさそうな「今どき子供」であったが、日常を冒険する躍動感に満ちていた。幼い姉妹の弟を守ってあげなあかんという気概も感じたし。
生意気で自立心があって、いつも冒険を求めている。世の中がどんなに変わっても子供はいつでも「子供」という生き物やねんなぁ~走り出していったフロアの先には、きっと保護者がみえたのだろう、たぶん。
そんなこんなで、数か月振りに本社出張が重なった他社の友人らと酒を飲んだ。隣の席ではゼミの先生(私と同世代っぽい)と女子学生3名のグループが、やたら揚げ物ばかりを並べて色々な話をしていた。最初は研究レポートについてだとか、就活の憂鬱とかだった。男性は、優しく頷きながら、穏やかに話を聞かれていた。
そっからどういう流れか、話題が「昭和天皇崩御の際の自粛ムード」になった。みるみる学生の目が「3」みたいになった。
「ホウギョノ ジシュク」とは何ですか
「いや、だから、陛下が亡くなられ歌舞音曲の類を自主的に慎もうという風潮になってね、コロナや震災の時のように。」
「カブオンキョク」
もうね、よくそれで入試いけたなと驚くほど話が全く通じひんのである。余りの通じなさに先生はビールジョッキの残りを煽り、姿勢をピシッとされた。
「君らは、一体いくつだったっけ」
「21です。」
「21か・・・」
先生は派手に天を仰がれた。
「じゃぁ、昭和が終わった時の話なんて知らないよな。平成天皇は亡くなられていないから崩御も知らなくて仕方ないのかぁ~」
いやいや、東京には死ぬほど大学もあるだろうけど、どこの学生やねんという思いと、アホでもキラキラしておる若さのまばゆさに仰け反った。
昭和が遠い日の花火過ぎる。
ゼミチームが帰られたあとも、こちらのテーブルでは「昭和天皇崩御の自粛」だけやなく、「グリコ森永事件」についても語り合った昭和チーム。
私の記憶が確かならば・・・あの事件真っ只中に、給食にクリスマスでもないのにケーキが出た。なぜかそのケーキには苺やなくて、「森〇のパックンチョ」が1個のったものだった。「あぁ~、売れへんなったから給食にまわされたんかな・・・」だとか、子供ながらに内心騒然としつつも、「残したら昼休みなし」という昭和の掟のもと黙って食べた。今の世だと猛抗議しそうだけれど、昭和の香り漂う想い出の話でした。
神社仏閣巡りがわりと好きだし、仕事で伺うことも結構ある。先日、ある寺へ参拝し見物しておると境内に、「明治天皇植樹」「昭和天皇植樹」という木が、並んでいた。住職がそれらの木について参拝者らに説明をしていた。すると、近くにいたこれまた20歳そこそこらしき女子2人組が大きめ声で話しだした。
「明治天皇って誰」
「えーっと、戦争した人いや昭和の方だっけ
わかんないや。」
うん、どちらの時代も戦争はあったんだがなんかもうね、昭和とか明治とか関係なく過去が遠いねん
大変衝撃を受けた。もう少し真面目に学校で歴史の授業を聞いても損はないんちゃうのその教科書をこさえるための地味で面倒くさい過程を知らんやろ、だとかうっかり説教じみた考えが浮かび、「これを加齢というのですね」とか薄くまた凹んだ。
せやけど私も、「ビートルズ来日」、「3億円事件」について、当時の想い出を語れと言われても知らんわけで、きっとこういうことはこれまでも、延々と繰り返されてきたのだろう。「なにお主、応仁の乱を知らぬのか
」だとか、「かつてここに、カッパハゲみたいなバスク人がキリスト教を伝えにきたのだよ
」だとか。そんな思い出話を聞いても若者達は、「へぇ~」とか鈍い反応を返すだけで、じぃちゃん歯噛み、というような感じだったのだろう。
時はどんどん流れゆく。
なんやしんみりしてしまうのは、最近しみじみと様々な衰えを感じるからだ。食後の歯磨きをしながら、ほやほや社員が久しぶりに記事になっていた某沢尻さんについて
「相変わらず可愛いかったですよね、でも顔が凄く浮腫みやすそうな感じ。」
というのを聞き、泡だらけながら思わず
「私もそうやねん、最近めっちゃ浮腫むねん。」
と言いそうになったが思い留まった。いや、同じやない、私は単に加齢により新陳代謝が老けたからであり、浮腫んでいたとて可愛い某沢尻さんとは質が違う。遠いねんほんまに某沢尻さんが浮腫みやすいかどうかは知らんし、発信者のほやほや社員とて知らんやろうけども。
というわけで新年度だし、新陳代謝をあげるべく幽霊会員のジムへ週2くらいでは行こう、と薄く誓い、この時の流れに指を任せ過ぎなブログを終わりにします。
通勤路の「黄色いモクレン」が毎年可愛くて、「今年も綺麗ですね」と声をかけて何枚も撮った。お掃除大変だろうけれど、たわわで可憐。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。ほなまた、いつかまで