お疲れ様です。

 

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あけまして、新年度🌸宴と出張が続き久し振り投稿になり、相変わらず今頃そんな話をはてなマークという時差など構わず、下書き駄文の数々を連ねるスタイルであります。

 

3月26日 新な一人遊び

 

2年務めた自治会役員(会計)も、今月で任期満了を迎える。170世帯余りの自治会とて色々あるわけで、それが世界的大スターとなれば想像がつかぬものや思うけれど、7億近く口座から消えたことを知らんかったってあるんはてなマーク口座ってどこのはてなマーク箪笥はてなマーク金銭管理甘すぎんはてなマークとか止まらない。

 

恋人の存在を数年間隠し通し、結婚報告されたのを知り、側近の通訳の方の口の固さにまた、流石だと思ったけど、様々な秘密を厳守する方であったのかともやもやうちの自治会のクズみたいな金銭トラブルですら、未だ解決していないのだから、とてつもなく時間のかかる案件なのだろうけれど、野球に専念できますように。

 

関係ないけど、帰宅後黒のヒートテック1枚で家事をしながら、大谷選手の妻ごっこをしている。絶対ヒートテックじゃないと思っているけど汗一人遊びなので許されてほしい。

 

ついでに、ZARAのバッグをご愛用と下世話な記事がでていたけど、いつかズラッとブランド尽くしになったとしても(なられないような感じの方だけど)、掌を返さないでほしい。ええなぁハートええご主人やなぁハートと思う、私。

 

そして、「セールで4割引きでかえてんピンク音符」と喜びを分かち合おうかと報告したら、「かわんかったら、100%引きやったな」と毎回水をさす夫に1番に言う。

 

3月27日 わかちあう線

 

最近、めっきり街から姿を消した電柱と電線について、職場で話題になった。子供の頃は、やたらめったら電柱があり、ちょっと太めなのぼり棒感覚で、靴下まで脱ぎ集団登校の束で、かじりつくようにのぼっていた。※真似をしてはなりません。

 

地面の電線の陰を踏み辿りながら、学校から家まで帰ってみたりもしていた。だとか流れで、思い出話を披露したところ、また「変人AB型」扱いをされたが、実際、正直そんな消えてしまった感は私にはない。

 

職場から、電車で小一時間の郊外で暮らす私の近所では、林立というほどではないにしろ、電柱も電線も未だ現役で幅を利かせているからである。見慣れた通勤路を歩きながら、「この電柱からは、向こうの3軒に送電されてんねんな」というのが一目でわかるのを確認している。

 

うちにも先日、「自宅へ引き込んでいたケーブルを撤去しました」という業者の置手紙はてなマークがあったし、電柱も電線も景観を汚すからとかで、いつかはどの街からも撤去されゆく宿命なのだろう。

 

地べたに埋めた方が維持をするにも都合がええのかもしれない。せやけど、電線を眺めていると、みんなで電気を分け合い、凄く確かな物で結ばれている感じがして、好きだ。豊かな緑と海、電線の繋がりを残したこの街は住みやすそうな穏やかさを醸す。※実際は色々あるけどもあせる

 

電柱や電線が、既に失われた街で暮らすものは、想像力を求められている。それでも電気は流れ、そこで暮らす人々を繋いでいるのだと。毛細血管のように絡み合い地べたを走る無数のケーブルを、思い浮かべてみる。それは鬱陶しいけれど薄くホッともする、街の生命活動そのものの形をした光景や思う。

 

無駄脳内会議

 

11時半から昼休みをとれそうで、雨じゃない日は外ランチに行く。「煮魚がいい」といったら、誰にも賛同されなかったので、男性ばっかの定食屋の列に一人並びながら、なぜ「昼」にだけ「お」が付くのか問題について、論議を始めた脳内。

 

  • 「お朝」× 「お昼」〇 「お夜」×「お朝ごはん」× 「お昼ごはん」〇 「お夜ごはん」×
  • ※派生案件 「お夕飯」、「ご夕飯」は言うかも。「お夕方」も「ご夕方」とは言わない。それでいくと、「今朝方」とは言うが、「今昼」という言葉はないし、「昼方」も、「今夜方」ともいわない。
  • 「ご朝食」〇 「ご昼食」〇 「ご夕食」〇 「ご夜食」▲ 
  • 「お夜食」〇 →夕飯ではなく、夕飯後の更に夜が更けた頃にとる軽食を意味する言葉になる
  • ※派生案件 「お夜食」のように、ちょっと菓子などをつまむ「おやつ」「お十時」「おめざ」などを、「ごやつ」「ご十時」「ごめざ」などとはいわぬことに通ずるのだろうかはてなマーク
 
よし、薄くわかってきたアップ「朝食」「昼食」「夕食」「夕飯」「夜食」は、それぞれの時間に食べる料理をさす名詞だ。したがって、「お」でも「ご」でも好きにつければいい。唯一「夜食」だけ軽食だから、「ご」まで付けるほどやなく、「お」でええやろという感覚から、「お夜食」の方がピタッとくるのかも。単に語呂とか語感によるものかもしれない。
 
せやけど、「おやつ」「お十時」「おめざ」は、具体的な時間をさす名詞になっている。この場合、よくわかれへんけど、「ご」ではなく「お」を限定使用するのではないか。すると以下のように考えられる。
 

「朝」や「夜」には時間帯の幅はあるが、「昼」には「正午=午後0時」という具体的な時刻をさす名詞が転じて、なんとなく午後0時辺りの明るい時間帯をさす名詞になったのではないか。

 

したがって、「おやつ」などと同じく、「昼」にも「お」をつけられる。

だが、「朝」や「夜」には具体的な時刻をさす意味がないので「お」はつかない。

このように考えると、とりあえず、「お」昼案件の説明は無理やりだがつく。説明できひんのは、派生案件についてである。

 

「夕方」に「お」をつけないのは、具体的な時刻をさす名詞ではないから、更に、「お」「ご」をつけるほど大層でもないから、たぶん。「朝」や「夜」に「お」をつけず、家電などに「お」「ご」をつけないのと同じだ。

 

  • ほな、「夕方」「朝方」とは言うのに、「昼方」「夜方」とはいわぬのはなんでなのはてなマーク
  • 「今朝」「今夜」、ほんでこれには口語ではあまり用いないが、「今夕」とは言うのに、「今昼」とは言わぬのはなんでなのはてなマーク
 
最初の件については、説明できそうである。境目が曖昧かそうやないかによるのではないかはてなマーク「夕」は、「だんだん明るさを失くしていく時間帯」のこと、「朝」は、「だんだん明るくなっていく時間帯」のこと。せやので、「~の方」という雰囲気のある「方」をつけることができる。
 
だが、「昼」「夜」は、はっきりと「昼」であり「夜」である。太陽が昇ったり、斜めになったりする気配を見せず、堂々と空にある時間帯が「昼」であり、太陽が消え去った時間帯が「夜」だ。「方」だとか、ややぼんやりとした雰囲気の言葉をつける必要はない。なので、「夕方」「朝方」はあって、「昼方」「夜方」はない。
 
続いて、「今夕」「今昼」案件については、やはり「昼」が具体的は時刻をさす言葉であることに関係していそうだ。「昼」といえばそれだけで、「午後0時から小一時間程」を示すとわかるので、「今日の」と時間を限定する「今」という言葉をつけんでもよい、ということではないか、たぶん。
 
無事に、めばるの煮つけにありつけた昼休み。めばるいうのは、なぜどいつもこいつも、アーッびっくりマークの口で煮あがっておるのかと毎回思うのだが、なんでやはてなマークいう無駄脳内会議はまた、いつか。いらんか知らんぷりシャブ中みたいだし。
 

3月29日 ムネオ号で巡った記録

 

私は今、九州にいる。隙間時間に温泉に入り、旨いものをこの薄い腹が裂けるまで食べようではないかという趣旨のもと、阿蘇山よりもちょい北辺りを徘徊した。明日の始発で戻るので忘れないうちに記録してみる。

 

今回の相方は、同期のR。こうして私が🍎さんを開きカタカタ入力する様を、何度遮っても盗撮しては、「あかんわ、映えへん。もっと文豪っぽい顔しなあかんて。」とぼやいている。

 

そんなん盗撮やからやでと、無駄にやる気を出し太宰治っぽく頬杖をついてみたり

 

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芥川龍之介っぽく顎を軽く掴んでみたり

 

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夏目漱石っぽく偏頭痛がするみたいにしてみたりした。

 

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なのに、「あ、テレビの眼鏡の人が一緒に入ってもうた、ま、ええかびっくりマーク

 

!?ええの!?駄目だしと指導してきたくせに。

とてもブログになど貼れないけれど、報道ステーションの眼鏡の人2名と、温泉あがりのすっぴん眼鏡の私という、眼鏡3ショットは想い出の1枚になった。

 

遅ればせながら、ムネオ号の説明を。スズキ(レンタカー)→小回り→ムネオ。ただ、スズキの車というだけで、Rが「ムネオ」と命名した。可愛い見た目なのに、どんなに細い道とてスラスラ走る頼もしいもう一人の相方。

 

山道になると途端に、「私はもうだめだ、離党もしたし頼みの綱は、松山千春くらいだし汗」と、折れそうになるのが薄くネックだろうか。その度、「ムネオ、がんばれびっくりマーク馬を売って大学に行かせてくれたオトンを思い出してびっくりマーク」と、励まし「長い夜」を熱唱した我々。「とまどう2人♪」ならぬムネオだったであろうが、走りぬけてくれて感謝クローバー

 

※知人と同じ名なので、最初は違和感があったが、あのムネオとは別人として熱い声援を送った。

 

ムネオを運転したのは、ほぼRだった。彼女は、私が何度となく「しんどいやろはてなマーク交代しようかはてなマーク」と問うても、断じてハンドルを譲らなかった。

 

Rには、「○○○にハンドルを渡すなんて、濃霧たちこめる中、山道を締切あけの寝不足、疲労困憊で運転するよりも危機」という確信があるのだろう、たぶん。その期待にこたえてやろうかと、何度も交代を申し出たが、彼女は死んでも譲らない覚悟のようで、1ミリも隙がなかった。

 

この度の出張での我々は、30分余りの猶予とて湯につかり、露天風呂をハシゴした。宿泊先には大露天風呂があり、限度というものを知らぬ故、内、外と岩風呂を何往復もしていたら尻が擦り剝けた。熱めの湯に刺激されるたびに、ヒリヒリと尻が滲みる。

 

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だが、この痛みにたえてこそ、真の秘湯を巡り守る会会員(勿論、自称)であるはずだと、寝る前にもうひと湯するつもりだ。

 

どちらの温泉も、それぞれにコンセプトがあり、風呂から臨む景観にも気を配り客人を待ち受ける。だが、訪れてくれた者を満足させたい、という温泉側の熱意が、時としてとんでもない事態を生むこともある。過剰なコンセプトとでも言おうか。この度も、私の心を掻っ攫った場所、それは、人気の黒川温泉でも湯布院でもなく、古来有名なB温泉であった。

 

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B温泉には、「地獄めぐり」なる観光名所がある。様々な温泉が湧き出ているところを、巡って見学するというコンセプトなのだが、途中からなんや訳が分からなくなる。

 

湧き出る湯を見学にきたはずなのに、突如として動物園が出没したり、温室では温泉熱で栽培されたバナナが販売されていたり、ワニが折り重なって昼寝していたり、妙な庭園の池が温泉だったり、ハリボテの鬼や龍がいたり、税関みたいに必ず土産物屋を通らないとコースを巡れなくなっていたり、なかなかの乱心ワンダーランドになっているのだ。

 

私は結構、心乱す系観光地が好きなので、「あの湯気の勢いは露骨に怪しい目岩場の陰で、熟練の湯気係のじぃちゃんが、ロウリュウサウナの熱波師のような勢いで送風したはんねんな、たぶん。」などど、浮かれてワンダーランドを満喫した。「地獄巡り」の地獄は八か所もあり、鬼やワニが潜む奇妙な名所が八つもある。地獄目白押し感満載。

 

地獄から無事に生還し、温泉街を散策した。すると一軒の古本屋を見つけて、阿吽の呼吸で入った。老夫婦が営む小さな店で、ノスタルジックなビルにあった。土間のようなエリアにやる気なく本が並べられていた。なんか掘り出し物が眠っているかもしれないと、本棚を物色していたのだが、ふと、似つかわしくないものが視界に入った。

 

冷蔵庫、冷蔵庫がある。

 

老夫婦は、土間の奥にある3畳ほどのエリアに座ってみえた。一段高くなったその場所で、仲良くテレビを御覧になっていたが、おもむろに奥様が立ち上がり冷蔵庫を開けた。庫内は、本ではなく、食材がぎっしり詰め込まれていた。

 

Rと私は、まばたき程のアイコンタクトをかわした。「もしや、このご夫婦は、ここで寝起きをしてるんはてなマーク」「住んだはるわ、あの一段高くなっているエリアにびっくりマーク

 

奥のエリアの奥は壁で、2階に続くような階段も、隠し扉的なものもない。トイレらしきドアはあった。ご夫婦は、古本の山に囲まれ本棚に圧迫されつつも、店内に移住空間を確保して暮らしてみえるようだった。

 

そこが移住エリアだと思われるからには、そんなジロジロ見るわけにはいかない。レジのあるその場所から、視線を逸らしながらお宝さがしを続けた。ぬかりなく、お二人の会話や気配も追いながら。

 

奥様は、ご主人にチャンネル権を譲るよう、優しく粘り強く交渉をされていた。好きな歌手の方がみえるのか、歌番組に変えたい奥様と、そんなのどうでもええ感じでニュース番組を見続けているご主人。

 

黙って一緒に観ていた奥様が、「岸田さんて、以前は中村芝翫みたいで素敵ね、と思っていたけど、とんだ勘違いだったわ、変な人ね。」と仰って、「私は段田安則さんに似ている気がして、段田さんまで苦手になりそうです。」と、思わず話しかけてしまいそうになった。ご主人は「ん。」、どうでもええこと極まれりな寝言のような応答に、吹き出しそうになった。

 

Rが、昭和の御馳走レシピ的な絶版本を発掘しレジへいった。奥様が昭和のたばこ屋さんのような笑顔で対応され、無事に本を買い店を出た。

 

R「見たはてなマーク

S「何をはてなマーク

R「ご主人さ、布団敷いていたよねはてなマーク

S「あの猫の額エリアにはてなマークやっぱり、あの場所で暮らしてみえるんかな。」

 

R「それがな、ご主人は炬燵に入るみたいに布団に入ってみえたけど、上半身はジャケット着たままやってん。」

 

S「TPOをわきまえたはんねんな、まだシャッターガラガラしてないしな。」

 

R「見えへんかったけど、下半身はもうステテコとかやったよね。」

 

我慢ならず、爆笑してしまった。本屋の店番をしながら、ジャケットを着て布団に入っている老紳士。これほどまでに、本を愛している方を見たことがない。

 

いや、もしかしたら共に本など1ミリも好きやなくて、商売として仕方なく古本屋を営んでいただけかもしれない。そして、いつのまにか本に浸食され、職住一体になっただけのことかもしれない。どんな変遷があって古本屋をされているのかはわからない。ただ言えるのは、この店もまた心乱す系ワンダーランドであったことだ。洗練された温泉が多くなっている中、昔ながらの温泉街の雰囲気が好きだった話を終わります。

 

以上が、下書き編集分でした。

 

カウントダウン

 

今週また1個年をとるのだが、これまでずっと「聖徳太子の命日」だと話してきた記念日を、「旧暦のひな祭りですね」と言われた。「4月3日じゃないのはてなマーク」と聞き直したら、「今年は、誕生日の日ですよ」と言われ満更やなく、確認したら2024年の旧ひな祭りであった。なんか、桃的なもので祝おうリボン20代なのに、「旧暦のひな祭りが、今年の記念日」と教えてくれた方に、素敵な贈り物をもらった気分。

 

この先の日々にも、ぼんぼりに灯りをつけていきたい。お金よりも大切なものを守るために、稼がなあかんから知らんぷり

 

本日もまた、こんなシャブ中みたいなブログに、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

どこのどなたかわかりませんが、1投稿目まで遡ってくださった3名の方々。ほぼ限定記事なのに、お付き合いくださりありがとうございました。

 

ほなまた、いつかまで付けまつげ