お疲れ様ですチューリップピンク

 

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チューリップが枯れてしまったので、待機苗のレースラベンダーを玄関に一時設置。細長くヒョロヒョロなところに親近感がある。ラベンダーの中では、香りは控えめだけど花期は長め、レースのようなシルバーリーフも可愛い。もう少し寒さが和らいだら、地植えしよう。

 

リボンレースラベンダーについて

 

ヨーロッパのどちらかのラベンダーさんが、美少年に恋をするも内気過ぎて告白できず、相手が気付いてくれるのをずっと待ちに待って幾年月。ついに待ちくたびれて一輪の花になってしまったのが、レースラベンダーという、また切ない話。

 

この逸話から、「あなたを待っています」という花言葉がつけられたそうだが、重っあせる気ぃ長っあせる到底そんな待ってられへんけれど、「無事に帰宅するのを待っています」という程で思ってみる。

 

さよなら「CHELSEA」

 

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53年のロングセラーが3月で終売になる。黒い箱に花柄で、1つずつが銀紙に包んであるという特別感と、おしゃれ感があった。遠足のおやつにしたり、ホワイトデーにも何度か貰ったなぁー。ヨーグルト味が好きで、懐かしくダイソーとかで見かけると買っていた。さよならや思うと、最後にもう一度と我儘になる。グミばっかり食べていたくせに。

 

今回もまた、噂をいち早く聞きつけ、「最近はグミばかりで、ご無沙汰やから最後にもう一度」という方々の思いで、稼ごうとする転売民が爆買いされておるのでしょう。

 

 

懐かしい人に出逢ったような

優しい便りが 今届いた

忘れかけていた幸せ

あなたにもわけてあげたいピンク音符

 

という飴ちゃんなのに、ったくむかっ世知がれぇってばない。個人的には、「サクマ式ドロップ」の時よりも寂しく、「キスミントガム」よりはそうでもない気持ちだけれど、「たけのこの里」が終売になるとなれば、爆買いしてしまうかもしれない。そんな事態にならぬよう、ちびちび貢献していきたいという話を終わります。

 

一番好きなお菓子

 

誰にも聞かれないことを、自ら発信するのがブログというものや思うので、1番大好きな菓子を。

 

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基本、黒砂糖味が好きで、かりんとう系が好き。熊本のお菓子だが、父の田舎の鹿児島に帰省した時空港で買って以来大好き。色んな味がでているけれど、このド定番味が揺るぎない推し。冷凍して、凍ったままアイスと食べても美味しいし、トースターでカリカリに温めても美味しい。

 

1個ずつ個包装になっているのに、食べ過ぎてしまう危険性がある。なのに、セール期間のメガ盛りをまたポチった。スーパーセールでどれをポチろうかと、仕事中も脳内会議をして気ぃ散るので、さっさと「お気に入りリスト」を消化したい。

 

お坊様のちから

 

もしや、仏罰があたりかねぬ話かもしれないが、先日入社以来、初めてガッツリ9時間程、2人きりで車移動した同僚(30代女性)の話を聞き、世にはお坊様を推しのように思い慕う人がいるということを、初めて知った。

 

彼女によると、物心ついたころより、法事などで遭遇するお坊様の姿、袈裟の美しさ、朗々たる読経の声に胸の高まりアップを抱いていたらしい。そして、長じてからはお寺巡りが趣味となり、仏教の入門書を読み耽った。更に、専門的な道を求め大学へ進学し、趣味と実益を兼ね備えた寺系部署のエースとして活躍をしている。

 

全く知らなかったが、「東京ボーズコレクション」なるイベントが開催された際には、前入り🚄で参加し、「シャングリアをみるようだアップ」と大興奮したそうである。

 

寺だらけの街で育ったが、「お坊様大好きびっくりマーク」というスタンスとパッションで、僧侶、寺院、仏教を考えたことがなかったので、結構仰天した。

 

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「それって、特に好きな宗派のお坊様とかがあるのはてなマーク」と、おずおずと問うたら、「宗派は関係ない」とのことらしい。とにかく、お坊様のストイシズムから始まって、袈裟などの色彩感覚、読経の音楽性、法要の洗練された様式や寺院建築に至るまで、心惹かれてならないのだそうだ。

 

「本当はお坊さんに嫁いで、お寺で暮らしたいぐらいだけど、修行の邪魔になってはいけないから、法事の際に物陰からそっと伺い見るだけに留めてる。」と、彼女は苦渋顔で吐息した。

 

ほぉ~汗制服を着用した職種の方は私服の時よりも、かっこよさが5割増に見えるということは確かにある。制服を着ることによって、職業に対する高いプロ意識とストイックな姿勢が際立つからだろう、たぶん。

 

信仰に生きる僧侶の袈裟を、職業着である制服と同じように捉えるのは誤りかもしれない。せやけど、信仰に生きるという決意表明である僧侶の出で立ち(剃髪、袈裟)が、制服と同じようなプロ意識としてストイシズムを醸し出しているのだろう。きっと彼女も、その部分に魅力を感じているんかな。

 

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私自身は、堅苦しい形式があまり好きではない。十代の頃は特にその傾向が強く、盛大な葬式を執り行うなんて、当事者(もしくはその周りの人々)の見栄であり、死を直視したくないがための思考停止ではないのかとも思っていた。

 

もちろん、信仰を表現するために幾重にも練り上げられた法要などの様式は、凄く美ししいものだと感じたが、宗教的な形式と「何かを信じる」個人的な心の動きとは、どうにも結びつかないなというのが正直なところだった。

 

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しかし、20歳ぐらいの時に祖父が亡くなり、私の認識は少し変化をした。祖父は何代も前から同じ場所の同じ家で暮らしてきたので、「家族葬でこじんまり」などという今風の選択肢は、遺された親族にも当然ない。昔から檀家となっていたお寺のお坊様が来てくださり、祖父の家で葬式が営まれた。

 

身近な人が亡くなるのは初めてだったし、何より私は、生粋の爺ちゃん子だったので、こらえようと思ってもビービー泣いてしまった汗。だが、泣いてばかりもいられないのが、寺ばかりの街の葬式の恐るべきところだった。今でこそ変わっているが当時は、家族、親戚、近所の人たちが一致団結して、祭壇を飾ったり、棺の用意をしたり、料理を作ったりと休む間もなく、きりきり舞いだった。

 

「飾り物の向きが違う」と、長老格が作業を監督し、「あいつは、若い頃、酔うて車ごと沢に転落してんけど、走って沢を登ってきた」などと、祖父の幼馴染がしんみりと語り合う。

 

今のようにチャイルドシートのない自転車の後ろに、園児の私を乗せ、毎朝送迎してくれたのだが、高校生の自転車に抜かれて躍起になり、すぐに立ち漕ぎをしていた負けず嫌いな祖父。坂道で私を落っことしたことにも気づかず保育園に着き、「どこ行ったんやろうかはてなマーク」といったのは、お気に入りのエピソードだ。

 

淡々と体を動かしつつ、飄々と思い出話をする彼らを見るうちに、ビービー泣きながら煮物の火加減の番をしたり、茶だしをしていた私も、なんだかだんだん、悲しみに暮れている場合やなくなってきた。

 

そして、葬式の慌ただしさが飽和点に達した頃、お坊様の読経が始まった。かなりご高齢で(私の同級生の爺ちゃん)フガフガでカスカスだけれど、悲哀漂う読経の声を聞いた時、私は「あぁ、こういうことか」とスンクローバーと納得した。

 

遺されたものが悲しみにばかり沈まぬように、「葬式を出す」という形式はあるねんな。死者の記憶を共有する人たちが、一緒に忙しく動くことで、死を体にも心にも納得させるためにあるんやなと。

 

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その思いは、初七日とか四十九日とか一周忌とかの、節目の形式を経験するごとに深まった。時間が経つにつれ、悲しみはゆっくりと薄らいでゆく。しかし、祖父が完全に消えてしまったのではないこと、交わした言葉や楽しい思い出はずっとずっと私の中にあるのだということに、節目があるからこそ明確に気付けたのだった。

 

「悪いことをしたら地獄に堕ちる」というようなレベルではない、専門的かつ深い仏教倫理の研究理解、体得も当然必要だろう。「悪には悪い報いがある」的な論理には到底納得いかないほどの理不尽に満ちている今だからこそ、人の心を真の意味で救う、強度を持った信仰、宗教とはいかなるものなのか、誰もが考えるべき局面に差し掛かっている。

 

せやけど、日常生活において信仰や宗教について、目から血がでる思いで考えを巡らせている人は、やはり少数派だろう。形而上的事柄に思いを馳せるより、まずは毎日の暮らしをどう成り立たせるかを考えねばならない。が、毎日の暮らしの先に必ず死がある。あると知っていたはずなのに、いざ自分や自分の近しい人が、死に直面すると動揺する。

 

その時、お坊様の存在というのは、とても大きいと感じたのだ。祖父のためにお経をあげてくださったお坊様は、大変失礼ながら汗仏教理論研究の最新の成果に詳しいようには見受けられなかった。読経の後の講和も、「天寿を全うされたのですから、まあ皆さんあまり悲しまずに合掌しましょう」という雰囲気の可もなく、不可もないなく内容だった。

 

せやけど、そこには言葉にできない温もりと説得力が感じられて、祖父の葬式に参列したものは、皆「お坊様のおっしゃるとおりかもしれん」と、妙にしっくりきたのだ。

 

これは、同じお寺に何十年も暮らし、街に住む人たちの生と死に接してきたお坊様だからこその説得力だと思う。お坊様は、祖父とも長年の将棋友達だったので、家族に挨拶するときも、みんなで煮物をつついている時も、しょんぼりしていた。「あぁ、祖父の死をお坊様も心から悼んでみえる」と沁みる態度だった。

 

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なのに、読経の時は違った。それまでは、どうもヨボヨボしていたのに、シャキンと背筋が伸び、(入れ歯なので)フガフガはしていたが、毅然とした態度で一心にお経を読んでくださった。

 

その背中は、参列している者に、「思う存分悲しんでいいが、悲しみ続けなくてもいいのだ」と告げるかのようだった。「仏様が必ず救って下さる」と、お坊様は確信しているようだった。

 

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その確信があっているのかどうか、正直なところ、私には未だわからない。しかし、お坊様からは、これまで何百回となく街の人の死に接した威厳、何千回となくお寺でお経を読む日々を送って来た威厳が感じられた。その威厳によって、祖父を亡くした私の悲しみは、確かに薄く和らいだのである。

 

お坊様の袈裟は薄く煤けていたが、その時の私には輝いて見えた。プロフェッショナルかつストイック。最初の方で、袈裟を制服と書いたのも、悪い意味ではないと、伝わっているといいのだが汗

 

彼女が「お坊さんが好きでたまらない」と言った時、仰天したけれど、祖父の葬式に来てくださったお坊様のことを思い浮かべ、「なるほどな」と腑に落ちるものがあった。

 

今の私は、葬式を頭から否定はしない。見栄などの理由で形式にとらわれすぎるのは馬鹿げているが、形式が人の悲しみや苦悩を緩和することもある、と知ったからだ。長年続けられてきた形式には、己の感情と正しく向き合うために有効な、先人たちの知恵と思いが込められている。

 

そしていうまでもなく、形式を単なる形式で終わらせず、血と実感の通った儀式に変えるのが、お坊様の力であり、信仰の力だ。その瞬間を体感することができてよかったと、祖父と祖父のためにお経を読んでくださったお坊様に、今も感謝をしているという話でした。

 

とりとめのないブログに、最後までお付き合いいただきありがとうございましたクローバー