お疲れ様です。

 

明けまして3月。1月から3月が春だった旧暦の世では、春の最後の月である3月を「春惜月」というていたとかね。ほんま、洒落ておる。去り行く春を惜しむ余裕がなかなかないけれど、季節がある国に生まれたのだから、大事にしたい。

 

春の知らせ

 

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季節ごとに色を決めて、植栽しているチビ花壇。秋冬はピンクだらけにしたので、そろそろ白が恋しい。ピンク組のアンカーだったラナンキュラスが開花した。か細い茎に、薄紙を幾重も重ねたように派手に咲く様がツボ過ぎる。

 

これまでは、切り花を買っていたけれど、育てたのは初体験。耐寒性がそうでもないから、ド冬は防寒が必要だと聞いたので、球根を仕込んだ素焼き鉢を屋内にいれたり、また、鉢のまま花壇に埋めこんだり、あちこち転勤族生活を課した。土の乾き過ぎも根はりが悪くなるらしいので、他の花よりも土の具合に気をつけたりはした。面倒くさいことが、わりと好きなので、夏越しも成功させて、毎年春に逢いたい。

 

花言葉というのは、概ねギリシャ神話に由来するけれど、ラナンキュラスの名の由来もギリシャ神話な件。


ある日、ラナンキュラスは親友と森へ行き迷子になり、にっちもさっちもいかなくなり、森の宿に泊まることになった。

 

そこで、とてもかわええ女性と出逢ってしまい、彼らは2人共彼女に恋をしてしまった。しかし、両想いになれたのは親友だった。ラナンキュラスは自分の想いに蓋をして祝福をした。

 

その後、うつつを抜かした2人はシシリー島へ逃避行してしまう。よせばええのに、心配したラナンキュラスは、2人を捜索に島へ向かうが、辿り着いた島で亡くなってしまう。

 

彼のお墓に咲いた派手な花に彼の名をつけた。

親友の方が、ハンサムだったのだろうか・・・たとえ顔がブスだったとしても、心ハンサムな人を選びたい。せやから、来年もアネモネやなく、ラナンキュラスを育てたい。

 

LOVE VEGE便

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3月1日は、ラブベジの日らしい。野菜の3,1、の語呂合わせから汗少々しんどいが、LOVE+VEGETABLEで野菜を愛する造語なわけで、葉っぱ好きとしては記念日。「野菜をもっととろうよびっくりマーク」というスローガンに、国が推奨している一日大体350g以上は野菜を摂取の実践を応援するプロジェクト。

 

というわけで、先日も、また沢山いただいた「今〇さんの手作り野菜」で、ラブベジる。ピンと立つほど新鮮な野菜が盛り沢山ハートご主人と2人で、寒い季節にも丁寧な仕事をされ、時には意見の相違で喧嘩もされたのかなとか笑、作られた方の物語のある贈り物。サッと茹でただけでも、薬の苦みなど皆無で御馳走。

 

届けて下さる日が、偶々休日だったので、御礼が伝えられるわと待っていたところ、思いがけず、珠さんと3人でランチをすることになったアップ

 

デザートの写真しかないのだが、コースをいただきながら、楽しい時間を過ごした。唐突に、西城秀樹さんの話を始める珠さんと、何の疑念もないまま、自然に会話をされているのをみて、お二人のずっと続いている空気感を感じた。一応、「なんで急に今そんな話をはてなマーク」と、薄くつっこんではみた。最近テレビ番組で御覧になったかららしい。

 

何の話はてなマークだけれど、話さなければあかん話ではなく、テレビでみて気になってググッた話をする関係性が幸せだなと沁みた話。

 

チューリップピンク大きなブロッコリーを半分は夫用に下茹でして、自分用には蒸し焼きにしてチーズをかけた。切り口の断面を香ばしく焼き付けてから、水と塩を入れて落し蓋をしてじっくり焼くのが好き。

 

チューリップピンク大根は、半分ずつ煮物とサラダにした。スライサーでカットして塩をして水分を絞って調味するけど、栄養いっぱいの汁を捨てられないから、炊飯するときにまぜる。酵素は熱で破壊されてしまうだろうけれど、ご飯が甘くふっくら炊けてよい。

 

楽しかった時間の余韻を過らせながら、ラブベジは継続。

 

公営プール

 

ド冬の間は頻度がおちるけれど、時々夫と公営プール(温水)に行く。ゴーグルをつけて水中に立ちのぼる泡を観察したり、ビート板を借りてラッコみたいに浮かんでいるだけだが、わりと楽しい。高い天井に水音や声が反響して、ガラス張りの建物には四方八方から日の光が差して、水面は複雑に動く。生ぬるい水温とあいまって、なんだか違う世を漂っているような心地になる。

 

私が利用するのは、大体平日の昼なので漂っているのは高齢の男女ばかりだ。どちら様も大変お元気で、平泳ぎばっかりな私の隣のコースで、バタフライや背泳を力泳されたり、孫ほどの係員に指導を受けたりされている。エスカレーターのように進行方向により、コース取りが決められている中、2時間程何度も歩いて往復される方など、秩序に満ちた平和な空間だ。

 

そんなプールが、時ならぬ賑わいをみせるのは、長期休み。ちびっこが大挙して押し寄せ、縦横無尽に泳ぎ、潜り、跳ねる。増員された監視員が声を枯らして注意しても、彼等の溢れんばかりの遊びたい力を留めることはできない。常連組は、隅のジャグジーに追いやられ、全力で戯れる様を呆然と眺めるばかりだ。

 

せやけど、彼等をみていると、ちょいちょいおもろいのだ。たとえば、水泳帽に学年と氏名が書かれていたKくん(小2)。


「成績どうだった?」と友達に通知表の件を聞かれたKくんは

「成績?悪いよ!えーとね、2が7個!」

と、わりとドヤっていた。

「それ、まじでやばいよ。」

と友人らも深刻顔になっていた。ところがKくんは、それは朗らかに

「お母さんにも怒られちゃったーっ笑」

と言いつつ、相変わらずキラキラする水面で戯れていた。

ええ子だなーKくん。あんなに大らかな性格を目の当たりにしてしまうと、小2で成績のことなどヤイヤイ言う必要などないかと思えてきた。勉強させようと思ったら難儀かもしれんけれど。

 

今は、平日のプールにそんなちびっこの姿はない。せっせと鍛錬に励む高齢男女も、薄く寂しげな風情だ。

 

心地よい疲労を抱え家路につく。水の中という非日常性といい、ちびっこという異文化と間近に接する際の驚きといい、プールでの体験は小さな旅に似ているといつも思うっていう話を終わります。

 

オヤジギャグの作法

 

聞く者に、バナナで釘が打てるよな世界を体験させる発言。今も辛うじて残るオヤジギャグ。未だ忘れられぬ、「朝刊で読んだが、コンクラーベ(ローマ教皇を選出する選挙)っていうのは、まさに根比べになるよな。」と、上司に話しかけられた日の全力愛想笑いのピキ付き感と、フロアじゅうに吹き荒れた猛吹雪。

 

要は、他愛ない掛詞だ。ご本人には1ミリの悪意もなく、どっちかいうたら「俺の気の利いたギャグで空気をあたためてやろう。」と思っていたらしき節が伺えたが、悉く裏目に出ることが多かった。

 

なぜ、あのような言葉を「オヤジギャグ」と呼んだのかといえば、発信者にジジィが多かったからだろう、たぶん。若いと掛詞系のギャグを思いついても、あかんとグイッと飲み込むが、中高年になると加齢により喉の筋力も怠慢になるせいか、思いついた端から垂れ流してしまう。そして、ウザがられる。よろしく哀愁である。

 

だとか、他人事ではない。私も最近連発しそうになるのを必死に堪えている。ダムの地盤は決壊間近である。何か1つ単語を聞くと、同音異義語が次々に連想され生ぬるいギャグが浮かぶ。加齢とともに語彙が増え、連想が無限に広がるようになっておるねんな・・・とええ解釈をしたいが汗そんなわけない。

 

オヤジギャグは持て余しがちだが、古の雅なる伝統に基づく言葉遊びとも言えよう、たぶん。「古今和歌集」には、掛詞を駆使した技巧的な恋の歌がたくさん収録されていて、オヤジギャグめいたものが結構ある。たとえば、「よみ人しらず」の歌。


君の名もわが名もたてじ 難波なるみつともいふな あひきともいはじ

 

(君と私のことが噂になったらあかんから、難波の御津【会った】とも言うたらあかんし、網引【地引き網=逢引】とも内緒にしとこな)

なかなかの、波状攻撃でしょ、オヤジギャグの。こんな和歌を受け取り、頬を赤らめたらええのか、燃やしてしまえばええのか判断に薄く迷う。

 

何の話やねんはてなマークであるが、新年度からまたこの上司が赴任されることになり、対策妄想をしてみた次第である。電力不足が危惧される昨今、積極果敢にギャグを迸らせ周囲の心胆を寒からしめ、節電に一役買って下さるやもしれぬ。6年の時を超え目論見通りにいくんかなはてなマークまたいつか報告してみます。

 

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城の梅も満開で、桜はまだかいなピンク音符である。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。