お疲れ様です。
久しぶりに夫がいない週末の休日。術後の経過も今のところ良好で、普段通りに友人と早朝から出かける夫を、草むしりをしながら送り出した。道行く方に、「ムスカリが綺麗に咲いたね。」だとか声をかけられ、朝からちょっと心上がる
土産の入浴剤が沼。
先月のどっかの仏滅に、性懲りもなく3度目の結婚をした友人から、フランス製の入浴剤を貰った。3度目のくせに、この円安の世にフランスへ新婚旅行に行ったというわけではない。紛らわしい。
ビデオ通話越しなのに、派手な身振りで「お肌つるっつるなるから」というていた。「最近干からびたカエルみたいやから、楽しみ。」だというと、画面奥でアホみたいにゲームをしていた3番目夫(私と同じ小学校の同級生)が、「それな・・・まぁ凄いで」と微妙顔でいうて、「ええネタにはなるはずや。」と言い切り、またゲームの人殺しに勤しんでいた。
そんなこと言われたら、すぐにどんなか知りたいわけで、指示通り入浴剤を先にぶち込み湯をはった。それは茶色の粉で、薄く嫌な予感がしたけれど、そんな気にせず風呂から出て、「お風呂が沸きました」までキッチンリセットなどをしていた。
「沸きました」コールに、どれどれとウキウキしながら再び風呂へ行った。ドアを開けた途端、「くっさっ」と叫んだ。立ち込める摩周湖のような湯気が、信じられない位に生臭い。濃厚すぎる昆布茶のような、それよりもっと嫌というか
これは一体なんやねん浴槽を覗きこみ、ぎゃっとまた叫んだ。波止場に打ち寄せる一番汚い海水。そこを掬ってギュッとしたような色合い。トライアスロンの猛者らとて、泳ぐのを躊躇うような海。そんな色合いをしていた。一言でいうと、ヘドロ。
ここに浸かるのか・・・私は、おっかなびっくりヘドロ湯に入った。ちょっとヌラヌラしていた。そして、濃厚昆布茶の香りが止めどなく鼻腔を呪う。おえおえ
友人が言っていた「嫌やなかったら、顔にもざぶざぶしてみてな。つるっつるなるから。」がこだました。「嫌じゃなかったら」という配慮の意味が沁みた。ヘドロで洗顔は勇気がいる。
脱線1,急にインドに行った昔の話をする。
小6の春休み。(どんだけ昔話やねん)技工士を引退し暇を持て余していた祖父に連れられ、インドへ行った。今よりももっと、何でもかんでも流しまくられていた聖なる川で、あの世へ行くときのために沐浴をしよう、というジジィについて、1歩踏み入れたあの感触が今も忘れられない。地味ダライラマみたいな装束で沐浴する方々を見よう見まねながら、わさぁ~っと洗顔をする様を見守っていたが、その1わさぁ~っのみで踵を返し岸に戻ってきた。よくわからんかったが、凄い勇気やで、ジジィ。と内心称賛した記憶。
あの時の祖父くらいの勇気を振り絞る。控えめにヘドロを掬い洗顔をしてみた。昆布の束を擦り付けているようである。ちゃぷちゃぷ、くっさっを繰り返した。そんな中、友人がこれに浸かる日は、その後か混浴か知らんがご主人も入ることになるわけで、風呂へ行き「今日の湯はヘドロ」と知ったときの絶望感たるや膝落ちやなと、薄くおもろくなったりもした。いやいや、おもろがっている場合ではない。私は今、ヘドロ真っ只中やねんから。おえおえ
脱線2、好きなドラマの話を始める。
つるつるしたい一心で、小一時間程浸り続けた。型落ちipadは半身浴専用で未だ現役、死ぬまで現役。何回観たかわからない「初恋」を、春が来る前にもう一度と風呂で1話ずつ観賞中。
日本制作でも、まだまだこんな素晴らしい作品を世界に発信できるって、GDPをドイツにまで抜かれても希望的になれることあるよ、と思ってみる。大好きな満島ひかり他、素晴らしいキャスト陣、宇多田ヒカルの音楽、映像美、どれもが神。
そして、北海道を代表する花の1つであるライラックも重要キャスト。ライラックを初めて知ったのは、「掌の小説」。「ライラックの花束のような初夏の明るさ」という川端康成の一々美しい比喩よと思ったのだが、ライラックを知らんという14歳だった
初夏の陽ざしを、こんな美しい花の束に喩えるって、信じられへん美意識。ライラックの花言葉は、「友情」「思い出」だけれど、ドラマに登場する紫色のライラックだと、「恋の芽生え」、「初恋」、「美しい契り」。さすがでしかない。地上波でも、こんな風に、ググッと心を持っていかれるような作品をもっとくれと願う
「どんなキラキラした思い出も、運命の女神を呪いたくなるような理不尽なしうちも、人生にとっては、かけがえのないピース」
「遠くの星を見ることって、もう存在しない過去を見てるってことになります。」
by 也英
なんて儚い名言なんやろう。星座を見上げては、そんな風には見えへんし、星がたらんやろなどと、ぼやいてばかりな私になど、一ミリもない美しくしっとりした也英の感性が好き。
そして、また戻る。
ドラマ鑑賞には使わない脳の片隅で、「フランスの方って、なんやの。」だとか考えていた。化粧品、香水など、むせるほどにええ香りなものが多いのに、なぜこのような目にも鼻にもそうでもないものを・・・。余計な香料も、色素もいらんというフランスの方のエモーションに、薄くフランス革命の魂を見た。とりあえず、ギロチン。そんなタフな志しが現れた、外国の入浴剤はええ香りという常識を覆すものだった。
今日初めて会った方に、「肌の中から光っているみたいですね。」と言われた。私は別にハゲているわけやないので、ヘドロの効果だったのか。というわけで、悪い土産ではなかったけれど、散々ヘドロ扱いしてしまっているので、具体的な商品名は秘密にするスタイルにした。
母の口癖
母は、何往復かLINEラリーが続くと電話に切り替えてくる。フリック入力し過ぎると指紋がかすれるから、だとか変な理由をいう。私が変なのは、母に似ているからや思う。謎に毎日忙しそうにしている母はよく、「しゃかりきになって」という。話を聞きながら、「しゃかりき」て凄い言葉やなと思っている。漢字にすると「釈迦力」なわけで、釈迦のような力って物凄いパワーワードである。
「しゃかりき」を日常会話で使う人も、そんなにいない世になってきている。古くてダサい言葉になってしまっているんかなと、ふと言うてしまったところ
「そんないうても、「がむしゃら」やとなんか違うねん。「しゃかりき」がしっくりくるの。」と返ってきた。
しつこいけれど、「がむしゃら」も凄い言葉である。漢字にすると「我武者羅」で、我武者とは、向こう見ずに行動するさま。血気にはやるさま。そのような人。そんな人が何人かいる程のがんばり。
確かに母の感じとは違うし、想像すると、なかなかの鬱陶しさである。
しゃかりきになってまとめてくれたのは、一切自分からしようとしない私の分の確定申告の書類。毎年ありがとう。
むしってきた春
ガーデニング2年生なので、今までは特に気にも止めなかった色んな事に心春めく。担当先の立派な和庭に、やや毛色の異なるミモザの木があり、毎年こっそり楽しみにしている。夫人が亡くなられ、木々には差ほども興味がないので、黄色い花にも無反応。なんて勿体ない。
「あの黄色ちゃんには、ミモザの日という記念日があって、イタリアでは、3月のいつだかに男性が贈る習慣もあるそうです。他の国でも「幸せの花」と呼ばれている花です。奥様の想いが込められているはずですよ。」と、空気の入れ替えをしながら余計なことを言うた。
「そんな花なら、持っていけ。」とPCに向かったままで仰ったのでしめしめ顔わさわさと毟り(正式にはハサミで)、ついでに立派な月桂樹の枝も毟り、「原稿はいただけなくても、幸せの束になりました」と、頼まれてもいないが、お宅用にも活けてきた。
買ったものにはない物語がある気ぃがする。鍋敷きにしてといただいたけど、勿体なくて花瓶用にしている、珠さんのご主人作。ええ香りがしている。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。