バレンタイン
14日に有給希望を出したら、「バレンタインですもんね」と言われた。夫の日帰り手術の付き添いなのだが、そんな親しくない方に言う必要はないかと、写真を撮る時みたいなよそ行き顔でスルーした。古のローマで、自由結婚を許さぬ皇帝に反対したバレンタイン司教が処刑された日を、愛を表現する記念日にするという高低差に、ローマやからなと着地してみている。そして、そのバレンタインにのっかり、日本でも「あなたのバレンタインにチョコレートを贈りましょう」とブレイクさせたモロゾフの社長って凄い。モロゾフのチョコよりプリンが好き。知らんがな話である
こんないけずを拗らしておるのに、以前よりは縮小気味だが担当先には「バレンタイン」はする。先生方も妙齢になられ、やれ血糖値が、やれ血圧がだとか、ややこしい。というわけで、別にチョコやなくてもええかと、そうしている。しかし、それやと好み別にエントリーせねばならず、どっちにしろややこしい。日頃の何かしらの想いやから、個人的にはできるだけ続けていきたい祭りごとではある。
シャント手術
腎機能が低下すると、体内の老廃物が蓄積されてしまうようになり、それらを腎臓に代わり取り除くために透析が必要になる。十分な透析を行うためには、最低でも1分間に約150~200mlの血液を循環させなければならない。が、本来ある静脈には透析を行えるだけの血液流量がないので、静脈と動脈を縫い合わせ、動脈血を直接静脈に流すシャントを作り備える。
事前検査で血管の細さを指摘されていたので、採血や💉は利き手の反対側のみにして備えてきたけど、無事に自己血管内シャントが作れて薄く安堵した。「2時間ほどの予定だが、3時間になるかもしれない。」とのことだったが、2時間程で普通に歩いて手術室から出てきた夫は、親指を立てて、平気やで顔だった。
親指の付け根あたりから4センチ程切開し、橈骨動脈と橈側皮静脈を縫い合わせて作った命を繋ぐ道。感染、出血、早期閉塞・・・様々な注意を払いながら管理しなあかんわけですが、夫はわりと決まったルーティンを継続するのはたぶん得意や思うから、念願の猫をこうたように大事にする気ぃする。
血圧管理の他に、聴診器を手首にあて、埋め込まれたシャント内の血流を聴く。「サーサーサー」と流れていれば良好で、雑音が入る際は要連絡と説明された。そんな聞き分けできるんかいな、思ったがおそるおそるあてると、ほんまに「サーサーサー」いうていて、俄然聞き分けられそうな気ぃしてきた。バレンタインに夫に贈った聴診器。12色位の中から、夫が選んだのがこの色。これから、「サーサーサー」チェックも日課になるねんな。仲良くしてください、みどりさんと。
スパイごっこ
幼少期、本のページをめくるのが好きだった。芦田愛菜さんばりに読書好き少女だったわけではない。本によって手触り、擦れるときの音、日焼けによる黄ばみ具合、埃っぽさ、ページをめくるたびに起きる、あのほんのちょっとの空気の揺らぎが、なんか好きだった。というか昔も今も、紙が好き。
絵や文字を書き、印刷することにより、遠いところにいる人の想いや、知り得ない異世界の1こまが手もとに届く。薄くて軽いのに紙って凄いと、令和の世とて思っている。本になるまでの過程が地獄であることは、身に染みてはいるけれど。
幼少期に夢中になったのは、ページめくりだけではない。「こより作り」にも、まぁまぁ没頭した。ティッシュやトイレットペーパーやチラシ広告などを細長く切り、どれだけ一定で頑丈で美しいこよりにするかに悪戦苦闘した。
そんなのこさえて、どうするかといえば別にどうもしない。「めっちゃ綺麗にできた」と一瞬大喜びするのみ。一人っ子の私は、持て余す程に暇だったようである。時々祖父母の前で、こよりの先を鼻に入れ、必死にくしゃみを引き起こし、派手なへくしょんをしては、祖父母よりもツボにハマっていた。暇度合いが沼である。
両開きの食器棚の取手に、こよりを結び、スパイごっこもしていた。
「スパイは玄関口や機密書類の入った棚にこよりを結び、それがぶち切れていないかどうかを確認し、侵入者の有無を確認する」と、祖父が話していたせいである。
私は、友達のお宅や、土産でもらったお菓子などを戸棚の上段棚奥に隠していた。こよりを結びつけておけば、勝手に開け食べられたとき、すぐにわかる。まぁ一人っ子なので、勝手にお菓子を食べられることなどなかったのだが。
いつ、こよりがぶち切られるのだろうと、緊張しながら観察した。おやつ時間以外におやつが食べたくなると、自分でこよりをちぎり開け、またすぐにスパイ対策用のこよりをこさえ結んでいた。どんなに観察しても、結んだこよりは微動だにしない。どうしてスパイ(私)の秘密を狙う者が現れへんのか私は、こよりをそっとちぎる者を待ち望んでいた。
時々母が、「ちょっと、これ邪魔やからほどいていい」と問うてきたので、「うん、ええよ」と答え、戸棚上段から乾物を取り出す母を横目に、せっせとねじねじ、代わりのこより作りをした。
いつの間にか、いや当たり前だがそんな遊びにも飽き、観察もやめてしまった。せやけど、未だに細長い紙があると、無意識に強めにねじねじしてしまう。手の中で、柔らかく形を変えていく感触が好きだ、という、だから何て話を終わります。
最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。