3月24日(金)
父が亡くなって五十日です
先日二十日に五十日祭をやりましたが
正式に忌み明けの日です
五十日が過ぎたので実家の片付けも少しやりました
まずは1階の台所とお風呂場を中心にごみ袋へ処分
大事な思い出も赤の他人にはただのゴミ
ダンナの潔くポイポイを袋に投げ込む様子を見て
2010年6月に母が亡くなった時は躊躇して
出来なかった自分も今度は冷静に捨てれます
月日ってひとの気持ちも整理されて変わるんですね
週末しかなかなか出来ないですが
暑くなる前に終わらせるのが目標
連休は天気にめぐまれましたが・・
ここ数日、毎朝雪が積もっています
もうママは雪はたくさんですが、あむえむは新雪が嬉しそう
公園の中も昼間のあたたかさでアスファルトが出る程
雪解けがすすむので、最近は堤防の上をお散歩してます
まだいっぱい雪があるのであむえむも嬉しくて猛ダッシュ
ビチャビチャ季節を足短族は腹濡れが
少しでも軽減するようになるべくきれいな雪で遊ぼうね
出動出来ないので、2ワンを抱っこして
堤防まで連れて行くのは重くてちょっと大変
図書館通りの歩道の雪早くとけてくれないかなぁ
午後からは、◯わらぎ斎場の積み立て会員の契約
電話で勧められた時、契約はしないつもりだったが
1口分申し込みで5万円の無期限のクーポンがつくので
来年の2月3日の一年祭を会場をかりて
祭事を行うのでこのクーポンも貴重
クーポンが大好きだった父の仕業かな?
御霊(みたま)が神様になったお父さん
過去の写真を探してみた
結婚25年目銀婚式の時の50歳の父と母
この頃は父も会社を新築移転して
人生で一番うまくいってた時かもしれません
私も近いうちにこの年齢になります
母に似た感じになるのかなぁ
昭和35年4月4日入籍したふたり
父は立教大の学生、母は◯○薬科大学の学生
二人の出会いはダンスパーティ
イケメンの父に母もひとめぼれ
父は賢い母にゾッコンだったようです
北海道の田舎で親の家業を継ぐので
一緒なって俺の嫁になってくれと
必死に母を連れて帰って来た父
川崎の関電で働いてた両親のもとから生まれ、
疎開で茨城で幼少のころ過ごした母
24歳の若さでまさか北の果てへ連れて来られて
生涯「父に騙されたー」って悔いてました
ご機嫌な父
新婚旅行は登別だったそうだ
写真嫌いな母の少ない貴重な写真だ
子供たちがやりたいことを協力してくれた
おけいこごと、資格や進学を希望すれば、
何でもやらせてやりたいという母
私が小学校高学年になった頃薬剤師として働き始めた母
よく父をケンカしながらも家庭を守って来てくれた
父は見栄っ張りだったので姉には過大な要求をしてたと思う
進学する時、特待生で入学したかった大学も反対されて
父から離れた遠くへ行きたかったんだろう
大学出てからもずーっと戻らず就職先も関東にした姉
下のふたりは出来が悪くて自分勝手だったので
最後まで父は姉は自分の味方って思ってたと思う
3人入学やら卒業が重なる時は金銭的にも誰がどの子と行くとか
さぞかし大変だった事だろう・・・
今、こうして不自由無く暮らせているのも
母と父のおかげである
本当にありがとう!
食べる事が大好きだった父
胃袋の○○さんとニックネームがあったほど
原点はここからだったんだなーって思ってた
その父が亡くなってから
なぜか私の食欲も落ち着いてきた
なんだろう?
父が私の身体をかりて食べたい欲求を
満たしていたのかなー?
ということなので・・・
LABさん
近頃ダンナも炭水化物ダイエットに励んでおり、
お料理お持ち帰りにもなかなか難しいかと・・・
春のお庭会はほどほどでお願いします(;^_^A
蜜柑ちゃん
すみませんが、
春の遠足はほどほどの量でお願いしますσ(^_^;)