2022年12月31日
改めてこれを書いておかなきゃ
今年は終われない

と、思いまして書きます
けど長くなりました😅
今年を振り返り
昨日ブログを書いたけど
2022年本当にたくさんの
出来事起こりましたが
その中でも大きかったのは
オニオカラ再販できたことでした
当初一緒に作っていたゆきちゃんが
転勤で愛媛に引っ越し
オニオカラは2020年の年末から
休業状態に
どうにかしたいと思いつつ
2021年を過ごし
忙しいし、だんだん面倒にもなってきて
自分の心も折れかけたていた時
2022年の明けでした
新年始めてのとりの巣カフェに
まったりしに行ったら
オーナー冨美さんが
キラキラの笑顔で
ちなっちゃんが来るの待ってた!
と、言って
娘のあやかちゃんが
お店に来るお客さんに
オニオカラのことをあまりにも
聞かれることが多いから
だったら私が作っても良いかな
ちなっちゃんが来たら話してみようって
それを聞いた時
私の目の前が再び輝き出した
そこから、忘れかけていた想いが
再び燃え上がるのに時間はかからず
即効でユキちゃんに
こちらでもう一度やり直すから
色々教えてほしいんだと話した
ユキちゃんは
作り始めて一年も経たず
再婚、妊娠、引っ越しと
人生でも大きな節目を迎え
嬉しいことだけど
オニオカラの事だけが心残りとして
胸の中にあったと
ちなっちゃんが
それを繋げてくれるなら
こんな嬉しいことはないよ
私も参加できないのは
少し寂しいけど
それ以上に
オニオカラが続いていくことが
本当に嬉しい!!
ありがとう
そう言ってくれた
ユキちゃんのタイミングに合わせ
作り方を教えてもらえたのが3月
体調を崩していた娘が
こちらで療養すると戻ってきていた事も
あって
一緒についてきてもらった
オニオカラプロジェクトに
関わることで
娘も元気になるんじゃないかと思った
教えてもらった情報を
あやかちゃんにもシェアして
生地作りを担当してくれて
試作を繰り返してくれた
どうしても以前のように
硬さが出ない
作り始めて一つ壁にぶつかった
同じレシピで同じように作っても
違いが出る
お菓子作りとはなんて繊細なものなんだ!
と知った
あやかちゃんは
一生懸命試作を作り続けてくれた
温度、米粉の種類など
レシピを考案したユキちゃんもそうだけど
料理研究家と言うように
本当に研究だよなと思う
試作開始から1か月程が経ち
少し硬さは出たものの
同じようにはならなかった
けど、あやかちゃんの
オニオカラは少し柔らかい分
お年寄りや子供には食べやすい
そして、恐らくこれは
味覚から脳への伝達の
違いかもしれないけど
柔らかい分早く口の中で味が広がり
前のより甘さも感じる
詳しくはわからないけど
同じものじゃなくても良い
これがきっと新しいオニオカラなんだ
オニオカラさんも変化、いや
進化し続けているはず
何度目かのオニオカラ会議で
オッケーが出た!!
新しいオニオカラ
Newオニオカラ
良いですね!
デザイン担当のYさんから
そんな言葉が出た
デザインも一新して
少し贅沢させてもらって
ジッパー付きのものになった
中身が決まり
次はパッケージや焼きの試作
GWを目処に発売したかったけど
時間はいくらあっても足りず
なかなかそこからも
時間がかかった
今まではユキちゃんが作り
私は手伝うという形で参加し
会計はユキちゃん任せだったけど
今度はオニオカラ工房という
社名を付けて
もの作りから販売までを
自分達で始動させていくことになり
決めることもいっぱいあった
単価を決めるのも難しかった
この2年で材料の値段も違うし
今も上がり続けている
だけど、素材にこだわりたい気持ちは
譲れない
そして、5月の終わり
遂にNewオニオカラが誕生


新しいチラシやカード

購入してくれた人にお渡ししてるけど
カード5種類あります
オニオカラキャンドルもNew
主に生地はあやかちゃん
焼きは2~3人で仕上げる
娘も慣れてきて
今ではなくてはならない存在に
私には出来ないけど
作る合間にもチャチャっと
Instagramにアップしてくれる(笑)
今年はよく熱中症になり
工場の温度はかなり高くなって
夢中で焼いては頭痛が💦
どうにかしようとしたいた矢先に
具合が悪くなり
これでは焼きに行けない
どうしようと思った
少しだけ休みをもらってたけど
在庫は無くなり
どうしても焼きたいと思うように
そんな中、娘と帰ってきた息子や
友達が力を貸してくれた
工場長のツンデレRおじさんも
すごく心配してくれて
パンを焼いたあと手伝ってくれたり
家業のこと、家のこと、オニオカラのこと
私がいなくちゃと一人で頑張って
きたような気がしてたけど
一人では何にもできなくて
周りの人にたくさん助けてもらった
身体は少しずつ回復したけど
何か今後に向けてやりたいとか
夢とか希望とか目標とか
そこまではもう考えられず
毎日続けていたブログも予定も手放した
しんどくなった頃
ある父子に出会った
父がいつものごとくスカウトしてきたのだ
家で雇いたいと言う
私はしんどくて
それどころでなくて
更には人を増やすという父の考えが
受け入れられず更に目が回りそうだった
お金払えるんだろうか
色々大丈夫なんだろうか
もう限界だったので
放棄するしかなかった😂
もうどうにでもなれと思った
どんな人達なんだろうと
友達がちょうどその父子を
知っていたので聞いてみた
息子さんはどんな仕事でもできる
というタイプではないらしい
話しを聞いて、繊細な人のような
気がしたので
うちの仕事(工事業)、ましては
あの父の元ではトラブルにならないかなと
思った
息子も心身共に疲れて
こちらへ戻ってきた
もうどうにでもなれ状態(笑)
が、続いた
息子も病んでるからか
やる気も自信も無くしていて
色んな個性があって
能力とか素質とかいろいろなんだ
という話をたまたま友達から聞く機会があり
その息子さんは
やっぱり父とは合わず
父としては使えないと
思ってるようだった
自分の能力が
職種に合ってないだけなのに
残念だなぁと、思った
何かできることがないかなと
何故だか無性に思った
オニオカラだったらどうだろう
それなら働けるかもしれない
だけど残念ながら
まだまだ毎日仕事があるわけではない
けど、それを目指したいと思った
雇用まで出来たら
もっとこの地域が活性化する
せっかくそういう想いを持って
このプロジェクトが誕生したんだから
そう思ったら
急にムクムクと力が湧いてきた
今はまだ力がないけど
新しいビジョンが見えたような気がした
その頃には、息子さんはやっぱり
うちの会社では無理ということで
お父さんだけが働きに来てた
家でどうしてるかな
今度焼きに来てもらおうか
そう思っていた矢先に
突然お父さんも辞めてしまった
やっぱり父子で働ける場所が
良かったんだと思う
だけどその出会いから
色々考えたり
自分の知らなかった事を
知る機会に恵まれたのは
本当にギフトだった
オニオカラ会議で
いつか雇用できるようにという
話しをしたら
皆が賛成してくれた
よし!やるぞ!!と
気合いだけは入れてみたら
次の日県の人から突然電話があり
西阿波と言って
徳島県西部の特産品を
ブランド化していて
それにオニオカラもどうですか?
という話しだった
販路を広げたいと思っていたんですと
即やります!という話しになり
先日めでたく認定された
いろんな当たらしいものが
出来たなぁ
先日県の担当さんからメール
来年は東京でイベントがあるらしい
来年はオニオカラにとって
どんな年になるかな
今からとても楽しみだ
そして今年は販売期間が半年で
2300個販売することができた
温かく見守ってくれてる
人達のおかげです
どうぞ2023年も
よろしくお願いいたします
