おはようございます




昨日のブログにたくさんのコメント
いただきました



いや、でもあまりにも
危なっかしすぎて
ビックリしますよね笑い泣き



でも、やっぱり私は守られてるって
体感しました
気を付けますけどね!!


皆の優しさが嬉しかったです




そして父のことについても
一緒に考えてくれたりして




小さい頃は本当にお父さんが好きでした




結婚する!と言っていたのを
覚えてるぐらい(笑)
恐ろしい((((;゜Д゜)))



だけど、自我が芽生えるにつれて
きっと自分と父は似てるから
自分の一部分を嫌いになるように
父も嫌いになったんじゃないかな




嫌いと書いてるけど
本当は好きでしょう
書きにくい(笑)



子供の頃の記憶
父は競艇場が好きで
あの頃は車が一台しかなくて



母と私達姉妹は
日曜日に買い物に連れていって
ほしかった



だけど、父と一緒に行くと
いつもパチンコか競艇場で
待たされてた



薄暗くなる車の中で
母は編み物してて
私と妹達はどうしてたのかな



時間にすると、そんなに長くなかったのかも
しれないけど
その待たされる時間は
永遠のように長く感じられて
今思い出してもなんか寂しい




ある日競艇場のゲームセンターみたいな
所があって
そこでゲームをさせてもらえた
その横で父は私がゲームをするのを見てた



他に子供が数人いて順番待ちしてた



ゲームが難問にさしかかると
父が「さぁどうするか!」
みたいな言葉を言った



そしたら、その順番待ちしてた子供が
「どうもしねーよ!」
みたいな事言って笑った



私はその時悲しくなった
父が笑われて可哀想と思ったからだ
父が笑われて辛かったからだ



その場面を今でも忘れる事ができない



父は自分勝手で、自己中で不潔で(笑)
いたる所を汚く、汚す事はあっても
綺麗にすることはできない



だからそんな父は従業員からも
慕われているとは言い難い



その破天荒な仕事ぶりは
誰にも真似できないので
ある意味一目置かれてはいるんだろうけど




だから迷惑をかける父は
良く言われない



それが私は可哀想で
悲しいのかもしれない



だけどだけど
皆は皆の理由で父に振り回されてるだけなのかも



そして、その一部分だけを私は見ていて
好かれている部分も
頼りにされてる部分も
喜ばれている部分も父にはあるというのに



お父さんみたいになりたい
って声に出すと
なりたくない!って思う



笑われるのは可哀想
嫌われるのは可哀想



本当に可哀想なのかな
それは私の思い込みかもしれないね



父は幸せ
母も幸せ



私も幸せ



そう思ってるのも事実なんだけどな




私が反応しているのは
父ではなくて
可哀想だと言うことなのかもしれない




可哀想な人はいないのに



たまに思い出したようにみる夢みたいに
何かがきっかけで



そんな自分も出てくるんだよね
迷惑かけちゃいけないも
迷惑かけられたくないも




前よりはマシだけどね




昨日みのりんというキュートな女の子と
器について話した




なぜ器の話になったかというと



私が器の大きさを大切にしてるから
自分という人間の器



みのりんに言われて
確かに良く器という表現を使ってる!
って気付いたよ




改めてちなっちゃんの器想像したら
どんな感じ??って言われて



浮かんだのはこんな感じ





イメージに似てるの探したら
バカラだったわよニヤニヤ



これ、実際は小さいのかも
でも大きさは私の頭も入れた顔ぐらいだと
イメージした



これをこれからは
もっと、大きなイメージで
想像していこうと思う



今、こうやって一つずつ
自分と向き合う行動も
日々起きる出来事も



器を少しずつ大きくする為にしてるんだと
思った



大きくなれば
勝手に流れてくる
入ってくる
もっと大きな心で物事を見れる
受け入れられる




そんな気がしてるんですよ




みのりんと話していて
私の直感とか感覚って
ちゃんと、センサー働いてるって
確信できた



私が自分と向き合うきっかけを
与えてくれたみのりん



もう一人の私が部屋に閉じ籠っていて
そのドアの前まで
手を繋いで一緒に行ってくれた



だから今私は自分とたくさんの
対話を続けていけてるんだって



私はみのりんのしろまじゅつ
というカウンセリングを受けて
そう思った




本当にすべては順調だ