こんばんは~



昨日の記事に
従兄弟の作った曲を書きました




今日は従兄弟との事について
書いてみます




従兄弟は大阪に住んでいます




小さい時に里帰りや法事で
会った事はあっても
そんなに連絡を取り合ったり
という事も少なく
男と女だからでしょうか




同じいとこでも
近くにいた父方のいとこの方が
よく遊んでて仲良かったです




私が22歳で結婚した時に
その頃叔父の具合は悪かったので
従兄弟が代わりに出席してくれました




大人になってから
会うのは初めてだったかもしれません




子供の時や学生の時はお互い思春期で
まともに話をした事などありませんでした



そんな従兄弟が披露宴で
持参したアコースティックギターで




長淵剛の乾杯を
弾き語りしてくれたのですびっくり




大人になった従兄弟は
気さくなお兄さんに
なってました爆笑




それから数年後婚約者を連れて
徳島へ来てくれました




子供が出来てからも
一度遊びに来てくれたこともありました




枚方の駅で週末
路上ライブをしていると
話してくれました




そして、6年前
以前ブログでも書きましたが




私は縁あって
自作の曲を作りました




その時に聞いてもらった知人が
ギターと合わしたらいいんじゃない??




というので、
ギターを弾ける人を何となく探していて




ギターを弾ける人は割りと多く
迷ったのですが
従兄弟に会いに行ってみようと
思い立ち




数年ぶりに連絡を取り
従兄弟はビックリしていました(笑)




大阪の家まで行きました
たまに出る行動力はやっぱすごい(笑)




そこで、曲を見てもらって
すごくいいね!って気に入ってくれて




その場で簡単にセッションしてみたりして
楽しい時間を過ごして




帰り際に作った従兄弟のCDをお土産に
いただいて帰ってきました




その時は、私の作った曲を従兄弟にギター
弾いてもらって披露できたらなぁ
と、漠然とした夢も描いてたりしました




そしてそのCDを帰って聞いてみると
すべて作詞作曲で、どれも良い歌ばかりびっくり




そのジャケット名にもなっている
「できないことはしないこと」





このCDを受け取ってから
しばらくして




私は第二か第三の試練に突入する
事になりました




結婚して、子供が産まれて
ストレスを抱えて
目は死んで(笑)



また張り付けた(笑)




阿波踊り始めて
元気になれたかと思いきや
今度はそのステージで
ちゃんと学びは待っていました笑い泣き




そこから娘の事を乗り越えて
やっと世界が変わり始めるまで




私はこの従兄弟の
できないことはしないこと




この歌詞にずっと励まされてきました




できないことはしないこと
できることから始めよう
できることをひとつずつ
積み木を重ねていくように




できないことはしないこと




これを何年もかけて
苦しみながらやっていきました
当たり前のようだけど
結構深いんです(笑)



できることをやってたら
いろんなことができたから
できないこともできるかも



そう、そんな風に初めは無理だと
思っていた事も
できることからやっていたら
できるようになってきた

 


そして今もまだそんな稽古は
続いてるけど



もうあの頃とは別人だねと
言われるようになりました



だから、こんな私でも
楽に生きれるようになった
幸せになれた



何か自分の経験が
誰か一人でもいい
そんな誰かの役に立てる事があればと




今はそんな気持ちで
生きています




従兄弟との話は続きます 




今日も読んでくださり
ありがとうございました



Chika