⚫︎胎児の記憶
 
私には
 
母のお腹にいる時の
 
記憶があり、
 
私がここにいるのに
 
喧嘩しないで!
 
仲良くして!
 
と強く強く
 
願った記憶がある。
 

(離婚の話がなくなり私が生まれた)

 
 

 


⚫︎クジ運が半端なく良い

 

 

初詣の

 

懸賞付き御神籤で

 

1番が欲しいと思って

 

引き、毎年

 

1番の大吉を引き当てる
 
 
 
 
⚫︎小学校高学年の頃、
 
 
外国人って
 
どんな感じなんだろう?
 
話してみたいなぁと、
 
会いたいなあと思ったら

 

友達と遊んでいた公園に

 

2人の外国人が来て

 

皆で缶蹴りやS字をして遊び

 

英語を教えてもらった。

 

(この時、外国人のノリや

英語を良いものだなと感じた。

これは後の仕事に繋がります)
 
 
 
こうやって 
 
私 こあるんは、
 
思っていることを
ばっちり
引き寄せる子供でした。
 
 
 
ただ、
小さい頃から
 
母親からは
事あるごとに
怒られ、
叩かれたり、
お友達と比べられたり、
していました。
 
外で遊んで帰ると
母から
 
なぜ、
あんなことを
したのか?
言ったの?と
 
しばらく
お説教タイムがありました。
 
 
それでも
母はやさしいところもあり
少しは救われていました。
 
 
 
ところが
小学校4年生からは
その優しさが、
全くなくなった
と記憶しています。
 
 

怒り方も

エスカレートしていきましたね💦

何が原因で怒られているのか

 

分からないうちに髪を

 

引っ張られ、

 

ある時はハンガーで。

 

ある時はジッパーの付いた

 

ジャンバーで

 

執念に叩かれました。

 

『にくたらしい!』

 

 

『変わり者』

 

 

『言っている事が分からない』

 

 

『見ていてイライラする』

 

 

『自分の顔を見てみなさい。

おかしいから。そんな顔して

誰もあなたを好きにならない』

 

 

など言われながら叩かれました

 

なぜ折檻されるのか

理解出来なかった。

 

 

 

 

 

 

その頃 ちょうど学校でも
 
クラスの女の子から
 
『ぶりっ子』と揶揄され、
 
自分は
 
完全ダメ人間と自覚し、
 
頑張らないし
 
自信もない。
 
”どうでもいいや人間”
 
になりました。
 
 
 
 

 

 

 

中学にあがってからは、

 

 

年子の姉には

 

お小遣いをあげるのですが

 

私は貰えませんでした。

 

お願いしてもダメでした。

 

 

 

高校入学後、

 

部活を辞めると

 

家事をするのが部活

 

言われ、母は当時、

 

仕事をしていましたので

 

母に褒められたい一心で

 

家事をしていました。

 

 

 

高校でもお小遣いは貰えず、

 

交友関係も完全に無くなりました。

 

 

イベント期間中、

クラスのみんなが

外で買い食いしている

昼食時間に一人、クラスで

お弁当を食べた日のことは

忘れられません。

 

 

 

時々、お小遣いがほしいと

必死に訴えたり

 

反抗して暴れてみましたが、

色々と痛い思いをするだけで

 

無駄でした。

 

 

この頃、

 

苦しすぎて思考停止ネガティブ

 

 

 

お金の制限も

 

できてしまいました。

 

 

ただ一つ、勉強だけは

 

邪魔されない

 

自由な時間でした。

 

 

母は、勉強していると

 

何も言ってきませんでした。

 

 

そして私は大学へ進みます。