アムステルダム ソムリエ


私の結婚式は、どちらかと言うとプロポーズから結婚までノンシャランで突然でした。バカンスを一緒に過ごすような気持で休暇をとり、プロポーズされて、当初のバカンスが数ヶ月の同棲に変更になり、あっという間に式をあげてしまったのです。それだけ二人とも夢中だったという事かもしれません。


ドレスやパーティと、ウェディングのプラニングをせっせと手伝って下さったのは、身近にいらした年長のオランダ人女性達で、H夫人とB夫人、それに主人の叔母様でした。彼女達の魔法のおかげで、私は何ひとつオランダの結婚式のスタイルを知らずに、のほほんとシンデレラの馬車に乗ったように結婚式を挙げました。

夫人たちは、主人の親友の奥さんたちです。私より、ひとまわり以上年上だった主人(ex.)、そして彼の親友は、彼より更にひとまわり以上年上の男性方で、1910年代と1920年代生まれでした。奥様方は、パートナーより20才以上も若かったのですが、かくして、私の結婚式は、そこここに1920年代生まれのオランダ人のブライド・イメージが散りばめられた素敵なものになりました。


1920年生まれ、その時代のブライドのシンボルというと、1950年代のヨーロッパです。1956年には、グレースケリーがモナコ妃として結婚し、その頃オードリーヘップバーンも映画とプライベートでウェディングを。オードリー・ヘップバーンはオランダ人で男爵の家系の生まれです。ヘップバーンのオランダの男爵家が、私が結婚した土地での名家であったことから、そこではオードリー・ヘップバーンの支持が特に根強かったのですが、50年代は、誰もかもがオードリー・ヘップバーンにやグレース・ケリーのウェディングに夢中になったようです。


今でも、ヨーロッパのウェディングドレスのブランドでは、オードリーヘップバーンやグレースケリーをブライドのイメージにしてドレスをデザインしているブランドがあります。むしろ、この数年特にそれがはっきりしてきたような観さえあります。続きでは、オードリー・ヘップバーンとグレースケリーのブライダルと「永遠のブライド」としてこの二人の素晴らしい女性をテーマにしているウェディングドレスのブランドをご紹介します。




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BOOK ICON OF STYLE TO ROYAL BRIDE



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BOOK:アルバム オードリー・ヘップバーン





オードリー・ヘップバーンとグレースケリー、
日本人女性にも似合う、永遠のブライドのイメージでは♪

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アムステルダム ソムリエ  お昼の2時


アムステルダム ソムリエ  曇り空

アムステルダム ソムリエ  うんざり・・

今朝は8時に起きて、気持ちよくマイ・デイをスタートしようと張り切っていました。

ウェディングをテーマにすると、大きなボリュームになる事に気が付きました。綺麗なドレスを眺めているとそれだけで愉しいものだとも♪自身の結婚式を振り返ると、オランダでの身近な人とはいえ、数ヶ月しか知らない私のことを、先輩オランダ人女性達が、どんなに親身になって自分の経験や娘の挙式経験から、私に知恵を授けて、一緒にプラニングをしてくれたのが改めてわかり、幸福感と感謝の気持が溢れます。過ぎ去って、時が経つほど、この様なことって、人間しみじみとわかるようになるものなんですね。


今日は、最初のコーヒーフェルケアードを飲みながら、ブログ画像の整理などをし、最近時間がなくて余り見れなかったルームを見たりしていました。スタイルというのは実に人それぞれですね。実は、最近再びルームにコピー&ペーストのスパム・グリーティングがあり、正直うんざりしています。他の方のグリーティングが表示から消えてしまうほどの量もうんざりなのですが、ルームを見れば、まるでその方のページのようで目、一瞬わたしのブログなのかどうか疑いました。これって、素敵なグリーティングと言えるのでしょうか?


オランダの郵便ポストには、チラシやカタログを受取るかどうか、YES/NOのステッカーが用意されています。私は「NO」のステッカーを貼っています。そうでなければ直ぐに郵便箱が溢れてしまうくらい、チラシ攻めに遭うからです。しかし、NOのステッカーにも関わらず、強引なお店はアルバイトを雇ってチラシを入れてくるようで、しばらく見るのを忘れると大事な書類やはがきが埋もれてしまい、見つからない程になっていたりします。


実はオランダ人は日本のように毎日の新聞をとる習慣がありません。朝刊、夕刊をとりに行くという日課がないのです。最初はこれでどうやって世情について行けるのかと不安になりましたが、簡単な新聞はスーパーなどに無料で置いてあるし、また読みたければ、その日は新聞をタバコ屋さんで買う人が多いのです。TVやラジオのニュースで充分だとオランダ人は考えているようです。


こんな生活感覚のせいか、ルームに張りつけられるコピペの連続グリーティングをみると、チラシ・スパムやびっしり描かれた広告を思い浮かべ、食傷気分で一日の始まりさえ快適ではなくなってしまいます。弱いんですよ~しょぼん スタイルの違いとは言え、とても不機嫌なわたくしでした。





ほど良く空っぽな頭で始まる朝、
真っさらの一日をスタートするフレッシュさが人生の好みです。

ちょっとくらい、ルームに私のスペースが欲しいです。しょぼんあせる

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ZHウェディングドレスブティック:ソニア



こちらはロッテルダムの比較的大きなウェディングドレスのブティックです。大型店で、沢山の人が試着に来るようなお店だと、少々普通のお洋服のお買物ムードに近くなるかもしれません。でも、ウェディングシューズは予め持って行ったほうが良いかも。欧州は一日中のウェディングなので履き心地が悪くない事が大切ですし、ヒールの高さがドレス選びとスタイリングの決め手にもなるからです。


オランダでは、幸福な結婚のためには、花婿は結婚式の朝まで、花嫁のウェディングドレスを見てはいけないというおまじないがあります。でも、今では結婚前にパートナーシップを登録したり、一緒に暮らしているのも普通ですから、ウェディングドレス選びもカップルで来る人達も多いです。一緒には選ぶけれど、住んでいる家では、結婚式の朝まで着た所を見せ合わないように工夫しているようです。


住んでいる街の近くでウェディングドレスのブティックを探す時は、フィアンセやその家族に尋ねるのも一つです。また、エリアのBruidsmodeのお店を探すのに、ポータルサイトがあります。州の名前をクリックすれば、サイト登録している多くのブティックがリストアップされます。

次の2つのサイトはリンクも生きているし、見やすかったです。ポータルサイトTrouwjurkは、Trouwjurk+州名の見出しをクリック。Trouwen Nederlandsの場合は、右にある州名リストをクリックしてご自身の州のページに飛ぶと、様々なウェディング関係のリンクがあるので、その中からBruidsmode (花嫁モード)やTroujurk(en)、Bruidskledinsという見出しをたどり、花嫁ドレスのお店を見つけます。Bruidegomは花婿のことです。BruidsmondeやTrouwjurkのお店には、ドレス以外に、ベール・手袋、花嫁用の下着を置いていたり、中には参列者のイブニングやパーティドレス、大型店では花婿のスーツを置いているところもあります。





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素敵な花嫁さんのためのお店が、
見つかると良いですね♪

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NHウェディングドレス ブティック:ジョイフルデイ



サイトでウェディングドレスのブランドを眺めて、気に入ったものをいくつか決めたら、実際にフィッティングにウェディングドレス屋さんに行ってみましょう。ウェディングドレス選びは、オランダの花嫁アジェンダでは、ロケーション予約と共に、お式の6ヶ月前にはスタートすべき項目です。お直しなどで、とても時間がかかることもあるので余裕を持って。


オランダでは、店に入ると「Hello」というように、お客さん側からお店の人に声をかけるのが普通です。声をかけないお客様っていうのはちょっと品がないし、客ではなくセールスか泥棒みたいな感じがしてしまうので、何気にあたりを見回してお店の人を見つけたら、英語でも充分なので一声かけて上げて下さい。お店の人が奥にいる事も多いので、私はお店に入るとゆっくりめに、それから入ってきた事をおもむろに目立たせて( ´艸`) 目 奥にいる店員さんに向かって、柔かく”Helllo”と声をかけます。このタイミングは慣れるまでけっこう自分で間が悪く感じることもありました。レストランやカフェでの、ウェイターの上手な注意の引き方などでも、何となくヨーロッパ風の間合いとリズムというようなものがありますね、o(^-^)o



ウェディングドレスのお店(bruidsmode)は、州によって、老舗、個人ブティックのような小さなお店から、ファッションビルのような大きなものまで色々です。ウェディングドレス屋さんは、ちょっとマナーにうるさい所もあるかも知れません。お客様ではあるのですが、花嫁は一生に一度の大切なドレスをしっかりと選びにくるのですし、花嫁の心構えというものがあるべきようなのです。例えば、ウェディングドレスの試着にくるなら、予めウェディングシューズは購入して持ってくるとか、自分の予算や結婚式のスタイルと構想をしっかり決めてから来るとかです。

他のブティックよりお客さんも少ないし、予約制であったりもします。花嫁の予約がない日はクローズしているお店もあります。ウェディングドレス屋さんは、少数のお客様に、ドレスアドバイザーとして誇りをもって仕事をしている場合が多いようです。ちょっと、日本の「お客様は神様扱い」とは雰囲気が違うかもしれませんが、オランダでは悪い感じがするわけではなく、むしろ職人気質としてリスペクトされているのかも知れません。かなり、良いアドバイスを貰える事があり、自分がそれまでの固定観念で「自信を持って、自分らしい」思っていたスタイルより、お勧めの方が似合うことも多いです。いずれにしても、気の合うお店だと良いですね。




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Liotard, Jean-Etienne
The Chocolate-Girl
c. 1743-45
Parchment
82.5 x 52.5 cm
Gemaeldegallerie Alte Meister, Dresden


オランダの冬の飲み物といえば、ココアですアムステルダム ソムリエ  寒波が去って、暖かくなったとはいえ今日もココアでまったりです。


17世紀に世界初の株式会社、東インド会社や西インド会社がオランダで設立されると、アムステルダム港は大きな帆船が出入りする欧州一の港になりました。ジャワやアフリカからオランダ船によってもたらされたカカオは、最初はおいしいお薬としてヨーロッパの上流階級に珍重され、しだいに、お薬という弁解なしに、おいしいお菓子や飲み物として広まっていきます。


でも、夢のチョコレート味、手軽に飲めるココアが人々の手に届くまでには、実はかなり長い歳月がかかったのです。何万人ものチョコレート・ラバーズ、ココアの夢を庶民の手に届くようにしたのはバンホーテンです。1828年、C.J. VAN HOUTENは、カカオ豆をスムースなパウダー状にする技術を発明し、アムステルダムに、世界最初のバンホーテン・ココア工場を作りました。マックシェイクも、バンホーテンさんがいなければ存在していなかったかもしれません。昨年 バンホーテンは輝かしくココア180周年記念を迎えました。アムステルダム ソムリエ


写真上はJean-Étienne Liotard が描いた、1743年頃のココアを運ぶオランダのウェイトレスです。Jean-Étienne Liotardはスイス人画家で 1755年から72年まで18年間をオランダで過ごしました。アムステルダム国立美術館にもいくつか作品が残っています。



日本にはこんなのがあって、羨ましくて仕方がないのです。
オランダにはありません。しくしくしょぼん
告白いたしますと、缶コーヒーもないんです。

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クリームに金色の缶がバンホーテンのトレードマーク。
戦後アメリカから日本に持ち込まれた頃のビンテージ・カラーです。


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オランダでバンホーテンが出しているビンテージ缶はこんなのです。


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ココアと言えば、バンホーテン!!

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