ヨーロッパの貴族性と美食の関係は深い。東京はミシュランガイドで驚くようなグルメの都市として認識されたが、ミシュランが日本の懐石に恋をしたのはこのアムステルダムだ。
ホテルオークラ アムステルダム、Yamazato まだ今のように欧州人がお刺身に箸をつけることがそう普通ではなかった頃、アムステルダムの大島晃氏の懐石料理にミシュランは目覚めた。日本でのミシュランの星々の出来事を遡り2002年の事だ。
今世紀になって日本の懐石料理とその習慣がヨーロッパで受け入れられる様子は、17世紀オランダの黄金時代に「お茶と喫茶」の習慣が、欧州貴族の間に広まった様子にどこか似ている。
今では「英国の紅茶」と言われるお茶と、お茶を頂く習慣そのものである「喫茶」は、1596年オランダ人リースホーテンが「航海記」の中で、「日本における喫茶の風習」として初めてヨーロッパに紹介した。VOC東インド会社の船が、平戸からは日本茶をマカオからは中国茶を持ち帰ると、オランダ人は自国でお茶の習慣を愉しみ始めたのだ。1640年頃にはハーグの上流階級で「喫茶」が流行し、オランダの裕福な階級の自宅には「茶室」があったと言われる。この習慣はすぐにフランスの宮廷やドイツにも伝わり、ハーグで「喫茶」の習慣を学んだイギリスの亡命貴族やアーリントン卿が、オランダ貴族の間に流行していた茶会をイギリスに紹介したのがヨーロッパのお茶と陶器の歴史の始まりだ。
大島晃氏は、2006年オランダの女王陛下ベアトリックスから騎士の称号Ridderを授与されている。
Sir.Akira Oshima -Ridder in de Orde van Oranje Nassou 日本の懐石の習慣と文化をヨーロッパに紹介した歴史が、茶の文化の紹介からおよそ4世紀を経て再びアムステルダムで始まったことは、とても美しい歴史の一幕ではないだろうか。女王陛下の思いは、騎士の称号の中で美しく極められた。
Ridder in de Orde van Oranje Nassau
Knight of the Royal Order of Orange-Nassau