智慧の法より抜粋

 

1 「知的生産」は、「知的な生活」とどう違うか

 

  「価値あるもの」を、この世に生み出せるかどうか

 

 私は、2010年には、年に229回もの説法を行い、翌2011年には、選挙の応援演説がなかった関係で少し減りはしたものの、216回もの説法を行いました。それ以降も、毎年、同程度の回数の説法を行い、書物も数多く出して、「知的生産」を続けています(注。発刊した著書は、2014年12月時点で1700冊を超えている)。

 本書のテーマは「知的生産の秘訣」ですが、非常に大事な話です。

 このテーマで述べると、本で言えば、おそらく、2、3冊ぐらいないと終わらないほどの内容になるのですが、それを全部、一挙に出してしまうのは興ざめなので、とりあえず、一章分ぐらいを述べることにします。

 また、かつても似たようなテーマについて、折々に少しずつ述べたことはあるかと思います。

 私のように、1年中、講演等、いろいろな説法をし、書物もたくさん出し、そのほかにも、さまざまな考えを練って仕事をし、教団等を運営している者にとっては、「知的な生産」というのは非常に大事なことです。

 「知的な生活」そのものは、本を読んだり、いろいろな勉強をしたりする時間帯を生活に織り込むことで、可能になるとは思うのですが、「知的生産」になると、それだけでは駄目であり、要するに、何かを生み出さなくてはいけないのです。「生産物を生み出す」という意味で、それには「生産性」が必要です。

 別の言葉で言えば、「価値あるもの」をこの世に生み出すわけなので、「付加価値を生み出さなければいけない」ということです。

 「勉強しているだけでよい」というのは、知的生産までは至っていないのです。

 受験勉強も、いちおう勉強ですが、テストを受けて点を取るだけであり、「生産」をしているかどうかは、何とも言えないところです。「確認」はしているかもしれませんが、「生産」までは至っていないかもしれません。

 ただ、「テストの問題をつくる」というようなことになると、かすかなりとも知的生産のほうに回っているとは言えるかもしれません。