見える世界と見えない世界
現実と思考の世界
ここ1ヶ月とっても忙しい日々を過ごしていました。
忙しさのあまり、どんどん手作りしていた食べ物が、レトルトやインスタント食品に代わっていった。
そして、気づいたら全ての余裕がなくなり、朝起きられなくなった。
非常勤講師として学校で働いていた私は、出産休暇に入る先生の代理で、一年生の担任になった。
最初はとっても楽しかった。
色々なことが新鮮で、とても充実していた。
子どもたちも可愛かった。
二週間が過ぎだすと、どうにも食事までエネルギーが行き届かなくなった。
なるべく添加物や保存料が入っていないインスタントを選びながら、週末は美味しいものを食べて復活していた。
三週間目が過ぎると、コストコに初めていった。大量のストック食品を買った。
家に帰ってくると、ストレスで、大量のチョコレートやらクッキーやらを欲していた。
血糖値を上げないと、体が動かなくなっていた。
お風呂に入るのも、洗い物をすることも、、、
家のことが色々と億劫になり出しながらも、なんとかこなしている状態。
子どもをコントロールしないと進んでいけないという状態に陥って、どうしたらいいのかわからなくなったり、、、、
そんな状態の時だった。
一人の保護者の方とトラブルになった。
なんとか、軌道に戻したが、次の日、もう身体に不調が出ていた。
メンタルの不調が、あっという間に体に出てきて、腹痛から始まり気力が回復するのにとても時間がかかった。
この一連の流れって、保護者の方が悪いとかではなく、全て、本当の自分がやりたいことからずれている時に起こる不調和なんだよね。
全ての出来事は起こるべくして起こる。
それを、しっかりと受け止め、自分の中で、本当にやりたい事を問う時間になった。
学校教育の中にいると、外れたり、失敗したりすると、正当レーンから外れた自分に許せなくなったりする。
なんだか、ダメっていうレッテルや自分が無能人間に思えたりした。
そう、それが学校教育の怖いところだなって思う。
いつの間にか、自分という価値を忘れてしまう。
与えらえたことをどんどんとこなす日々
いつの間にか、自分は何をしているんだろうって、、、
多くのマニュアルに囲まれて、クリエイティブな発想力にどんどん蓋をしてしまっていることにも気づいていない。
何が何だかわからないけど、周りのみんなと同じだと何故だか安心する。
そして、自分だけがそこから外れてしまうと、途轍もない焦燥感に襲われる。
こんな時こそ、ヨガの呼吸。でも、昨日までは、全然出来なかった。
それって物質世界にどっぷり浸かっていて、何も見えていない状態。感じていない状態。全てが不感症なんだよね。
自分の不調に気づいたら、先ずはクリアリング。
今回は、手始めに気になった本を読んでみる。
メタ認知、心理学、言語学を統治しながらのセルフコーチングで、意識を整える。
そして、続いて映画を4本くらい見た。 全てマーティン・スコセッシ監督
「シャッターアイランド」ディカプリオは本当に俳優として素晴らしいなって思う。
(一緒に見ていた娘も、「この人顔全体をつかって細部ですごい表現しているね」と言っていた。)
そして、ある時点から視点を変えてこの話の真相に入っていくのだけれど、自分がどの時点でその事実に気づいているかが分かりだすと監督の奥深い表現力に逸脱される。
「沈黙」もとっても良かった。原作が遠藤周作だったのは知らなかったが、キリシタンによる踏絵がなぜ行われていたのかがよくわかる。
ただ単に異教を排除したかったのではなく、盲目的な教えから、人々を目覚めさせたかった意図があったのがわかった。
本当に、出来事の背景を知ろうとしなければ何も見えてこない。
「テネット」「インターステラー」のクリストファーノーラン監督も大ファンだけれど、今回はスコセッシ監督の奥深い心理描写にノックアウトだった。
次の日は、近くのケーキ屋さんにお茶をしに行った。繊細な感覚で入れてあるクリームの中のリキュールの味に気づくようになった。
そして、今日は、雨で濡れた梅の花を通り過ぎたら、とってもいい香りがした。
自然の香りに癒されている自分の軸に戻ってきた。
今回は、大分深くまで、物質世界の中に浸かっていたな。。
おかえり私。
明日は、久々に雪山に行く予定。
自然の中にどっぷり浸かってこよう。