”リウマチ的性格。” | 治療家 菅真美の デイリーアロマティックライフ

”リウマチ的性格。”

リウマチ気質について、おもう所アリ。

 

どんどんと格差が様々な種類にわたって大きくなっています。

 

ひとは経験によってしか学べないものですが、

更に 本当に余裕が無く合って来ると他人への気遣いなど出来なくなってきます。

 

辛い思いの人が「自分を諦めていく」という非人道的な自己責任のありかたが、

問題であり、スマホの中に自分がいるような、自分以外は別世界のことという

冷淡さの人格障害を形成しているように思えてなりません。

 

 

辛さを口にしなくなる理由は日常の中に在ります。

 

ネガティブなことを発するものでは無いと言う周りへの気遣いが生じるからでしょう。

周りの家族も愚痴を聞くのは沢山だと言う反応を気を遣うことも多いにあります。

日常的になんて真っ平ご免だと思ってしまうからです。

 

それではどこにぶつけるか?自分の思い通りにならない身体です。

自己免疫疾患。リウマチや慢性疲労症候群、肩こりからの不定愁訴、外傷の後遺症などなど,,,,,,,,,。

 

 

 

日常の辛さに耐える方からすると、充分すぎる身体の痛みに加えて

周りへの気遣いという痛みまで抱えてしまうのです。

 

この解らない「痛み」に対する処方こそ

ヘイトクライムの根っこのようだと思わずにはいられません。

 

個々の痛みは共有できないものですが、

地球の上に暮らす、ましてや同じ日本語を話すもの同士、

家族という仲間、地域というコミュニティー、公共と言う社会の受け皿で

 

「慮る」ことくらいしてもいいと思うのです。

私自身「聴く耳」くらい最低でも持っていたいと思います。

 

 

本人にしかわからないからこそ、わかって貰えるまでいってください。

 

痛みの周りにいる人々が 言いたいのに言えない雰囲気をつくることのない

優しさを持ってもいいのではないでしょうか。

 

これは小さな気遣いではあるものの、

世界を変える、大きな気遣いになっていくと思います。

 

膠原病の方が非常に多くなっているのを感じます。

 

気質の問題は誰にでもあります。

それを諦めろと突き放す必要など全くないのです。

 

各々の気質を活かせる様な場を作るのは、最も大事な受容性だと思います。

優れた社会だと思います。

 

自分の身に降り掛からないとわからない社会の鈍磨した感覚。

わからない相手のせいにするという社会の風潮。

こんな事が続いていったらだれでもいたたまれなくなる、精神力の疲弊

をしていくのでは無いでしょうか?

 

少なくとも私は一回は一緒に考えるべきだと思います。

関わって結局損したと思う様な事もありますが、それは単なるコミュニケーションの不一致ではないか?という振り返りがあるべきだとも思いますし、これ以上は無理だと言う線引きをしながら、わかろうとしよう、共に在りたい、とは思っています。

 

 

amritessence

 

アロマセラピスト  菅 真美