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障がい児を育てるアムリタの本音が詰まった
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~前回のお話~


高校に入り、もしやイジメなのか?と思った日々から何故か状況は面白くて楽しい状況に一転した人間模様についてお話させてもらいましたニコニコ


そして本題!

家庭環境から…。


そもそも進学出来るのか?


今回は、パンクロックや高校の人間模様ではなく、現実的な進路を決めるまでのお話です。



私の父は45歳で人工透析になってしまいました。

もともと腎臓未発達の持病からです。

不摂生していた訳でもなく、生まれつき身体が弱かったことが原因でした。

福島から集団就職で東京にやって来た父。

学歴は高卒。皿洗いをしたり、小さな会社に潜り込んだりの後、日立系列の工場に中途採用で入ります。

もちろん出世街道はありません。高卒の中途だから。その話は、私が子供の頃から幾度となく聞かされていました。



人工透析は、4時間近く時間をかけて、体内の血液を全部機械にかけ濾過して戻す、それを一生やらなければならない。

仕事に行きながら出来るものなのかも、当初話し合いの中心になっていたようです。



ほどなく知ったこと、それは人工透析患者は、「身体障害者1級」に該当するということ。人工透析自体の医療費はかかりません。

この制度がなければ、父はすぐに亡くなっていたと思います。

そして、企業は障害者雇用の義務があり、%はかなり低い時代でしたが、父は自らの病と引き換えのような形で、運良く本社勤務に異動となりました。

もちろんお給料が上がるような待遇などではなく、庶務の仕事をすることになります。なんとか家族を守れるギリギリだったと思います。



そんな中、高1から進路を考えるよう言われていた私は、家庭の経済状況からして、そもそも進学が出来るのか悩みました。

私にも落ち度があって、高校に入ったところから、数学がからっきしになってしまったのです泣

同じく物理もです…。

数学は常に赤点、補習組。学年の中で下から数えた方が早い。



家庭の経済状況から、進学するなら国立大を目指すべきなのに、私にその頭がなかったえーん

残念極まりないです。



それでも両親、特に父は「進学したいならなんとかするからお金のことは気にしなくていい」と言ってくれました。

高1の初めての進路面談では、私は父のこと、家庭の状況から大学に行けないかもしれないと先生の前で思わず泣いたことは忘れられません。

ひとまず短大とか、何か方法はあるよと言われ、一体どうしたらよいのか、ますます涙は止まりませんでした。



バブルの恩恵


少し経ってから、状況が変わります。

私自身はバブル時代を体感したことはありませんでしたが、その頃、母がもともとパートで事務員をやっていた小さな家族経営の会社で正社員になりました。

ポンプの会社でしたが、その会社の業績が上がり、簿記3級しか持っていない母が、ボーナスなら一度に50万くらい、いただく時代となったのです。私は今だかつて、そんなボーナスもらったことありませんwww

これはおそらく、私の家がわずかながら受けることとなった「バブル」だったのではないかと思います。



そして父の果たせなかった「大学進学」、もうここはメソメソせず、進学していいという両親の愛情に甘えることを決めたのです。



さすがに中学の頃のように予備校に通わせてもらいたいとも言えず、自力で勉強していましたが、クラスの同級生に、「英語の偏差値10はすぐ上げられる」塾あるよと聞きました。

本当にそんなところがあるなら通ってみたい!!

最終的に、私は英語で受験を乗り切る結果となる、「英語塾」と出会うのです。



クレオパトラ


その塾は、私鉄の駅二つ分くらい、自転車で通える距離にありました。

開業されている歯科医院の中に作られた別室で、会議テーブル4列くらいしか入らないような、とても小さな部屋でした。



先生は、三人のお子さんを育てる歯医者さんの奥様で、下のお子さんはまだ3歳くらいだったと思います。

東京外国語大学卒、見た目に凛と美しく、とっさに浮かんだイメージはクレオパトラ。

またこのクレオパトラ先生が厳しいガーン

辞書がボロボロになるくらい読め、テキストは隅から隅まで、英文、単語の意味も辞書に書いてあるものは全て覚えろ、そうすれば自ずと英文は読める、というスタイルで、私はその日から分厚い辞書を片時も話さず←ちょっと盛りましたてへぺろ、テキストはお風呂でも読めるような薄くて小さめのものだったので、お風呂でも読んでいたのはほんとです。



授業はテスト7割で終わります。

宿題でどこまで覚えてくる、と指定されたところを覚えていかないと授業に参加する土俵にも上がれない。やってないとバレるので正座。

昭和スタイルですね笑い泣き

ここで注釈: 同学年は4名。私以外は、早稲田政治経済学部、東京外語、獨協大学など、みんな広く知られる学校に進学していました。



本当に英語の偏差値はあっという間に上がりました。一緒に通ってた同級生二人と私、英語だけなら学年の10位以内には必ず居たけど、相変わらず私は数学、学年ビリから数えた方が早い、極端な成績を叩き出します。



日大芸術学部


ロックが大好きな私は、音楽雑誌の編集者に憧れを持っていました。

当時は何冊も人気の雑誌があり、その記事を読むのが楽しみでならないアップ

私にとってはある意味教科書のようです!!

お小遣いは、全て音楽雑誌と、レコードに費やした青春です。



そんな私は、同じ英語塾に通う同級生のお姉ちゃんが、やはり同じ英語塾を卒業して、テレビ局に入りたいから日大芸術学部の放送学科へ入ったと。



びびびっと閃きが降りて来たのです⚡⚡⚡



そうだ日大芸術学部を目指そう。



父からの反対


なんとか娘に大学進学させてやりたい、と心に決めた父、その気持ちに甘えて進学を決めた娘。

ところが、父はパンクロックも芸術も、まったく縁がない人でしたので、私立なら六大学、学部はよく分からない、けれども芸術が将来役に立つとは思えない!という理由で猛反対を受けます。



でも私も思ったら一直線!なところがあったので、日大芸術学部しか頭になくなってしまいました。調べると学費も高いのに…。

何度となく父と話し合い、結局は娘の意志に根負けした形に収まります。

日大芸術学部は、国語と英語と論文。科目はこの3つ。英語塾で偏差値をぐっと上げた私には、この科目ならなんとかいけるのではないか、という思惑もありました。

経済的負担から考えて、浪人だけはない。

そう固く心に誓った高1の終わり頃です。



写真


音楽雑誌の編集者に憧れを抱いていたものの、人気の編集者さん、ライターさんはめちゃくちゃ有名大学卒なこともあり、英語がちょっと偏差値上がったくらいじゃ太刀打ち出来ないというところにもたどり着きました。



日大芸術学部、これはなんだかもう頭から離れない。学科どうしよう、しかも絶対浪人出来ない。

いろんな状況を踏まえて一つの学科が浮かび上がります。



音楽以外にビジュアルの世界にも心惹かれる私も居たので、「手に職」という技術を身に付けるのはどうか。

そこで写真科を目指すことにしました。

偏差値も、クリア出来そうだし、技術は学校に入ってから学ぶものだと。 

単純にそんなことを考えていました。

祖父からもらった古びた一眼レフで、日曜日にはどこかへ写真を撮りに行く。

これ、今思えば、ただの趣味の範疇を越えない笑


前回のお話に登場した、特別な存在で幼なじみのあっちゃんが私の家にやって来て、何を思ったか○○美大受けなよと。

願書受け付けギリギリでした。

受験科目は、日芸と一緒の国語、英語、論文だったので、言われるままに、○○美大を受けることにしました。



その後、私はあんなに日大芸術学部を早くから決めていたのに、辛辣な話をされることになります…。




面接で聞かれたこと


日大芸術学部は面接もありましたので、その面接の際に、写真学科を選択されてますが、カメラマンさんとか、身近にそういった関連のお仕事されている方いますか?と聞かれました。


私は、「居ません」と答えるしか術がなく。

事実ですから。

両親はサラリーマン。芸術とはまったく縁もゆかりもない。

そういうカメラ関係の人が身近に居ないと、難しいですよ、と。辛辣に感じたけど、これもまた事実。



実際は合格しました。ただの偏差値で。



でも、その特殊な世界で活躍するなら、「素養」って必要なのかもしれない。

この世の中は、もちろん自分でやりたいことをやっていいし、夢を持つのも自由。

私は「手に職を得られれば」などと写真分野を見ていたことを恥ずかしく思いました。

その表現者の世界、職人の世界に対して。



高1で日大芸術学部を目指すことを決めて、その後学科を決め、邁進したけど、どこか方向違い。

そこへ幼なじみからの助言で美大への変更。



私は結局、何を目指していいのか、その素養すらあったのか結論づけることが出来ないままに、○○美大へ進学を決めました。

浅はかだったけど、その頃私が懸命に考え、たどり着いた道だったと思います。



しかしその後、偏差値だけで美術大に入った私は、見たこともない世界に翻弄されることになりますびっくり

続きますキラキラ


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