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~前回のお話~
4歳でピアノと出逢い、大好きなピアノを一生懸命練習していた私が、なんでなんでパンクロック!?
受験勉強とパンクロック大好き少女の二束わらしをはくことになったお話でした。
今回は、中学校の大切な想い出や、いよいよ高校受験突入について、お話させていただきます。
ぜひ、お付き合いください
特別な友達。
小学校1年の時に初めて同じクラスになった「あっちゃん」という女の子の同級生が居ます。
あっちゃんは4人兄弟の長女で、私は3人兄弟の長女。
不思議なことに、私とあっちゃん以外の下の兄弟達も、それぞれみんな部活だったり同級生だったりと、当時みんな繋がっている友達でした。
あっちゃんは、とにかく小学生の頃から、めちゃくちゃ絵がうまくて、洋服なんかもどこで買ってもらっているのか、一線を画したおしゃれ番長(言い方古い)でした。
だからと言って、私は特別、のような感じもまったくなくて、一緒に船橋ららぽーとへ遊び行ったり、お互いの家にあがりこんだりしていました。
部活も一緒に「ソフトボール部」へ入り、あっちゃんはファースト、私はセカンドをやってました。
今でも思い出すのは、ある時、あっちゃんの部屋へ行ったら、扉いっぱいにアクリル絵の具で絵を描いていました。
え???家の扉に絵、描いていいの???ヒジョーに常識的な思想の私はびっくりしました!
そして、その発想、センス、才能に、友達だけど、ものすごく憧れを持ちました。
私は逆立ちしたって、そんな発想もセンスも持ってないなぁ、と。
後に私が美大へ行くことになったのも、このあっちゃんの助言あってこそです。
同じ小学校に通っていても、同じ長女でも、特に何かが大きく違わないのに、生まれながらに持っている「表現力」、素養というのでしょうか、その「違い」に初めて気づいた瞬間です。
面白いもので、自分にない才能を兼ね備えている、自分にはそれがない、そこには私が散々向き合うこととなる「理不尽」のかけらはありません。
ただただ、違っているけど、輝いているものを持っていることは素晴らしい!!
この一言に尽きます。
その後、実は〇十年経った後、不思議なことに、あっちゃんの二人目の子供も私の子供と同じダウン症だったことを知ります。
その〇十年の間には大学時代、その後メールだったり、あっちゃんが日本に帰って来た時に電話で話したりと続いていきますが、しょっちゅうという訳にはいきません。
あっちゃんは大学卒業後、アジアへ旅に出てそこで出会った現在の旦那様(スイス人)と20代後半結婚し、現在もスイスに住んでいるからです。
SNSとか、今ならどんな方法でも海外在住だからと言って連絡手段はいくらでもあるけど、当時はメルアドが変われば、あっという間に連絡先が分からなくなり、いつだってあっちゃんの実家経由で連絡取るくらいになっていったのです。
同じダウン症の子を授かっていると同級生から聞いて、あっちゃんちに連絡してみましたが、結局あっちゃんから連絡はありませんでした。
私は、これはきっと「こういう運命」を決めて生まれて来たからこそ出会った特別な友達なんじゃないか!と沸き上がりましたが、逆に、そのことを知ったあっちゃんは音信不通となりました。
この先はどうなんでしょうか。
もしかしたら、またどこかで繋がるかもしれないし、繋がらないかもしれない。
今となっても、私にとってあっちゃんは特別な存在なので、どちらでもいいです。
特別な存在だから、どちらでもいいのです。
あっちゃんはスイスでデザイン事務所で働いているはずです。陶芸もやっていて、相変わらず「自分のセンス」を発揮していると思います。
それは私にとって、とても輝かしくて嬉しいこと。
友達として、その一言に尽きます。
ただ、生まれながらに「表現力」を兼ね備えているあっちゃんの子供なら、ダウン症を持ってしても、スイスの地できっと素敵に光輝いているのが私には分かります
受験勉強まっしぐら。
皆さんの周りに「神童」って言われる子、居ませんでしたか?
私の同学年には居たんです!!
あ!「神童」とは呼ばれず「マロン」という愛称で呼ばれてました
それはマッシュルームカットの可愛い見た目からの「マロン」。
マッシュルームとマロン、違いますけどね
マロンちゃんは、生徒会長もやっていたけど、本当に嫌味な感じがなくて、みんなに愛される男の子でした
マロンちゃんは、結果塾なんて行かず、千葉県の一番偏差値の高い高校に行き、ストレートで東大に入り、ストレートで司法試験に合格し、現在も大きな売れている弁護士事務所にいるそうです。独立は何故しないのか…。余計なお世話ですね
確かお父さんもお兄さんも東大で、お母さんだけ学芸大とか。
「お母さんだけ学芸大」って、もはや次元が違う
さて、私は当然「神童」などでもなく、努力しなきゃ風で吹き飛ぶ、うっすらした感じだったので、必死に勉強しました。
私の通う中学は13クラスもあって、もろに「ベビーブーム」です。
単純に計算したら40人×13クラスで1学年に500人以上!?居るんですかね。きっと一度も話すことなく卒業した人も居たはず…。
そんな中学が身近にいくつもあって、それは市となり県となり、もう倍×倍ですw
偏差値競争。
ちょっと話変わりますが、うちの子が産まれて翌日には「ダウン症」と告知されました。その時、一番の喪失感は「あ、うちの子、受験したり就職したり結婚したりがないんだな」ってことでした。
今となって思うことは、この偏差値競争の無い我が子、ちょっとニュータイプなのかな?って。
現在の子も偏差値競争あるんですかね。ありますよね。
私の頃は、今の韓国まではもちろん行きませんが、偏差値こそ全てのようなところありました。偏差値競争に参加する人、偏差値競争から離脱する人の二つだったように思います。
塾の友達や同級生で成績を競ってるような人とは、正直に話さないんです。
昨日も勉強しなかったよー、その問題まだやってない、なんてね。
で、次の模試でガーンと成績出す、のような。
まだ子供に分類する年齢に、探りを入れたり嘘言ったり。
今思えば健全さ0で、なんで探り合いしなきゃならないのか、意味を考える暇もなく、なんとなく周囲に呑まれてそうしてました。
そんな受験まっしぐらを振り返り、馬鹿らしい、とまでは言いません。
それがその時のリアルだったので。
ただ、私は我が子の障害を告知された時に、そういう受験や就職や何やらがないのかと落胆したことは間違っていたなと、今ならはっきり分かります。
偏差値競争、確固たる自分のポリシーがないなら、参加する意味ないかなって。
とは言え、私はどっぷり飲み込まれました。
偏差値第一!!たいした数字出せなくても、その土俵から降りられない
そして・・・。
晴れて志望校合格
中堅どころだけど、そこそこの進学校。
私は十分満足しました
だって、偏差値競争に揉まれながら、パンクロック聞きながら、志望校に合格したんだもん
合格発表の翌日の出来事
いろんなこと我慢したつもりはないけど、やっぱり時間は費やしました。
それは志望校合格の為。神童じゃないし
あぁ、春休み、勉強のこと考えないで思いっきり少女漫画読んだりロック聴いたり、はたまた何も考えないとか、朝起きて何もしないとか、そうやって自由を満喫するんだーーー!!!
って単純に思ってました。
もちろん、合格発表当日には家族にもたくさん喜んでもらって、幸せ絶好調!!
ところが、翌日に、私の家に父方の祖父、母方の祖父がやって来て、突然告げられました。
誰がはっきり言ったのか覚えてもないけど、私の父は元々身体が弱く腎臓未発達というものがあり、高血圧と戦っていた経緯は子供ながらに知っていましたが…。
いよいよ人工透析になると。
父、45歳、私、15歳。
そうなると、普通に今の会社で働けるかどうか。
明日から私の家族は、父は一体どうなるのか。人生一度目の「青天の霹靂」だったと思います。
あんなに受験勉強頑張ったのに、合格発表の翌日には、私は重く沈んだ気持ちしか持てず、将来ってどうなるんだろうと、答えも出ない疑問がぐるぐると渦巻いてしまいました。
母方の祖父は「○○くん←私の父、死んでくれるなよ。」と渾身込めて、父に言いました。
父は、人工透析になる告知を受けて、上野公園のベンチに1人座り、桜の花びらが散る中、どこかで練習しているのか、流れてくる合唱を聴きながら涙が止まらなかったそうです。
最後までお読みいただき、
ありがとうございます💖
次回、いよいよ高校に入学します。
そこで待っていた物語は…
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