あの地震から今日で15年。
昨日は当時の神戸新聞社を舞台にしたドラマ特番が放送されてた。
あの日、震度7という激震を身をもって体験したものにとっては、
ドラマの内容よりも、ドラマの中に出てくる当時の人々のドキュメント映像が胸に響く。
震度7という揺れは、
一般的な地震の揺れとは、根本的に違う。
それは、揺れというよりは爆発に近い。
あの日、暗闇の中でゴゴゴゴゴッと大地の叫び声のような音が響いた。
直後、ドーンという爆音とともにカラダが上下左右振り回された。
気がつくと、大型の本棚の下敷きになってた。
そこから這い出す時におったガラスの擦過傷に気がついたのは、
日が昇りはじめた時だった。
すべての部屋がおもちゃ箱をめちゃめちゃにひっくり返したようになってた。
とにかく情報が欲しくて、
車を走らせて街に出ようとしたが、
自宅マンションから200Mほど降りた道は、
家の残骸がなだれのように崩れ落ち、
寝巻き姿の老婆が呆然と立ち尽くしていた。
その光景をヘッドライトの中に見た時、
何かとんでもないことが起きたという実感がわいた。
夜明けが近づくにしたがって、
暗闇に隠れていた街の様子が少しづつ明らかになってくる。
そこは、
昨日までとはまったく別ものの街に変貌していた。
あれから15年。
今でも思い出すのは、
地震から2週間ぐらいたった頃、
宝塚の街中でみかけた数多くの他府県ナンバーの消防車や救急車、
援助物資を積み込んだ自衛隊のトラック。
電気もガスももどってないけど、
日本中の人が僕らを助けてくれようとしてる。
人を救うのは人しかいない。
電通関西チームが創ったCMは、
傷ついたものだけが知る心の声だった。
...
