おはようございまーす!

さこぴですニコニコ飛び出すハート

 

 

 

 

 

 

 

最近よく思うこと

 

 

 

 

それは、

仕事ってお金を稼ぐための目的のうちのひとつなんだな

 

ということ

 

 

 

なんて当たり前のこと!だし

 

 

それはずっと前から知っていたことなんだけど

 

 

 

 

でも、

私の中では

もっともっと複雑なものとして捉えていて

 

 

お金を稼ぐこと

生活のため

 

 

よりも

 

 

安心のため

認められるため

役に立つため

 

 

という

 

 

自分の不安を埋めるため

1番の目的になっていました

 

 

 

 

 

 

 

私は高校を卒業し、

看護師になるために看護学校へ進学して

 

20代は看護師として働き

30代も2年ほど看護師の仕事をしました

 

 

 

 

私が大人になったら看護師になりたい!

と言い出したのは、幼稚園の頃からで

 

 

七夕の短冊にも、卒業文集にも、進路選択の時にも

看護師一択で

 

 

表面的には一貫してなりたい職業のようになっていました

 

 

 

 

 

 

 

私の母(母も看護師)は口では

「お母さんは看護師になって欲しいとは言ってない」

「看護師は自分で気づいて動ける人じゃないとできない」

「人に頼まれてできる仕事じゃない」

 

とよく言っていて

 

 

 

 

だから私は、

自分で決めて看護師になった気がしていました

 

小学生の頃、中学生の頃、それ以降も

 

軽く看護師以外の職業のことを話すと

 

 

「看護師になるんじゃなかったんだっけ?」

「何その仕事、それで生活していけるの?」

 

という母からの反応に

いけないことを話してしまったかのような気持ちになって

 

 

実際の私は看護師以外を選ぶことができないだけでした

 

 

 

 

今振り返ると

私の母は

 

 

自分の知らないものを否定してしまったり

 

母のわかる範囲外のことに不安になったりするし

 

そもそも子供の話を尊重して聞ける心の余裕がなく

 

 

 

「そうなんだー」と話を聞くことができず

母が私の話を否定するのはすごく当たり前の状況なんだけど

 

 

 

 

でも、当時の私からすると

 

 

看護師以外の仕事を選んだら私は母から嫌われる

もっと否定されたり、非難される

見捨てられてしまう

 

 

と不安や恐怖でいっぱいでした

 

 

 

 

 

ものすごく縛られまくっていたけれど、

自分でハッキリ意識していたわけではないので

 

なぜか看護師以外を選べない

他の職業が怖い

他の仕事をしてる私なんて。。。

 

というような漠然とした罪悪感の圧に

怖くてずっと自分を否定してばかりでした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今の仕事は

このブログでは何度も書いているけど

 

倉庫で商品のピッキング作業で

 

仕事自体は繁忙期や忙しい時はあるけれど

比較的すぐに作業が終わって

そこまでカツカツでもなく、ノルマもありません

 

 

勤務時間は

1日4時間、週に4回

 

給料の額は扶養内の範囲内で

短時間のパートです

 

 

 

多分うちの母にはよくわからない仕事だと思います

 

現在の母だったら

「へえ」とか「いいんじゃない」とか言いそうだけど

 

 

私の脳内の母には、1ミリも理解ができないだろう仕事でもあります

 

 

 

その職場で仕事をしていて、

(もちろん一部の人としか話していないけれど)

 

 

職場にいる人たちは

・生活のため

・お金を稼ぐため

 

に仕事をしているのがわかって

 

 

この仕事を続けているのは

・休みを自由に取れるから

・楽に稼げるから

・資格などなくても働けるから

 

という理由で仕事を選んでいるのもわかりました

 

 

 

私は最初、それにものすごーーーーくザワザワしました

 

 

え?そんな理由でいいの?

正直フルでもそんなにお給料高くないけどいいの?

楽だからとか・・・いいの??

 

 

 

そんな他の人の理由を目の当たりにして

やっとこ自分が縛られているものが炙り出されて

 

 

 

同時に

今の仕事や今の仕事に就いている人たちを

思いっきりバカにしていた自分もハッキリと見えてきました

 

 

 

 

 

 

淡々と作業をする

淡々と毎回仕事をする

 

 

めちゃめちゃ仕事をしても

ちょっと仕事をサボっても

給料は変わらないし、役職が変わるわけでもない

すごく認められるわけでもなく

誰かを救ったりするわけでもなく

 

 

ただただ正確に商品を集めて出荷する

 

 

 

その完全に「作業」なこの仕事を続けているうちに

 

私の中の仕事とは?

というものにくっついていたいろんなものが

ポロポロと落ちていく感覚でした

 

 

 

認められるからやる?

誰かの役に立つからやる?

誰かを救えるからやる?

安心できるからやる?

 

 

いやいや、仕事ってそういうものじゃないよね

 

 

 

勝手に仕事とは?に余計な価値観をくっつけたり

こうしなきゃいけないもの、ああしなきゃいけないもの

と複雑なものにしたり、違う意味で捉えたりしてたのは私の方でした

 

 

 

 

 

 

それは私が、

 

仕事をすることで

母に認められたかった

母をバカにしてたから、私にもできると思ったから

 

 

母の願いを叶えることで

母の役に立つ娘になれて、それで母を救える気がした

母をバカにしてたから、私がやらなきゃ母は幸せになれないと思ってたから

 

 

 

仕事だけじゃなくて

それは色んなことの選択基準になっていました

 

 

 

 

 

 

 

日々仕事に行って淡々と作業を繰り返す中で、

 

 

仕事をして

その対価としてお金をもらう

 

そのために仕事の目的を果たす

(私の今のピッキングだったら正確に商品を集める)

 

 

仕事するって、そういうものだよな〜

って思うことが増えていきました

 

 

 

 

 

これがわからなかったのは、

きっと私の母親もわからなかったから

私に伝えられずに

 

ひたすら母の不安を伝えていたんだと思う

 

 

 

それをずっと私は大切にしていたんだけど、

 

 

 

もっとシンプルに

目の前のことをそのままに見ていけた方が

 

とっても楽ちんだキラキラ

 

 

 

やるべきことを淡々とやって

今日もお金を稼いでこよう札束