おはようございます!

さこぴでーーすニコニコ飛び出すハート

 

 

 

 

 

 

 

「何者かになりたい」

 

 

 

 

これは私がずーーっとずーーーーっと

願っていたことでした

 

 

 

実際は、何者かになりたい

という言葉ではなかったので

 

 

まさか自分が

「何者かになりたい」

と思ってるとは思わなかったかな

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、

 

 

 

私以外ならなんでもいいから、

私じゃないものになりたい

 

 

 

私以外のものにならなきゃ

 

 

 

ってずっとずっと焦っていた

 

 

 

 

だから、

自分の要素を潰すのに一生懸命だった

 

 

 

 

そういう、

ものすごい自己否定だったんだけど

 

 

 

それって結局

「何者かになりたい」

 

 

 

だよなあって、最近自分の中で腑に落ちた

 

 

 

 

 

 

ずっと自分を否定して

欠乏感の中で生きてきて

 

 

それを、

私だからダメなんだ

私だからこんなに辛いんだ

 

 

 

と思い込んでしまったのだけど

 

 

 

私が一番に願っていたのは

 

 

 

私が何者かになることではなくて

 

 

 

 

 

 

 

お母さんが、

安心して笑っていてほしい

 

 

 

 

これだったんだなあって、

 

 

 

ナリ心理学のブログを読んだり

講座を受講して

心の仕組みを学んで繋がっていった

 

 

 

 

 

 

 

子供の頃の私は

母に対して求めていたものが

 

 

 

ただ、笑っていてほしいだなんて

わからなかったけれど

 

 

 

 

母の私に対する関わり方や

母の生きている態度を

 

一緒に暮らしていて、

ずーーーっと近くで見ていて

 

 

 

これは私が原因なんだ

私が私じゃなくならないと

私が変わらないと

 

 

 

お母さんはこのままずっと不幸なんだろう

 

 

 

って思い込んじゃったからだった

 

 

 

 

 

 

 

でも心のエンジンはぶっ壊れていて

何をやってもダメで、何にもできないと思うし

 

 

実際私ができる限りのことをやっても

母はちっとも変わらない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は何にもできない!って思うから

 

 

役割、人から言われたこと

みんなと同じこと

常識、ルール、普通

 

 

 

こういうのに飛びついたし

 

 

 

 

 

結婚とか、子育てとか、職業とか

 

 

自分が変われそうな何かに縋り付いていた

 

 

 

 

それも全部、

お母さんを安心させて笑ってもらうため

 

 

 

 

 

お母さん!

私は立派な大人になったから

もう安心してくれ

 

 

もう、お母さんを困らせていた

問題児の私はいない

 

 

私は大人になって

もう「お母さんの知ってる私」はどこにもいないよ

 

 

そんな私はもういなくなったから

 

 

お母さん、笑ってね???

 

 

 

 

 

をずーーーーっとやり続けていたんだ

 

 

 

 

だから何者かになろうとした時、

とにかく認めて欲しくて、わかって欲しくて

他者からの評価が欲しくて

 

 

子育てなら「お母さん」

結婚なら「妻」

仕事なら「職業」

 

 

みたいに何かの基準で自分を測ろうとした

 

ちゃんとできてるかな

それっぽくなってるかな?って

 

 

 

私の要素、出てないかな?って

 

 

ずっと外の評価を求め続けるしかなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

そういうのが

ガッチガチの「私が悪いんだ」にもなっていて

 

全部の原因が自分にあるような気がして

 

 

母親問題に取り組み出しても

何年も何年も「私が悪い」から抜け出せなかった

 

 

 

何を見ても、誰と話しても

「私が悪いから」

でしか考えられなくて

 

 

ほんと、辛かった

 

人も世界も怖いし

私は何を言ってもやっても、悪いことになる

 

 

 

人を嫌な気持ちにさせるのも

人に迷惑をかけるのも

人間関係をうまく築けないのも

 

全部私が悪いから、でしか考えられなかった

 

 

 

 

私が私じゃなくなって

何者かになれたら

 

 

こんなこともなくなるのかなあ〜

 

 

 

 

ってそう思うしかやってられなかったんだ

 

 

 

 

 

 

 

それくらい、

全部自分が悪いって考えてしまうのは

自分が壊れそうなほど辛いし

 

 

私が自分のままでいて、

自分の母親が不幸そうで不機嫌でいるのも

自分が壊れそうなほど辛くて

 

 

 

何かに縋ろうとしなければいけないくらい

私の心は弱っていて、

それくらい危機状態だったんだ

 

 

 

 

 

 

そんな風に、

過去の自分を認めること

 

 

 

子供の頃の私は

今みたいに心理の知識もなくて

自分の親しか知らなくて

まだまだ未熟な小さな子どもで

 

 

 

そんな私が、

自分を一生懸命に守ろうとして

必死に考えだしたものなんだ、って

 

 

 

お母さんの日々の態度に

すごく心を痛めて、悲しくて

我慢しても我慢しても

自分の中だけでは解決できないくらいになってたんだ、って

 

 

 

 

今の私が

何がどうなってたのかわかってあげて

その時の感情を今からでも感じていくこと

 

 

 

 

そして、

うちのお母さんは私がどうであろうと変わらないし

私自身もどうやったって変われない

を理解していくこと

 

 

 

 

 

それが、

何者かになりたい私が

何者にもならなくてもいい私に繋がっていくし

 

 

 

 

同時に

 

 

 

私はそのままここにいていい

 

 

 

という安心感に繋がっていって

今は、それを当たり前にしていく途中にいる

 

 

いらない「何者」をやめて

なんでもない自分でいて

 

 

 

なんでもない自分に慣れていく

 

 

 

最近はそんな毎日です