おはようございまーす!
さこぴです
私の中で1番強くてしつこい思い込みは
「私が悪い、私が問題だ」
という自分自身に対する見方と前提です
幼少期からの母親との関わりの中でそう思い込むようになったのだけど
これが、大人になってもずーーっと続いていたから
今でもまだ気付かずにこの前提で物事を見ていることがあって
気付いた時に「なんかおかしいな?」となって、また思い込んでたとハッとすることがある
とは言え、以前のように「私が悪い一択」ではなくなったけれど
ガッチリとこびりついたこの思い込みは中々に厄介なんだなあ
この思い込みを軽くしたきっかけは、
ナリ心理学のブログに出会って、母親問題について取り組んだ事
幼少期からの母との関わりの中で思い込んでしまった事だから
その思い込みを変えていくのも、
自分の母親との関係を見直していく必要があったことを
たくさんのブログ記事や、母親理論マスター講座で教えてもらった
でも・・・
私の「私が悪い」という思い込みはものすごい思い込みで
「あなたは悪くない」
と何度も何度も伝えてくれるナリ心理学のブログを読んでも
「あなたは悪くない」を中々自分に取り入れることができずに
私は「これは私には合わない考え方だな」って正当化して
自己啓発に逃げたりと、
母親問題に本気で取り組むまでに結構な時間をロスしました
幼少期に母親から否定されたり、母親に「私は正しい、あなたは間違い」をずっと言われたりの関わりの中から
大分ガッツリと「私が悪い」という思い込みを強めていたけど
私自身が庇うために思い込んでたという側面もあった
母親のやってることは、本当に気狂いじみてるけど
それでも子供の私からしてみたら「大好きなお母さん」
その大好きなお母さんが、私にこんなことするなんて???
→そっか、私が悪いからか!
と、事実を歪めて認識して、母を庇い、自分自身を庇っていくのを繰り返しているうちに
私が悪い、私が問題だ
って疑うこともできないくらい、思い込んでいったんだと思う
ただこれは、私自身がが思い込みたくてやったわけでも
自発的に思ったことでもなくて
そんなことを子どもに思わせてしまう母親側に問題があったからでしかない
ほんとは母のことも自分のことも
そんな風に庇う必要なんてなかったけど
庇っていくしかやっていけなかったからだったんだ
ものすごい怖い母親だったけど、
私はそんな母親を怖いと思うと同時に「可哀想」とも思っていて
私は母親に対して可哀想扱いや弱い者扱いをずーーっとやっていた
「私が悪いからこんな目に遭うお母さん可哀想」とも無自覚に思っていた
私がいい子だったら、家族みんな笑顔で楽しくて幸せなのに!って(健気すぎる)
母親に対しては可哀想
自分に対しては私が悪い
そして私は全世界に対しても、この見方で物事や他者を捉えて考えてしまうし
それが事実なんだと思い込んで何十年も当たり前だと思って生きて来たから
まだまだ私の中にはこの2つのセットが通常運転してしまってる部分がある
でもこれも、結局は間違った思い込み
幼少期に染み込んだただの思い込み
思い込みなんだから、気付いたら変えていったらいいんだよね
この世界に可哀想な人なんていなくて
世界は優しくて
みんなダイヤモンドで、私もダイヤモンド
私が悪いからと思い込んで、
世界に許していた我慢は元々必要じゃなかったんだって
「私が悪い、私が問題だ」って思い込みの方が間違いだった、と
これからも何度も思い出して
自分の行動や態度の見直しをし続けていけばいいし
思い込んじゃってた現実はプチプチとひとつずつ潰していけばいい
気分は自分の人生のお片付け
片付けが苦手な私の一大試練だわ