おはようございまーす!
さこぴです![]()
私は今、母親と向き合うことに取り組み中!
それは私が自己否定があまりに強すぎて
人生のあらゆる選択を間違いすぎて
自分に対する見積もりも誤りすぎて
色々とめちゃくちゃで生きづらくて
育てられるはずと思って子供を産んだのに
全然育てられなくて
何でこんなに子どもにイライラするのか?
訳がわからないし
子供を通じて知り合ったママ友さんとはちっとも上手くいかなくて
本当に、何が何だか!?で
まさに30歳すぎてから問題が大爆発しまくったのだけど
実際は20代から爆発してたのがさらに爆発した💣
そんな時、
偶然に出会ったのがナリ心理学のブログで
そこで、自分の生きづらさが母親との関係から来ていることを
改めて実感してそこから、母と向き合うを取り組んでいます
それをやって、Oh...となるのは
自分のやって来たことのあまりの残念さ
(無責任、幼稚、言い訳正当化のオンパレード、弱者戦略、お伺いまくり、モラハラ、未熟過ぎるなどなど)
ほんっと、母に育てられて母の世界観で生きて来たんだな
ってのを、直視しまくることでもありました
そんな私が、
「もう、大人になりたい」
そんな風に思っていることを知って
ここ2〜3日それについて掘ってみました
ちょっとだけまとまったので
=まとまりが悪い可能性がある
それを書いてみます![]()
事の発端は、以前から興味があった仕事に
アルバイトしたくて応募したのだけど
結局面接で落ちてしまったことでした
私としては、今までの自分のハリボテを認めて
意欲や熱意ではなく、現実ベースで考えて
自分のことを話していこう!と思ったのですが
今振り返ると、私の話ってすごく人任せで![]()
私はこれがやりたいんです!
私はこんな風に働きたい!
私はこれができる!
と言うのはなく、
「何となく」がベースにあって話していたし
「何にも考えてない」←これが強いな、と
自分のことながらすごく感じていました
要するに、中身がなかったってことです
アルバイトが落ちた理由がどこにあったのかは
わからないので、勝手に意味づけはできないけどね!
落ちて残念すぎて、ひとまずクソノートした後の私は、
そんな自分の幼稚で無責任で、どこかふざけているような部分が
本当に本当に嫌だなって、腹の奥から湧き上がって来て
まず出て来た言葉が
「もう私はちゃんとしていい、ちゃんとしたい」
だったのでした
ちゃんとしたい
私はこれまでだって、ちゃんとしなきゃ!と思っていました
ちゃんとした大人になるべき!と言う気持ちで
自分を監視し続けて来たのだから
だって私は、結構問題児でちゃんとしてない部分がある
でも、母との向き合いの中で
ちゃんとしなくてもいいこともわかったし
ちゃんとするべき!にかなり疲れているのもわかった
だから、ちゃんとしなくたっていい
それなのにまた、
ちゃんとしたい、ちゃんとしていいと思う自分がいる
ちゃんとする、意味ありすぎだろ!![]()
と言うことで、私が使うそれぞれのちゃんとするを
私なりに定義付けをしてみることにしました
①ちゃんとしなきゃ
ここに当たるのは、母から自分を守るための生存戦略からくるもので
もうこれ以上否定されたくない、攻撃されたくない
そして、常に追ってくる恐怖の存在な母から逃げるために
どうやったら母が私を大人と認め、解放してくれるか?
を前提に考えられた理想像
別名ハリボテと呼ぶ
②ちゃんとしてない
ここは、私の元々持った特性や幼少期の環境によってできた部分
ADHDという発達特性と、
多分私は二次障害の反抗挑戦性障害にもなっていたんじゃないかと思う
ADHDやその他発達障害がある子供が過度に叱られ続けたり、
不適切な養育環境下で発症しやすいらしい
その他にも愛着障害もあるし、
ナリ心理学で言う非ダイヤ性もめちゃめちゃに強い
いろんな要素が相まって、私はかなり性格も素行も悪いし
自分でもそんな自分が出てくることにヒヤヒヤしていて監視してしまう
感情的になって怒ってしまい、目の前の相手にぶつけることや
人との距離感がおかしかったり、
適切なコミュニケーションが取れなかったりする
ついでに①と②のコンボから
対人間での緊張感も強くて、自分のことでいっぱいで
全然相手のことを見ることができず
その結果、相手を嫌な気持ちにさせるのもわかるから
余計に隠したくなるところ
通称、みんなと同じになりたい、普通の人になりたい
ハリボテが作り上げたものだとしたら、
こっちは表に出さないように封じたり、隠そうとしている部分だけど
実際にはボロボロと出てしまう、私のベースに近いところにあるものたち
③ちゃんとしなくてもいい
これは、①で作り上げたハリボテを持って生きることや
そのハリボテ作りをこれからも続けることをやめること
②を隠そうとせず、自覚してケアして
それを前提としてこれから生きること
自分らしくない部分や
不安や怯えからくる行動、思考を減らしていこう
と方向のことで
目指す方向は、ありのままの自分で生きること
④ちゃんとしたい、ちゃんとしていい
ここでのちゃんとしたいが「大人になりたい」になるんだけど、
どこの部分に対してかというと、②の部分に対して
諦めきって、拗ねきって、不貞腐れて、無責任で、幼稚で、人任せで、自己正当化する自分のこと
今までは②の自分が私そのものだと思っていて
どんだけ私って悪くて問題児で、どうしようもない人間なんだ!
と思っていたけれど
持って生まれた特性も、幼少期の環境も
私が選んだものでも、子供だった私の努力で何とかなるものでもなくて
ただの偶然で
しかも、運の悪すぎる方の偶然だった
ADHDがあってそこから二次障害があったかもしれないことも
愛着障害があるのも、非ダイヤ性が強いことも
私のせいじゃないけれど
既に実年齢で大人になった私は、
それを自分でどうして行くかを決めて、
それに対して変えて行くことができるんだと思う
諦めきって、拗ねきって、不貞腐れて、無責任で、幼稚で、人任せで、自己正当化する自分なんてのは
ほぼ態度じゃん
諦めるのをやめて
拗ねるのをやめて
不貞腐れるのをやめて
責任取ろうとして
自分で心を育てようとして
言い訳するのをやめて
間違ったら謝れ
ってことだわ
私はもう、大人になりたいって思ったんだ
今までの自分なんてやめて
大人になろうとしていい
それが、ちゃんとしたい、とちゃんとしていいだった
掘って行く中で「大人になりたい」が出て来た時には
ちょっとビックリしたけれど
でも、そんな風に思えるようになった自分に嬉しかったから
ちょっとずつ、一筋縄ではいかないけれども
大人になっていこうかな
と思う私でした
今回考え方、捉え方などで参考にした
ブログがいくつかあるのでリンク貼ります!




