おはようございまーす!

さこぴですニコニコ



今日はこれから東京に出かけます🗼

20代の頃は月に2回は東京に出かけ(ライブを見に)

東京を歩くのは得意だ!と思っていたんだけど


子供が生まれ、東京に行かなくなってから

すっかり東京音痴に戻った私です

ビックリするほど道に迷い、電車を間違うんです

得意だと思ってたのは、若気の至りだったのかもだわ昇天





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昨日、恐怖を明確にするために書いてから

もう少しだけ進めてみました

↑これの続き!



私の中に残ってるものを見て見た時、

罪悪感と無力感と、あとは存在についての不安で

全部私が思い込んでることなんだよなあ

と言うのは見えてきました


それでも、罪悪感とか無力感って

一心に受けちゃうとキツいし

それだけで大分行動は制限されるんだけど


小さい時から繰り返し家庭内で植え付けられたものだから

息を吸うようにそう言うのが私の中では定着してるんだよね




存在の不安については、

昨日ノートしてみて

「誰かの中に存在しようとしなくていい」

「私はここで存在してるのでいい」

という言葉が私の中にカチッとハマったので

それを自分の中に定着させていくのと

それを前提に言動を意識していくのをやっていくつもり!




で、罪悪感の無力感なんだけど

その中で、罪悪感と正しさ、常識について

そういうのにめっちゃ縛られまくってるなあ

というのが今の私


例えば!


私は子どもがご飯を残すのとか

食べる!って言ったのに食べずに平気で残すのとか

特に長男が、気に入らないことがあるとテーブルひっくり返しそうになって

ご飯がこぼれそうになるのとか


食べ物を粗末にする、食べられるのに食べ物を廃棄にする

と言うのがものすんごい嫌で嫌で嫌で嫌で


それで、私は子どもが小さい時から

食べ散らかしをガードしまくったり

子どもがご飯を食べないことについては、

子どもが何なら残さず食べるんだ??ってめちゃ考えたりしてた



「ご飯食べてー!!!」

ここにすんごい心が引っ張られて、イライラの原因になってしまう



で、私自身なんだけど

私も子供の頃からすっごい少食で

そこに我が家の食事中のあれこれもうるさくて

余計に家にいると少食な人間でした


ほんっと食べられなかった


そんな私は4歳(幼稚園年中)の時、

あまりにお弁当が食べられなかったので

幼稚園の帰りかお昼休みの時間に

お弁当の中身をトイレに捨てたことがあります


当時ボットントイレだった幼稚園のトイレに

お弁当の中身を全部捨てました


そして、空っぽになったお弁当箱を持ち帰り

「全部食べたよ!」

って母にアピールしました


その時多分母は、仕切りのアルミカップとかもないから

変だとは思ったんだと思うけど

私には喜んでいるように見えたんだよなあ


で、次の日も同じことをやるんだけど

次の日は幼稚園の先生に見つかっちゃって

母にもそれが伝わってしまったので、

怒られたし、すごく悲しかったって言われたのは覚えてる



4歳の私がそう言うことをしたのも、

きっとその日までに、お弁当を食べないことや

ご飯を食べないことを怒られていたからだったんだと思う

ほんっとに、少食な子だったみたいだから


でも、私が覚えている限りだと

お弁当の時間にお腹が空かないし

冷えた白米は冷たいのと水っぽいのとで食べるのが苦手だったんだよなあ



私が何で食べられるご飯を捨てることにこんなに抵抗があるのか考えて、

思い出したエピソードはこれ↑で


私の中では

捨てちゃいけない!!

っていう強い禁止になってるなあとは思う



そう言うのもあってか、

私は普段からものすんごい廃棄が気になり過ぎて

子どもが残したご飯を食べ続けていたし

子どもたちが、私が作ったご飯は食べないならと外食やお惣菜を買っていたのだけど

それで食べることとあれば、食べないこともかなり多かったです




あとは、私の中で、食べられるものであっても捨ててもいい

に変換しようとした時に、

食べ物を捨てるって、別にうちの親がどうとか、私がどうとかの前に


常識的にいいことじゃないよなあ・・・


って止まっちゃうのが私だったりする

ほんとめんどくさいし、バカみたいだなとも思っちゃう反面

でも、いいのだろうか・・・ってすごく抵抗感で、私の中では葛藤まみれだったりします



そこで一番刺激されているのが、罪悪感なんだと思う


自分に禁止していることが破られること

常識的にいいとは思えないことを破ること

あとは、子どもにご飯を十分に与えていない気持ちになること(衣食住も満たしていない感)



やっぱり私自身の問題だよ

子ども関係ない



色々ごちゃごちゃあるんだけど、

でもやっぱり最後は、

食べ物を捨ててもいい

これしかないんだなって思う


できることなら、捨てずにどうにかしたいけど

それでも、捨てるを選んでもいい

捨てる自分が必ず悪いんじゃない



そして、少食であんまり食べられなかったり

美味しいからと言って食べ過ぎるとすぐ胃もたれてしまったり、

元々食べる欲が少ないのか、食べたいものがいまいち定まらない自分に対しても許していくことかなと思う




食べ物を捨ててもいい

目の前にあるこのご飯が捨てることになってもいい


と言うことにして、そこから逃げるための行動をやめていくことも私には大事

→子どもたちが食べないからと言ってスーパーに買いに行ったり

嫌なのに作り直したりするなどをやめるとか



罪悪感も、目の前のことに反応しまくるのも

結局は私の問題で

そういう嫌な気持ちから逃げようとすることが

いつまでもぐるぐる葛藤してるんだなーって思った



嫌な気持ちになって、嫌な現実が目の前に起こっても

それに対応する実際の行動をやめるしかないんだよね


罪悪感も無力感も禁止も存在に対する感じ方も

結局は私の中にあるだけで、


私が今でやって来たことは

虚空に向かって1人空回っていただけ

何にもないのに、1人騒いでいただけだと思う



ただ、嫌な気持ちになりたくない

傷付きたくないってだけかな



と思うと、

私の恐怖感の元にあるものは

現実に起こることというよりも

ただの妄想的なことと、


それが起こって嫌な気持ちになって

心臓がバクバクして、変な汗が出るとか

失敗した時に顔まで熱くなって

その変化に慌ててテンパってしまう、とかの

自分の体の反応を感じたくないだけなのかもしれない


それを防ぎたくてやってるのかなあ?

というのが、今日のところの結論です


私はビビりですぐ動揺してぐおんぐおんになるので、

小さい頃から怒られてはドキっとするし

ビックリしてはドキッとするし

嫌な気持ちになっては胸がずっしり重い感じになるなど

結構体感覚的にも色々忙しいタイプなんですよね。。。


その感覚が、私の中では嫌な気持ちと結びついて

嫌な気持ちや嫌な気持ちをとにかく避けたいのかな、と



さ、今日も太田胃酸持参の上出かけるぞーう

いい薬ですにっこり