おはようございます!

さこぴですにっこり



今年のお正月は、お正月らしいことをほぼしていないなあ

と思うお正月でした


意識してそうしたわけではなく、

色々とめんどくさくなったり

それをやる余裕がなかったりした結果

ほぼなにもしていないのですが


すごくラクだなあって感じています



確かにお正月は新しい年のはじまりだし、

何か特別感はあるけど

だからと言って、特別にしなくてもいいんだなあを体感しました




私は数年前まで

それはそれは季節の行事が大事な人でした

お正月、こどもの日、七夕、ハロウィン、クリスマス

母の日、父の日、敬老の日、誕生日


その度にプレゼントを考えたりするのに一生懸命で

異常に特別視していたなあと思います



子供がまだ小さかった頃は、

こういう季節の行事に合わせた食事を作ること

今日はこう言う日!と覚えてもらおうと必死で


行事を楽しもうルンルンではなく

行事を身につけねば凝視炎メラメラみたいな感じ


きっと対抗馬が幼稚園だったんだろうね

それくらい、当時の私は必死だった




でも、それが段々キツくなって来てしまった


そもそも私は料理が苦手で、

イベント毎にそれっぽい料理を作るのはキツい


家に飾り付けするのも正直めんどくさいけど、

家に突然現れた飾りは、長男にとってはただのストレスの対象で

片っ端から飾りを壊されて行く昇天


⚪︎⚪︎の日だよニコニコとやっても、

子どもたちは、ふーんうさぎ

もちろん、我が家の子たちの特性的なものはあるけど

ただケーキやお金が楽しみ、みたいな感じだった



ほんと「何のために」やっているんだろう???


果たして私は本当にそれらは楽しくてやっていたのか???




今思うと、

つまらなくて大変すぎる毎日の中に

イベントを通して特別感を味わいたかったから

必死だったんだなあって思う


イベントの日が特別で楽しいから、気持ちが救われる

毎日は辛いけど、イベントの日に盛り上がることで

帳消ししたいな、プラスマイナスゼロにしたいな

っていう気持ち



毎日が特別な日

という考え方とは真逆な気持ちでイベントを利用していたんだ



それが子供が生まれてから、特に一生懸命になったんだけど

きっと当時の私の気持ちの裏側には

毎日つまらなくてごめん、特別な日で挽回したい

そういう後ろめたい気持ちがあったんじゃないかなあって思った

(もちろん当時は必死すぎて何にも考えてなかったよ)



これをすれば

これさえあれば子どもたちは幸せかもしれない


子どもたちの楽しいのために、頑張らなきゃ!


っていう、

幸せを全く知らない私の苦肉の策だったんだと思う

イベントや特別な日にすがらなきゃやって行けないくらい

毎日がほんっとに辛くて辛くて一生懸命だったんだ




今でも正直、もう少しお正月感があった方がいいかな

と思う気持ちはあるんだけど


でも、何とかしてお正月を盛り上げようとしなくたって

あちこちに貼られる、謹賀新年門松

市の施設は年末年始でお休みゲーム

みんなイオンモールに殺到財布

有名な神社に殺到する車の長い長い渋滞神社

(住んでいる街に有名な神社が2ヶ所あり渋滞がすごいことになってます)

子どもたちの欲しいものは、お年玉とそれで買いたいおもちゃだけお札

洗濯機までスイッチ入れたら「今年もよろしくお願いします」って言い出してるTシャツ


などなど、なんにもしなくても勝手にお正月モードなんだよね

私がどうにかすることでも、できることでもなく

今はお正月



そんな流れの中、

私はどんな風にそれを楽しむのか

何をしたら私は楽しいと思えるのか

それだけでいいんだよね


そうやって私なりにお正月を楽しんでいる姿

イベントをこなすことで、目が三角になるよりも

「お正月だねーニコニコ飛び出すハート

っていることが、子どもたちのためになる



だからおんなじように日々もイベント頼みにしないで、

毎日の方を「今日だねーニコニコ飛び出すハート」って思っていることなんだもんね




毎日が特別な日、まではならなくても、

そのまんまで毎日を自分なりに楽しめる

を心に留めて日々過ごしていきたいなと思います