やっぱり、ここなんだー
って結論に落ち着いて
私もここに辿り着けるんだ!
っていう驚きと安心で混ざってます
どこから書いていこうかわからないので、
とりあえずその結論から
人って、別に何にもできなくたって
ただ生きていたらいいよね
↑やっぱりここなのねー!
どこから書いていこうかわかんなくなったので、
以下ダラダラ書きます
長くなっちゃったよ
まとめるの苦手だよ!
私は自分に対しても、苦手なことやできないことに対して
どうしても厳しく見てしまうし
そんな自分が許せなかったりした
だから、子どもたちにもすごーーーく厳しい目と
このままではダメだと思う!って不安から
将来のために、大人になってから困らないように
ってあれこれ関わり続けて来てしまった
特に長男!
「みんなと同じになって欲しい」
って気持ちが全然抜けなくて、
長男だけを見る、長男その人を見ることが
ほんっとにできなかった
長男の楽しいことより、ルール
長男の特性より、育児書
みたいな、どんだけ「一般的には」に倣いたかったんだよー!
ってくらい、普通は、とか、基本的にはみたいなのの押し付けばかりして来た
でも、なんか違うよなあって思うし
何でそんなに大切なんだろう?
と自分でも思って、すごく苦しくなってた
その原因が私の脳内の母で、
物凄い圧で、「みんなと同じ」「常識的には」から外れるな!
と迫ってくる
すっごい「正しさ」を持って
お前は間違ってる!
良い悪い、そんなこともわからないのか!
そんなので生きていけないぞ!
と、心の底から恐怖心を煽ってくる
私が引っかかり続けた具体的なこと、
それが、長男の水遊び
長男は小さい時から水で遊ぶのが大好き
水が流れるのが好きなのか、
よく地面に川を作って水を延々と流し
川と川を繋げる遊びがとにかく好物
やめられない
ずっとやっていたい遊び
うちの玄関の前の砂利でもやってたし、
公園の蛇口付近、泥遊びができるところ
などどこでもその遊びが好き
もちろん夏の水遊びも好き
外用のシャワーを持たせたら離したくなくなるし、
洗車の手伝いも好き
お風呂でもじゃんじゃん水を使いまくるし
流しそうめんの機械とかも好き過ぎる
水+機械とか、もうダメね、好き過ぎて![]()
でも、私はいつもこれがダメなこととして捉えてしまい
早く終わりにしたいって目を光らせていた
長男が水遊びを始めると、あと何分で終わるの?
ってイライラキーキーしてしまう
私は何で長男の水遊びがこんなに嫌なんだろう?
水道代?
大事な資源だから?
後片付けをやらないから?(常にやりっぱなし
)
水で遊んで水を無駄にすることを誤学習したらやめられなくなるから?
表面的にはこういう理由で、それっぽく
いかにも正しそうな考えを理由に私は止めまくってた
片付けしないからと遊びを取り上げたり、
そのままにしてるからとおもちゃを捨てたりもした
時間制限したり、場所を決めたりもした
たくさん怒って、たくさんルールを作った
でも、長男は水が大好きだ
水で遊ぶために生まれて来たんじゃない?くらい
水が大好き
海で何もなくただ波とたわむれて2時半半以上遊べるお方だ
私がやることなすこと
長男には何にも効かないし、ただただ長男に否定的な気持ちを与えるだけ
どんどん我々の関係性を悪くしていくだけだった
それなのに私は、水遊びをする長男に危機感しか感じない
変だなーってずっと思ってる
そんな自分のことも、わかってる
それが、核心みたいなのがやっっっとノートに出て来た
それは
「幼稚園の年少の頃に、私が水遊びにハマって風邪をひくことを繰り返して怒られた経験」
だった
正直自分の記憶は全然ない
3歳の頃の自分
ただ、母が何度も何度もその後に言ってたから
そうだったんだーって聞いて知ってただけのこと
その話をする時の母は、すごく迷惑そうだった
・冬なのに外の蛇口の水で遊んで、すぐ風邪ひいて、肺炎になるから入院を繰り返す
・水遊びは⚪︎⚪︎くんと遊んでたんだって、他にそんなことする女の子はいなかったって
+⚪︎⚪︎くんに対してマイナスな印象で話す
・やめてって言っても、全然やめないんだから
・すぐ風邪引くのに、すぐ肺炎になって入院なのに
そんな感じの話だった
だから、多分これかなと思う
私自身にその時の記憶がなくて、わからないけど
わからないからこそ、恐怖感と圧で押し潰されそうだったんだろうな
母は怖いし、体調は悪い、注射は大嫌い(すっごく泣いて暴れるタイプ)、すぐ入院、寂しい、怖い、悲しい
好きなことをやったら、こんな目に遭う
良いと悪いもわからず、自分の思うようにやって
悪い方になったら罰が与えられる
そんな風に捉えるようになったのかも
それが、長男の水遊びに繋がっていたのかな、と
今、私は長男が少しでも自分発のことで
長男が夢中になって楽しめる時間を大事にしたいと思っているところだった
長男がやっていることを中断させず、
楽しい!と満足行くまで楽しんでもらう
その経験を増やして、自分の楽しみ、趣味、余暇の過ごし方に繋げたい、と
そこで引っかかるのが「水」だった
気付くと水遊びしては、キッチンはびしょびしょ
玄関前はドロドロ
残骸だらけ
お風呂のタンクが空っぽになるほどお風呂のお湯で遊ぶ日もある
きっとそれは、他に楽しみを見つけられてないからもあると思うんだけど
今の長男の楽しみは「水遊び」なんだと思う
でも、許しきれない私
水・・・いいじゃんか、水の無駄遣い
やりっ放し、遊びっぱなし、残骸だらけの現場
やつに片付けは、今は無理だ
片付けと楽しみ、どっちが大事なんだ!
ぐぬぬぬぬ・・・・
結局は「できないことを何とかしようとするから」
それしか見えなくなってるだけだな、って
私の中に、できないことで母に怒られて
私とは違う人物像と比べられ続けて
それからはみ出すことは死だったり、排除のような気持ちになっていたこと
全部私の中で変なことになっていただけ
死とか、存在がなくなるような、排除されるような
そんな気持ちは、そりゃあ怖いけど
でもそれも、幻想なんだろうなとも思う
怖い感覚はあるけど、「=」と思うのは幻想
今の長男に、
そんな正しさとか、片付けできること、自制的にやることって
大事かなあ?
もっと小さかった頃に、
思う存分楽しませてあげていたら
もしかしたら違う楽しみも見つけられていたし
もっと素直に楽しいことに夢中になれていたかもしれないのに
まだ、そんなに大切かなあ?
そう思いながらノートにぐるぐる書いていたら、
「別に何にもできなくたって、
ただ生きていたらいいじゃん」
がやって来た
今までだって、長男はわかりづらい世界の中
一生懸命生きてきて
私にも社会にもいろんな人にも不信感でいっぱいかもしれない
それなのに立派に生きてきて
長男すごいな、って気持ちでいっぱいになった
生きてきてくれてありがとう!って
長男のやることはハラハラすることが多くて、
それくらい私にとってはぶっ飛んで独特な遊び方をする
すごく私自身が刺激される
でも、その独特な遊びも
何か他にできないことがあるからこその遊びなんじゃないか、とも思う
私がそこに関わると、
そのできないことを埋めようとする見方ばっかりだし
「無難に」に近付けたくなる
でも、別に何が出来なくて
大人になってもやりっ放し、散らかしっぱなし
遊びっぱなしでもいいかもしれない
私もできてない
そんなできてない私も、
そのままで生きていていいし
長男もそのままで生きていていい
みんなと同じっていう憧れ
何も考えずにみんなと同じに収まれる自分
平均的な自分
特徴のない自分
さよならーーーー![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
あーもー、文章のまとめ方わからん!
ただ、何もできなくたってただ生きていたらいい
ってフッと思えたら
長男がほんっとかわいいやつに思えてニヤニヤが止まらなかったよ