おめめどうさんから学んだ「杖の役割」
できないことを何とかするのではなく、
その人の動いているところを支える
という考え方
これ、わかるようで全然わかっていませんでした
それは私自身が今までずっと、苦手の矯正ばかりの人生だったから
得意なことを大事にする、ってやったことがなかったからだなあと思う
苦手なところを何とかしよう
しか知らなかったから
できるところを見ようをしたことがなかった
自分にしたことがないから、
いざ子どもにやろうと思ってもできなくて
結局私は、できないことの矯正の関わりしかできない
今まではざっくりと、できないことを諦める、と聞いても
私には本気で1mmも自分ごととしてわからなかった
そんなわからない、できない自分はダメだなあとすら思ってたけど、
私の中に「できないことを矯正する」という価値観しかないんだから
これもまた、できるわけがないことだった
今まで色んなところで聞いてきた話が、
やっと「杖の役割」で私に響いたと思った
わからない時に、わからない自分を責めても仕方がなかった
ざっくりな説明でわからないのは頭が悪いんだから当然だ
そしたら、わかる別のものを探す、でよかったし
やっとわかったって、よかったことだ![]()
車椅子に乗っている人は、なぜ車椅子に乗っているのか?
→手を使うことができるから、手を使って移動できるから
できることを伸ばす、支えると考えられる人は
これがスッとわかるのかな?
私は言われてやっと「そうなんだ」ってジワジワときた
歩けないから、じゃなくて
手を使えるから、なんだ
点字を読むのはなぜ?
→指の触覚が使えるから
足を怪我した時に、松葉杖を持つのはどちらの手?
→怪我をしたのと反対側の手
動く方を支えないと、余計に歩けないし不安定になる
私自身を振り返った時に、
得意なことを全捨てで、苦手なことばかりでやってきて
我慢したり、無理なことばかりをすることしか知らなかった
自分の苦手の克服のための人生だった
そして自分が、得意と苦手がこんなにもハッキリしてるなんて思わなくて
きっとそれは、周囲からも見て明らかだったんだろうな
だからこそ「よかれ」と、苦手な矯正を「挑戦」「努力」みたいなポジティブな言葉で
押し付けられてきたし
私はそれを「やらなきゃいけないもの」と思うしかなかったんだ
だって本当に知らなかったから
そんな私は、
自分は人のいいところを見つけるのが上手いと思ってた
みんなの方ができるし、上手いし、得意なことがたくさんある、って
でも、実際やってた事はプラスのジャッジで
「私と比べて」その人ができるところ、すごいところ
でしかなく
私と同じか、私の方が得意な事はノーカウントだったと思う
逆に「できないことを断れている」は
高ポイント(私ができないことをやれている)
みたいな感じで、全ては「私」との対比でしかなかった
で、私はそれを悪意なく無自覚で子どもたちにもやっていたんだよね。。。
私と同じで凸凹があって、できないこともたくさんの我が子たち
できないことを何とかすることしか見れなかった
正直今だって、
できるところ、動くところを見れてるか?と言ったら
できていないし、わかっていないなって思う
何より私自身、私の動いている部分は?
私が得意なことは?
に、ここだなって自信を待てないからだと思う
苦手なこと、できないことならスルスル出てくるのにね
家から出ない、部屋に閉じ篭もった引きこもりの人の動いている場所は?
→心臓、呼吸
生きてるってこと
自分でもわからないなら、ここからやっていくことだと思うし
わたしはこうやって毎日朝にブログを書いているのだから
内容はともかく言語化すること、文章でアウトプットすること
ノートに書くことが正直負担だから(不器用さ)スマホだとラクにできるからやってるところもあって
これも動いている場所だと思う
あと、早起きができることも動いてるとこ
(睡眠が上手くないからでもあるんだけど)
そしてこれは、誰とも比べないこと
子どもたちとも、他の人とも比べないこと
が大事なんだよね
誰がやってなくても私の動くところならやるし、
私の目から見えるたくさんの人がやっていても
それが私にとっての苦手で動かないものならやらなくていい
私ができないことの矯正をやめていく
目で見える方がまだマシなら、耳からで何とかするのをやめる
シングルタスクならできるなら、マルチタスクをやめる
事前に考えておけばできるなら、その時その時で考えるのをやめる
(その事前が何ヶ月とか何年の可能性もある)
マイペースにできるなら、速さを捨てる
私ってこんな感じの方向だと思う
これもまた、まずは私から
できること、動くことを支える
わかること、できることを集めていく
動くところを見つけていく
できないことをやめる
やれることをやる
きっとそれは、今までの私からしたら抵抗があることばっかり
母からの言いつけ、母の思ういい子像から飛び出すことになるから
でももう、そんなのもどうだっていいと思うから
できないことに力を注ぐことをやめて
自分の動くところを動かしていきたいな
そして、子どもたちの動くところ、得意なことを
たくさん見て、支えられる自分になっていきたい
私が自分の人生を生きるから
子どもたちも自分の人生を生きれるようになるんだもんね
それならお互い、自分の人生を生きて楽しくやりたいよ
私は今40歳で折り返し地点
まだ間に合ったかな??
すんごい凸凹人間だから、思い切り杖ついてやっていこう
