私は、

みんなと同じになりたい!

がめちゃくちゃ強かった人


だから、ずーっとずーーーっと

自分はみんなと同じにできない

みんなと違う

と、そう思ってすごく辛かった



大体このみんなって「お母さんと」か「お母さんの理想」

なんだよなあ(私の場合ね)



どうやったらみんなと同じになれるだろう?

と思って、一生懸命「自分」を隠したり人に合わせたりマネしたりしてた

友達と同じ意見のフリして、イエスマンになったりもした


地元の友達と、看護学校の友達と、音楽繋がりの友達とは

イエスマンになっても全然苦痛じゃなくて

むしろ楽しいだらけだったから

私はそれでいいんだって思ってたけど


長男が幼稚園に入学して出会ったママ友関係で、撃沈した

ダイヤママさんとは仲良くなれず、

非ダイヤママさんに捕食されたんだなあって

今なら思えるけど、正直言ってものすごい衝撃だった



それくらい、みんなと同じになることが

私が目指すことの最優先事項だったので


当たり前のように、長男にも次男にも

「みんなと同じになってね」

の呪いをずっとかけてしまっていました


口では、表面的には受け入れてるフリなんだけど

(というか、みんなと同じになれないってキツいので、

子どもにはそんな思いをさせたくなくて色々逆効果なことをやってた)


やってることは、完全に否定でした



昨日のブログにも書いたけれど、

私はとにかく長男の発達障害が認められなかった

認めるフリ、受け入れてるフリはしていたけど

全然認められなかった


だから、長男の発達障害の特性を消そうと思ったり

普通の子と同じに見えるように育てなきゃと思って一生懸命だった


そして

「長男くんは、発達障害じゃないですよ、お母さんの気にしすぎですよ」

と他人に言わせてたんだなあって、思う


この言葉を聞きたくて、言って欲しくて

私は色んなところに相談に行ったし

そう言う声ばっかりを集めていた


そして、長男にも「あなたは普通だから」

って、特性のないこと同じことができることを

求め続けていたんだなあと思った



本当に、サイテーだ


自分がみんなと同じになりたいから

子どもがみんなと同じじゃないのはダメ

って、謎の否定をしていたんだもん


ほんと、うちの母と全く同じ

やったことは全然違うけど

自分に対する思いと、子どもに対する否定が

すっかり同じ



ないものはない

あるものはある


できないことはできない



それが、事実を事実と認めるってことだし

物凄くシンプルなんだけど

私には1番難しかった




希望的観測という言葉がピッタリ

「こうであって欲しいな」


そんな風にずっと自分に対しても、子どもに対しても思ってた

目の前の事実をガン無視にして、

自分の脳内に浮かんだ理想を追い求めちゃってた



長男の発達障害が確定していたから、

「次男は健常であって欲しい」

これもものすごーーーーく強くて


次男が辛いまま頑張ってるのに

「次男は発達障害じゃないから」

って、診断されない方向にめちゃめちゃ逃げ回りました


ほんとは幼稚園年長の、小学校入学前に

発達検査を受けられることになっていたのだけど

直前で予定が入って(自分が入れたんだろうな)

キャンセルをした


自分でも「逃げたのかも」とさすがに気付いたけど

あのまま検査を受ける事ができなかったんだよね。。。


小1の時も、担任や学年主任に相談した時も

「次男くんは特学はいらないですよ、普通級でやっていけます。今も頑張っています」

って、私は言わせたような気がする


今通ってる病院には問い合わせずに、

小児科医の発達相談を受診して

「発達障害はないですよ、お母さんの気にしすぎですよ」

と、納得のいかない診断をもらって帰ってきただけだった



そんな私も、今年今の病院に次男の予約を取り

初回であっさり「薄くですがASDがあります」と言われて

「だからか!」と今までの次男の色んなことに納得がいって

ま、そうだよな

と思ったらなんかして


やっぱり逃げないで、人を選んで話を聞くのが

1番大事なんだと思った



自分でもわかってたんだよね

「大丈夫ですよー」と言う人たちに対して

「んなわけないだろ!」って

「どこに目をつけてんだよ!」って


でも私は

自分のせいにしたくなかったから

自分で逃げた責任を負いたくなかったから

私はこう思うけど、でもこの人がこう言うから

って、責任を丸投げしてたんだよね

人のせいにしたかったんだもん



このやり方もまた、うちの母と同じ

うちの母も希望的観測で自分と子供を見てたんだと思う

ほんと、母は何ひとつ私のことを受け入れることはなかったんだろう

全否定、ってことね





今の私はどうかと言ったら、

気付いた希望的観測を潰し続けているけど

まだまだ気付かないところで、それをやってるだろうなって思う


ほんと、ふと湧いてくるもんね

現実を受け入れられないんだなあっていう思いが自然に湧いてきちゃう

「こうだったらいいのに、って思ってるんだなあ」

と思いに対して「そうだったらいいよね」って気付いては

×をつけていくことの繰り返し




みんなと同じ、が何なのかノートをしても自分でもほんとわからないんだけど


多分私が目指してたのは

「特に意見もなく、流されて、考えもせずに集団行動ができて、指示待ちで適応力のある扱いやすい子」


大人にとっての都合のいい子

だと思う


日本人にあるあるな、意思のない子

同調圧力の中にストレスなくおさまれる子

あんまり特徴がなくて、害がない子

没個性的

一般的

平均的

埋もれちゃってる感じ

静かで大人しくて目立たない感じ

それでも何だか満足してニコニコ過ごせてて


そういう人になりたかったんだよなあ

THE 日本人!

みたいな感じ

ほんっとなりたかった!

憧れ像第一位だった!


でも、よーく考えると

「みんなと同じになりたい」

ってすごく日本人らしいよなあ、とも思う



ただ、これを私がこれからも目指していたら

いつまで経っても私は私じゃないし

子供達にとってもキッツー煽りだろうと言うのは

流石の私も十分承知でございます