私自身が40年間やって来たこと
どんな風に生きてきたのかが、
少しずつわかってきては、その異常さに自分でも気持ち悪くなります
今年の2月にナリ心理学の母親理論マスター講座を受講し、
講座の資料を何回も繰り返し学んでいる最中なのですが
5巡目をやっている今、1巡目、2巡目ではわからなかったことが
こういうことか!私の場合、それができなくてこうなってたんだ!
が解明されていって
解明されるのっていい事なんだけど・・・
マジか、今までこれを無自覚にやって来てたんだ
ということばかりで、
5巡目の今が1番キツいなあと思っています
自分がやっていることがわかることで、
うちの母の異常性も見えてきます
そして私も、母と変わらず異常だったということ
がわかり、本当にどうしたらいいのかわからなくなります
そりゃあ子どもたちは学校に行かなくなるし、
長男は夏休み明けから、すごく怠そうに日々過ごしていて
それも当たり前だわな、と思うし
それくらいヤバいことをやって来てしまって
本当に子どもたちに申し訳なさすぎて
ここから挽回するのに、何十年かかるかもしれないけど
私がやっていくしかない、それ以外ない
という崖っぷちか、崖から転落済みな現状です
私が40年やって来たことは、とにかく自己防衛でした
母が持っていた私に対する理想像は、
実際の私とは全く異なっていて
私がやることなすこと全てが、母の理想像ではなかったんだと思います
これと言ったものは、母にもなかったと思うのだけど
なかったせいで、私は私自身を消そうと必死になっていた40年でした
私が思うこと、やりたいこと、選んだこと、やりたくないこと、できないこと
全てが間違っている、というメッセージを母から受け取っていたので
私はずっと、自分の中から湧き上がって来たものを否定してきました
「私」を否定して、消すのに一生懸命でした
でも、消そうとしたって消せないんです
隠そうとしても、押し込めようとしてもなくならない
だからずっとずっと、私が私と闘い続けてそれに消耗をしていました
それは「私」では母に愛されないから
認めてもらえない、褒めてもらえない、喜んでもらえない
どうやったって、1mmも愛してもらえる気がしない
だからずっと「私」を消したり、なくすことに一生懸命でした
「私」じゃなければ、お母さんは満足なんでしょう?
「私」じゃなければ、お母さんは喜んでくれるんだよね?
って、ずーーーーーーっとやっていました
それくらい、ほんっとにうちの母から愛されている感はありませんでした
自分が出てしまうことが不安、
自分のままでいることへの不安が、
自分自身への否定と攻撃になっていたのだけど
当たり前だけど、そんな事をしたら辛いので
私はいつも疲れて、頭の中は怖くて、不安でいっぱいでした
自分のままではいられないのに、
どんどん自分の思いは溢れてくる
自分で叩き潰しても叩き潰しても出てくる
そもそも自分で隠そうとしたって
否定したって隠れないし
もう既に出てしまっているんだけど
だから、今ここに自分が存在している事実から逃げたくて仕方がなかったんだと思います
私は、今ここにいることが苦痛だった
だって存在してしまっているから
でもなぜ、私は存在しなきゃいけないんだろう?
そうやってずっと葛藤して生きて来ていたのが、わかりました
それが私は、特に長男に対して否定のメッセージを送り続けたり
時にキレたり、理不尽なことで怒ったりをしてきたのだけど
それがわかったことで、
母も私と同じ仕組みで私に接して来たのもわかりました
母も既にぶっ壊れで、私に対しては反応反射で自己防衛するしかできなかった
壊れたおもちゃ、壊れたロボットみたいに
私を見ると、私の声を聞くと、反射的に自己防衛スイッチが入って
自分を守るために、私を否定するしかなかったんだと思います
それは、私が大人になってからもそう
今でもそう
私が母の思った私から1mmでもズレると、作動してしまうもの
母自身の意識とかも全部超えて、
そういう壊れたセンサーがついた何かの物体なのが、うちの母
「この子がこうなってしまったのは、私のせい」
そうやってまた、私を何とかしようとするし
自己防衛するために騒ぎ立てる
だから私が、どんな私であっても
母の前に現れたら、母はぶっ壊れセンサーで狂い出す
それは「私」が悪いんじゃなくて、
母の元に生まれた第一子(特に女の子)だったら
誰でもそうなっていただけ
ほんとのほんとに、私は運が悪すぎた
第二子だったら少しは違ったのかも?
他の家の子だったら違っていたのかも?
そういう、置かれた環境が不運すぎたんだって
どんどん納得していきました
だから、今ここにいられない
自分が存在している今から早く逃げたい
ちょっとのことでも我慢できない
ちょっとのことを待つことができない
逃げるため、少しでも苦痛を避けるためにしか動けない
そんな私で40歳まで来てしまいました
母と同じ世界観、見方で私は長男にも
ずっとずっと否定のメッセージを送り続けた
「長男」というもの全てに反応して
今ここにいられないから自己防衛に走って
たくさん攻撃をしてきてしまいました
自分のやってることの異常性は、
自分でもわかっていたはずです
わかっていたから、認められなかったし
受け止めることができなかったのかもしれない
そうやって出来上がった現実は、かなり酷くて
余計に、今ここにいるのが辛くなる
自分が積み重ねて来たものの集大成だから
「もう、やだ!」って、今までの癖がスルッと出てくる
出て来た後に「またやってしまった」「こんなことまでも???」に気付く
どうしたらいいのかわからない!
と、そう思うんだけど、
「何もしないこと」
でしかないんだろうなって思う
何もせず、何もできず、
ただ、今ここに
ただただ存在しているだけでいること
目の前に自分の不安を掻き立てる現状が広がっているけど
それでも、ここにただ存在していること
自分が今考える「こうしたら」は全部間違いだってこと
何かしようとすること自体が、間違っていること
私が何かをして、どうにかなることではないこと
今の私には何もできないこと
何もできなくて
全部間違ってる私のままで
ただただ存在していること
子どもたちには笑っているだけでいること
事実を事実のままだけで捉えること
これらは、私が今までで1番怖かったことたち
「今ここにいることが死の恐怖並に怖いと思っている自分」
でも、そのままいること
それに慣れていくことからしか
何をやっても意味がないんだろうって思った
昨夜、ガチ・マリコ塾の0期ファイナルがあって
その中でも母親理解に繋がる
マリコ先生作の「悪魔のプラチナカード」の話があったのだけど
私はそれをマリコ先生が塾生に配布をしてくれて
はじめて読んだ時、本当にうちの母のことだと思ったし
私自身がそれを使いまくって来た自覚があって、
昨日は最初しばらく聞いてるだけしかできなかったし
涙がジワジワ出て来てしまった
私、悲しかったよね
ずっと悲しかったね
子どもたちも同じだね
悲しかったよねって
私にはやる事がまだいっぱいある
自分の感情の整理と、自分に気付いていくことと
ただ、笑ってここに存在していること
わかりたくなくてずっと避けて来た事を
ひとつずつ自覚して受け止めていくこと
本当に大忙しの毎日だ
それでも、とにかく1番早い今に
できることをやっていくしかないから
自分の存在に慣れていくことからやっていく