昨日はノートをしていて、
昔の自分のことを振り返っていた
私の出身地はど田舎で、
高校卒業後に進学を希望する人は地元を離れることになる
というのも、近隣に高校以上の学校がないから家から通えないため
だから私も高校卒業後は地元を出て、
東京にある看護学校に進学をした
私が通っていた看護学校は、
卒業後はほぼ自動的に系列の病院に就職ができて
東京の病院にするか、仙台の病院にするかを選べた
私はそこで、仙台の病院を選んだのだけど
ほんとは東京の病院がよかった
形だけの就職面接があった時に、書類に希望を書く欄があったけど
わざと書かずに、運任せにしようとした
でも、就職先は運ではないので
面接の時に「どちらを希望しますか?」
と聞かれることになって、私は「仙台を希望します」
と答えて、
その日帰宅後泣いた
完全に脳内のうちの母の圧に耐えられなかったからなんだけど、
うちの母は直接的に「仙台にしなさい!」とは言わなかった
「お母さんは何にも言ってない、あんたが決めたんだから」
そういうスタンス
でも「帰ってくるよね?」という圧をはっきり感じていて
私はその脳内の圧が怖くて怖くて、
面接の人が決めたんですって言い訳もできずに
自分の就職先を選んだ
私は何が怖かったのかなあ?
何で、面接の人、会社の人のせいにしても
東京に就職することを選べなかったんだろう?
絶対にそういう嘘がバレることなんてないし、
「なんで仙台なんですか!」って抗議する親でもない
きっと、「東京に就職に決まったよ」
と言っても反対はしないだろうと思う
1番は、ただただ何か言われるのが嫌だったからだと思う
母からダメだダメだと言われていて、
私は母の理想の子、希望通りの子になりたかったから
せめて、母の希望している「家に近い方」にしなきゃと思ったし
東京を選んで、母や祖母から何か言われたらと考えた時の
罪悪感で死にそうな気持ちになってしまうからだと思った
その他の理由は、上手くいかなかった時の保険だと思う
東京を選んで、上手くいかなかった時
自分で選んで自分で決めて失敗するのに耐えられなかったんだ
でも、仙台を選んでおけば
上手くいかなくても、母の希望だったし
って人のせいにできるから
それまで自分の意思決定をしてきたことがなくて、
看護学校に進学するのも
脳内の「他に違うものを選ぶわけ???」という圧に耐えられなかっただけだから
自分で選んで失敗して、そして母にぐちぐち言われるよりは
選ばず、自分の希望を捨てて
母からぐちぐち言われた際のダメージを減らして
母のせいにして自分を守らないとやっていけなかったんだなあって思う
結局、何を選んだって母は文句をぐちぐち言う
いらないことに文句を言う
母の気に入らないことには、更に文句を言う
私が上手くいかなかったり失敗したら文句を言うし
失敗しても「お母さんのせいじゃないから」って逃げてしまう
そういう状況下だったから、
私が自分のダメージが1番小さいものを選ぶしかなく
その選び方が「母の言う通り」だった
そして私はそれ以降もずーーーーっと
自分では選ばず、
何でもいい、運任せ、誰かが決めたもの
もしくは自分の希望が自覚していたら、それじゃないもの
を選ぶことで、自分のダメージを減らしてきた
何で私はいつも自分の希望を選べないんだろう?
と自分でもずーーーっと疑問だった
でもそれは、
ただただ自分を守りたかっただけだし、
失敗する怖さと、失敗した後の仕打ちが怖かったからだし
失敗しても大丈夫という経験の一切を避けてきたから
いつまでたっても失敗しないまま、今まで来てしまったんだと思う
そうやって、失敗を避けてきた私は
失敗をせずに今まで来れたかと言うと、
それは反対で
40年の人生は、ほぼ失敗だった
これが事実だと思う
失敗を避けて選んできたこと
何でもいいと言って相手に選ぶのを譲ったこと
自分の希望を捨てて、違う方を選んだこと
怖くて選べなかったこと
こればっかりやって来たから、失敗だらけ
結婚も、出産も、子育てもぜーんぶ失敗
失敗の積み重ねで、今の現実が積み上がってしまっていた
失敗したくなくて、失敗してないことにしてきたら
結局は全部失敗だった
でも、それを全然認められなかった
もう失敗してるのに、失敗してないことにしたかった
辻褄合わせようとしたり、エセポジティブに考えてみたり
色んなことを学んでやってみることで挽回しようとして
どんどん状況を最悪にしていくだけだった
特に子育ては、振り返れば
出産しないのが一番のベストではあったけれど、
5年前、7年前くらいに
ちゃんと降参しておけばよかったのにって
今振り返ると思う
もうダメだ
私には子育てダメだ
とにかく子どもたちが生きているだけでいい
生活がメチャクチャになったとしても
誰かに文句を言われたとしても
(現実的には夫なんだけど、実際は脳内の母)
ごめんなさい、私には無理だった
できなかったんだ!!
って
ちゃんと降参して、数年捨てるつもりで
ただただみんな生きていて
少しでも楽しく笑って毎日過ごすだけ
そんな生活でもいいやって思えていたらよかったのに!
って
実際は5年前は、私が本当に壊れそうで
ギリギリの状態であれこれやっていて
自覚はなかったけれど、私は「助けて!」って叫んでいたんだと思う
それでもガンガンに突き進もうとしたのは、
失敗できないから、だったんだろうな
もう失敗してるのに、失敗できない!
失敗したら大変なことになる
失敗しても誰も助けてくれない
失敗しないように私は選んでいるんだから、失敗できない
って、怖くて不安で焦りまくって色々やってきてた
失敗しないように自分の考えを捨ててるんだから、
自分を出さないようにしてるんだから
失敗するわけがない
これで失敗なんかできない
って、自分を縛ってたんだよね
そして2024年40歳の私は思う
いや、あの時数年捨てておいてもよかった
全部に降参して、無理だーってできてたらほんとはよかった、と
でも、それが無理なことはわかる
今の自分と、あの時の自分は全く違うから
そして、5年後くらいの自分だったらどう思うだろう?
と考えてみたら、やっぱり
今、数年捨てて、全部に降参して
もう何にもしなくていい
失敗したのは事実だから、上塗りするのはやめて
もっとどんどん諦めてほしい
だった
多分、今ガチャガチャやることは
これから先の自分の首を更に苦しめるし、
子どもたちの心をどんどん潰していくだけだって
それもすごくわかる
現状は別に最高でもなく、
世間と比べたら全然いい状況の部類に入らないのもわかる
でも、今失敗覚悟で選ぶとしたら
もっともっと自分に降参できる方を選びたい
ハードルが低い方を選ぶ
耳障りの悪いものを選ぶ
諦める方を選ぶ
損するかもしれない方を選ぶ
良くならないかもしれない方を選ぶ
コレだわなーーーーーって
ほんと、失敗したくなかったし
失敗してないことにしたかった!
自分を奮い立てていたら、失敗にならないと思ってたんだーーー!!!!
実際、色々と失敗をしてきてしまった私なのですが、
失敗をしたらどうなったか?というと、
ただただ自分が無駄なことをして、自分を痛めつけて来たこと
人生の時間をたっぷりと損したこと
そして、子どもたちをひたすら傷つけて来てしまったこと
周りの人たちのことも大切にできず、人間関係を築けなかったこと
そういう負債だらけを作って来ただけだった
別に誰にも怒られないし、責められないし
迫害されるわけでも、いつまでもネチネチされるわけでもなかった
ほんと、何だったんだーーー???
でしかなかった
これ以上、未来の自分に繰り越したくないので
過去の自分が「失敗だー」って叫んでた今を
今日も生きていこうと思います