ほんっと、自分の今までやって来たことがわかるのは
最低最悪な気分になるし、
自分のことが信じられなくなる!
だから、気付きたくなかった、わかりたくなかった
それを直すことの方がずっと大変な作業で
自分のやって来たことのキチガイ具合を目の当たりにするのは
本当に嫌だ!って思う
日々、自分のキチガイぶりとの対峙で嫌になる!
いやになるー!いやになるうううーーー!!
の毎日です
ってなわけで、今日も気付いたことについて
私の中にずーーっとあるクソ価値観に
「助けて欲しかったのに、助けてもらえない」
「自分で何とかしなきゃいけない」
がある
ほんとは困ってて、上手くできなくて
よくわからなくて助けて欲しいのに
助けてもらえない
母は過干渉で、母が良かれと思っていることは
どんどん勝手にやったり、母の良いようにルールを決めるけど
私が困った時に手を貸してもらったことはなく、
怒られるか、見放されるかだった
すごい成果は求められていなかったけど、
母の求めることに対してできないと、怒られるので
私は、できないことをできるようになることに一生懸命だった
でもやっぱり、できないことの方が多くて
「できない」と言わないための小細工作りに精を出したタイプ
口ばっかり、脳内理想を上げて「できるはず」と思い込む
そうしてあれこれやっては、できなくて
色々失敗して来たんだけど、
そう言う時も母に励ましてもらったりとかはなかった
だから、もうダメだ!ヤバい!無理!
と自分が気付いた時には、結構やらかしていたり
「何でもっと早く言わなかったの!!」
と言われるような状況になっていることも多くて
誰にもどうにもできなかったり、
非ダイヤな人(仕事だと上司や先輩)相手に相談をするから
「私は知らない」って知らんぷりされることも多かった
それをずーーーーーっと今まで引きずって来て、
私の中に「助けてもらえない」思いを熟成させてきたから
まんまとそれを子供に対して、
母からされたようにやっている自分に気付いて
本当に最低な気持ちでいっぱいになった
自分が良かれと思ったことは干渉する
自分の不安からも干渉する
ここで既にスーパー過干渉
でも、ほんとはこうして欲しいって言うのが
子供たちの中にはあるし
子どもたちもそれぞれに助けて欲しいこと
手伝って欲しいことがたくさんある
甘えたい気持ちもある
私の良かれと違うことの方が多い
でも、大体私はそんな子供の気持ちを受け取れない
ここで手伝ったら、最後までやらせないから責任がわかんなくなる
とか
なんか、それっぽい事を理由に手を貸してあげられない自分がいた
何でこんなに私は意地悪なんだろう?
何で子どもに厳しいんだろう?
それはずっと前から思っていて、
全然子どもたちに優しくできない自分が大嫌いだった
そう言うのもあって「自分にできる事をやろう」と
自分の良かれと思ったことの方に
過干渉で対応して、
自分の意地悪なところを帳消しにしようとしてたんだと思う
だけど、多分一番の火種は
・母に助けてもらえなかった
・母に許してもらえなかった
・私には誰も味方がいない(母が味方じゃなかった)
こっちがくすぶっているから、
ほんとは私の方が助けて欲しいのに!
人の役になんか立ちたくない!
人に手を貸したくない!
味方になんかなれない!
そんな風に、特に子どもたちが困っている時に
手を差し伸べられない自分なんじゃないかと思う
母は私のことなんかどうでもいい、そんな私は存在しなくていい
そこから発生した思いや、
母からしっかり受け継いだ冷たい厳しい世界観で
私はまだまだ考えてしまう
子育てのことも、
「助けて欲しい!」と同時に「助けられてはダメ」
と言う思いも強く持っている
自分でやらなきゃダメ!
子どもたちも自分でできる子に育てなきゃ!
↑ここが大きいなって、自分でも思う
で、自分の行動として
どんな事をやって行ったら
私は助けてもらえない!という思い込みとさよならして
「助けてもらって、生きていけばいい」
と思えるかなあと考えてみたんだけど
私が、いろいろやめて、助けてもらって
「ありがとう!」って言うことを増やしていくこと
からはじまりかなと思う
私というやつは、大分ポンコツで頭もよくなくて
色々とできないことの方が多い
長男の方が、機械の使い方が上手いし
次男の方が、ゲームや雑学を知ってるし
そういう時、素直にお願いして「ありがとう」って助けてもらおうと思う
頼んでも「やだー」って言われることもあるけど、
そういう小さなことから助けてもらおうかな、と
昨日も、長男にはうなぎのフィルターの機械の取り付けを助けてもらって
次男には、ピクミンのボスを倒してもらって
私は非常に助かった!!
コウテイデメマダラ、私が戦うとピクミン全部食べられる
助けてもらう
ってことも、よくよーーく考えてみると
「私はいったい何を助けてもらいたいんだろう?」
に行き着く
非ダイヤ濃度がガンガン高い時は、
自分の存在を「このままでいい」って思えるために助けて欲しい
だったんだと思うけど
今の私は、じゃあ何を助けて欲しいのか???
なんだろね?????
今までの癖で「私は助けてもらえない!」
「1人で頑張らなきゃいけない!」って叫んでいただけかもしれない
それこそ、ほんとに思い込みだったかもしれない
我が家に代々伝わって来たクソ価値観
母も多分祖母から受け継いだんじゃない?知らんけど
私もしっかり子ども達に、同じようにに伝え続けてきてしまったから
これからはそれの上書きの作業
助けてもらえるし、何でも1人でやらなくていい
そのための工夫をしていい
そんな風に私も子どもたちも思って生きていけるようにしたい
まだまだ私のしくじりに気付いたり、炙り出されるだろうことがわかって
ほんとにゲローって気分です
終わりなきキチガイ
うう、次は何なんだー!!!