この世界には正解がない


私は今でもまだ架空の「正解」に囚われてしまうんだけど

今よりももっともっと非ダイヤ濃度が高かった時は

全然このフレーズが入ってきませんでした


しかも、それがわかってるとすら思っていて、

自分もそのように思えていると思っていました


自分は自分で考えて、自分で選んでるつもりだったから


実際は、ガッチガチに母に思考は支配されているから

自分の意思が沸いても、

怖くて脳内母に従っていただけで


私は自由とは真逆にいる

それが理解できた時、かなりショックでした



リブログ先の記事で1番印象的だった部分が


↑ここの部分


読んだだけの時はスルーしていたけど、

ノートにまとめている時に

これがうちの親子関係!驚きと思えてきて

うわぁ、という気持ちと、そういうことかーが一気にやって来ました



うちの母は、私に対して「いい子になってほしい」「悪い子にならないように」

と子育てをしたそうです


それって、母の世界には「正解」があって

私はその正解から逆算されて矯正されていたということ


私に対して母の中の「いい子」という正解に合わない時は、強制

「いい子」像から外れたら、不正解の「悪い子」


うちの母は本当に頭が悪過ぎるので

今でもそれを真っ直ぐに正解だと思っている

本当にブレなくて

自分はよくやったとすら思っている


母の正解に合わない、私の得意不得意は母好みにされ

母の不正解にあたる、私の個性や好き嫌いは完全否定される


それが私からは、

私のことが嫌いでやっているんだと思ったし

どうして分かってくれないんだろう?という永遠の謎だった



でも、ただ母はあるはずのない「正解」に当てはまることが

子育てなんだと盲信していたから

あんな風な母の言動だったんだってなると


ほんと、ハタ迷惑な話だよ

ほんと、親ガチャどうなってんだよ!

私の運が悪過ぎもいいとこだろ!


そんなの子ども時代に気づけるかよー!!

危機的状況下でそれに気付ける訳ないわー!!!


って思った



不正解は罰せられる、正解以外は排除されるし

ナ⚪︎スみたいなのもほんと、まんまうちのこと



私自身ずっと、

私はAIを目指してるんだろうか?

と自分にツッコミ続けてきたのだけど


母から、母の都合のいいロボットとして育てられたんだもん

自分とは全然違う、感情をなくしたようなAIになるのも

当たり前じゃんね、と思えて

頭の中のいろんなことが、カチっとハマった表現の部分でした



それくらい、私の幼少期は「母の正解」しかなかったから


私がずっとずっと「不正解」になりたくなくて

不正解になったら、罰せられる、排除されるって怖くて怖くて

正解は何なんだろう?って不安でいっぱいになるのなんて

全然おかしくない

むしろ、当たり前の反応だったんだって思えて

これまたホッと安心するような気持ちでいっぱいでした



心が弱っている人は、正解を求める

不安だから正解にしがみ付く、盲信する


不正解だと罰と排除がやってくる

私はこの家では存在できないって思い込んでいたんだから

「私もお母さんの子でいたい」

「私も家族の一員になりたい」

「そうしないと、死んじゃう」

ってずっと心の中で叫んで必死だったのだから


母の正解に従うことが、唯一のライフラインだったのだから

私は好きで正解にしがみついていたんじゃない

それしか生きていく方法がないと思って

自分の命を守りたくてやっていたこと


それしか選べなかったからやっていたこと


私が好きでそれをやっていたわけじゃない!



最近は気付いて分かって、ものすごく力が抜けて脱力するのと

ジワっと涙が出て来ることの繰り返しだらけです




母親理解をする中で

母の言っていることは、母の世界の中では正しい

でも、私の世界では正しくない

↑この部分をハッキリ思えた時「よし!」と踏ん切りがついたのを今でも覚えています




この世界に正解はない

不正解のない自由な世界


正解、不正解に対するナリくんの表現の中で

私が1番好きな表現が


「納得いく不正解を選ぶ」

です


不正解のない自由な世界、だけど

正解がないから全部不正解


私は全部不正解の方が何だかホッとする

「これが正解」とか「私が正解」じゃなくていい

主観の世界では、全部自分が正解なのはそうだけど

別に全部不正解でもいい


正解じゃなくてもいい

それが、何だか心地よくて落ち着く感覚です


だから、納得のいく不正解を選ぶという表現は

ドンピシャ過ぎて、はじめて目にした時に感動しまくりました




まだまだ架空の正解に縛られまくっている私だけど、

その中でも、自分が納得いく不正解を選んで

これからも生きていきたいなあと思っています


それが、私の自由の練習!