昨日、最近のモヤモヤについてブログを書いて
その後自分で読み直してみたら
「可哀想扱い」が色んなことをぐちゃぐちゃにしてるな
と思ったので、リブログ先の記事を改めて読み直した
昨日私がブログに書いた、ハウスメーカーのアフターサービスに関しては
私が担当者の人を可哀想扱いして
結局は自分を守ろうとしてた
1番先にしたことは、担当者さんへの同情で
その次にしたのは、その人やそのことについて
ちゃんと言いたいことが言えない自分を正当化することだった
人を可哀想扱いするから、
自分もすぐに悲劇のヒロインポジションに入る
ほんと、それだけなんだなって思った
自分に対する認識や、ゴミ価値観まみれの頭の中や
そこから自分が取る行動、取れない行動に対して
全部自分を正当化するために、
可哀想扱いすると、誤魔化せちゃうんだなあ
それに、私が間違ってるかも、私が悪いのかも
という思いを自分が採用しちゃうと、
もう、何も言えなくなっちゃうから
私自身、保身に走って逃げてたんだ
私も同じくらい、弱者アピーーーーール
恥ずかしっ!!
そして、改めてまた今回のことを考えてみた
私は、担当者の対応を見て、これがこの会社のやり方、みたいに
一部を見て全部だと思って、自分に「仕方ない」と言い聞かせてた
(結構いろんな対応がボロボロだったんです)
でも、前任の人たちも、ハウスメーカーの他の対応の人たちも
これまですごく丁寧にしっかり対応をしてくれることの方がずっと多かった
ハウスメーカーは地域の工務店ではなく、
全国展開しているメーカーさんで
アフターサービス部門まで独立してあるくらいの規模
そのアフターサービスの対応に不満があるのに、
何で私はその不満を持ったままでいいことにしたんだろう?
私は自分の家、毎日の生活や暮らしの不具合に不満を持ったままで平気ってことなの?
小さな小さな我慢を毎日積み重ね続けていいの?
今の担当者さんの対応に何も言わず、そのままにするってことは
「うちはその対応で満足してます」って許可を出していることになる
いや、NOでしょ!!
だから不満なんじゃん!!
私がこのままこれでいいって許可を出し続けたら、
これからもずっと担当者はこのままで
会社もこれでいいんだって認識で
しばらくこれが続いていく
担当者の対応ばかりみて、勝手に拡大解釈して「仕方ない」わけがない
多分会社からしたら、我が家がそんなに不満だったなんて知らないはず
私がやってたことって、
ただ自分を守りたかっただけだけど
自分のことも、自分の家のことも、担当者やメーカーのことも
バカにしてただけなんだなあと思ったら
ほんとに私ってバカじゃん
何やってんだよーー!!
自分も人も自分の家のメーカーさえもバカにして
ほんと1人何やってんだよーーーー!!!
という気持ちになって、
ハッと目が醒めた気持ちになりました
ついつい、世界は冷たくて敵だらけになっちゃう
敵なんていないし、
誰も私を陥れようなんてしてない
みんなただそれぞれ優しく善意でやってるだけなのに
私が勝手に被害者色をつけちゃうんだよね
可哀想な人を勝手に作っちゃう
いけないいけない
私はじゃあ何をしたい?何を言いたい?
ってノートに書いてみたら
・事実確認がしたい、不明点や疑問点を解消したい
・担当者を変えてくださいと伝えたい
それだけだったーーーー
たったそれだけ
え?これだけだったのーーーー?
何が何だかわかんないことを整理して納得したいのと、
担当者変えて次の相談をしたいだけだったー
(家のことでもう一点修理依頼したいことがあるんだー!)
もー、それだけかーい!!
担当者変えてください!
って言えなかっただけかー!!!
10文字で済むことだった・・・
他には特に、別に言いたいことはない
誰かに遠慮したり、我慢したり
罪悪感持ったり、それでブレーキかけなくていい
私が可哀想扱いをやめて
自分も世界の全員に対してもダイヤ扱いしていけばいい
自分のクセつよな非ダイヤ思考で引っ張られつつも
ひとつひとつ紐解いて、何度もその結論に戻る
忘れたら思い出す
で、いいし
結局答えってシンプルなんだなあ
と思った一連の出来事でした