今日は、タイトル通り自殺とか死の話なので

体調が悪いとか、こういうの苦手とか、今現在何かで落ち込んでる人は

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死死死死っていっぱい書いてあるので、

ふと私のブログが消えてたら、アメブロに垢BANされたか!って笑ってやってね















私の身近には、割と簡単に「もう死ぬ」を言う人がいました

それは、母方の祖母でした


祖母の場合直接的な言葉ではなく「石のシャッポ」と表現をしていました

シャッポは帽子のことで、お墓を指します


祖母は私が物心ついた時には、リウマチなどの病気持ちで

体調が悪いことが度々あり、それで弱った時に言うこともあったけど

大体は拗ねて言うことが多かったです


それも、うちの母が祖母に対して色々言って、いやな気持ちになった時に

「ばあちゃん、あとはもう石のシャッポだから」とか

「石のシャッポかぶりたい」と言っていました


祖母の弱者戦略は結構キツくて、

本当に弱々しく

「さと・・・こ・・、はぁ、、、ばぁちゃん、、、もうダメだ・・・」

みたいな感じで語りかけるので

私もすっかり祖母との共依存にはまっていました



祖母曰く母のことを「子供を産んでからこうなった」「こんな子じゃなかったのに」

「お母さん(うちの母)の言葉は五寸釘だ」

とよく言っていて

母の祖母に対する関わり方は、確かにちょっと厳しくて

すぐに祖母を責め立てるし、些細なことに口出しするし、それがかなり一方的でした


それを私は子供の頃から見ていて、お母さんが祖母をいじめているようにしか見えませんでした

だから、祖母が石のシャッポなんて言うのは、全部母が悪いんじゃないかとも思っていたし


当時自覚はなかったけど「私が生まれたから、お母さんはこんな風になったの?」という思いが

ずっと私の中にありました



でも、

ナリ心理学で自殺学や母親理論を学んで、やっとわかったのは

これは母のせいじゃないということと、

最大の被害者が母だということ


お前のせいで自殺するぞ、ってメッセージを母は自分の母親からずっと言われ続けているということ


それでも私は、

母のことをダイヤだと思えるようになってやっと、

母は被害者なんだってわかりだしたくらいでした

だから、ほんと最近の最近でやっと


母は最大の被害者、が腑に落ちました


やっとのやっとで、そりゃあ、うちの母は気が狂って当然だし

自己愛性パーソナリティ障害なんじゃない?って思える人になったのも

本当に仕方のないことなんだ、とまっすぐ思えるようになりました



祖母と孫の関係ですら「祖母が死んでしまったらどうしよう」「怖い」と思うし

それが自分の母親のせいで、ついでに母親がこうなのは

「私のせい」で


それで祖母が死んでしまったらどうしよう???

と私も罪悪感でいっぱいでした

無自覚だった時は、それが余計に暴走していたと思います



母親と向き合う中で、私は祖母と母との関係を

一歩引いた目で見ることができて、少し冷静に考えられるけど

それは、祖母が私の母親じゃないからできることのようにも思っていて

だから、今の母は母の人生が終わるまできっとこのままだし

祖母が亡くなった後に認知症になったり、混乱が母の中で起きた際に

母も死を選んだり、自暴自棄になる可能性だってあるなと思う

その時口に出した言葉、遺書みたいな手紙に私の名前が出てくる可能性がある

脈絡もなく、私の名前が出てくることだってあり得る


可能性と私のただの想像でしかない話だけど、

そうなったら母の死と私が急に結び付くことになるだろうし

ゼロじゃないのは確実だと思う



私が出来ることって、

本当にそうなった時のことを詳細に想定しまくって

きっとこんな気持ちになる

その時はどんな風に自分があろうかと考えることや、

自殺学にもあるけど、死や自殺について冷静に考えること

ダイヤだとどんな風に死を捉えているのか

もしも自分の親が自殺を選んだ時、どんな風に考えるのか

それを知識として持っておくことしかないと思ってしまう


あとは、自分のダイヤ値をしっかり上げて

「それでも私はこのまま存在していい」

そう、しっかりと思える自分になることなのかな



現状私は最弱で何もできないのだけど、

母親と祖母の関係がこの状態でも

私は私の人生を生きていい

自分と自分のこれからの人生を生きることに挑戦していい

いらない罪悪感は全部捨てていいと、今は少しずつ思えてきています




今年の春くらいに、私の持っている死生観一度ガッツリ向き合った時

私の中に強い「死んではいけない」

という思いがあることに気付きました


どんなことがあっても、私は死んではいけない

だから死にそうなこと、ケガにつながる、命に繋がることを避けなければいけない

それに対する恐怖心も強いことがわかりました


それは私が小さい頃から叩かれていたこともあったと思うけど、

祖母の石のシャッポ、そこから感じる罪悪感や

母の「死なないで欲しい」という思いからくるものも大きいと思いました


だって素直に、怖い、悲しいそれだけですもん

小さい時からそんな祖母と母を見て、そりゃあ怖くてたまらないし

悲しくて悲しくて悲しくてそれでいっぱいです

私自身も巻き込まれたし、恐怖と悲しみでしかなかったです


この「死んではいけない」は祖母の価値観だと思います

戦時中、祖母の父と母がなくなり、祖母が妹2人の面倒を見て過ごし

「何があっても死んではいけない」と思って生きていたのは当然で

その思いで母のことも育てていったんだと思います


死んではいけないは母に継承して、

そのまま私にも継承してきて私の中にもしっかりある

結構今まで本気で精神的にキツくて、生きている心地もしなくて

何度もメンタルがやられて、ほんと息してるだけみたいでも生きていたのは、

私が強かったのでも、生きる力があったのでもなく

ただ「死んではいけない」という強い呪いにかかっていただけなんだと思います

ただ生かされていた結果、今いる


祖母も母も、それはおんなじなんだろーなー

と思う






自殺学に関する記事は、

身近でリアリティのあることだったので

私はしっかりと考えていく必要のある項目でした

かなり重たい話だけど、知ることができてよかった

これが1番大きかったです