うちのうなぎのお気に入りスポット↑

フィルターの下


フィルターを設置してからというもの、気付くとよくここにいます



そんなうなぎのエサをよく食べるタイミングを掴めてきて、

ミミズを水槽に入れると勢いよく食いつくようになりました🪱

その姿はすごい野生的で、よしよしにっこりって気分になります


うなぎ部の部長(長男)も、

この前はミミズ取りに着いて来ました

こういう山道の道路脇の落ち葉をシャベルで避けて

出てきたミミズを捕獲しています


うなぎ部の活動は続くニコニコ


昨日、ブログを書いた後振り返って

色んな思いや気付きが繋がりました


ただこのまま存在していい

「いるよ!」

って、私は一体誰にアピールしてるんだろう?

と考えてみたら


「私」でした


私自身に「私、いるよ!」って言いたいんだな

とその時ハッキリと自覚して

ノートにその事や思いを書いていたら

涙がいっぱい出てきました


ずっと怖かった、悲しかった、ひとりぼっちで寂しかった

味方どころか敵だらけみたいな家庭内で

そりゃ、勘違いもするし

子供の頃の怖かった記憶や感覚をすぐ忘れるとか無理


でも、それも長年の習慣とクセなんだろうなとも思えて

そういう昔の子どもで何もできなかった自分や

弱い自分を、私が無視しないでいることだな、とまっすぐ思えてきました


そっか、無視していたのは自分かー

そんな自分に、無視しないで!いるよ!

って言いたいんだ



バンプの「ダイヤモンド」の2番〜Cメロが沁みる

一体どれくらいの間助けを呼ぶ声を無視してんだ

その背中に張り付いた泣き声の主を探すんだ


前ばかり見てるから中々気付かないんだ

置いていかないでくれって泣いてすがるようなSOS


聴いたことある懐かしい声

なんか随分大切な声


ひとつずつひとつずつ何かを落っことしてここまできた

ひとつずつ拾うタメ道を引き返すのは間違いじゃない


やっと会えた

君は誰だい?

あぁそう言えば君は僕だ


大嫌いな弱い僕を

ずっと前にここで置き去りにしたんだ


いい曲過ぎる泣くうさぎ



私は、自分が何かに気づいた時

頭に好きな曲のフレーズで出てきては

歌詞が自分の気持ちの言語化を助けてくれることが多い

No music,No life



そんな自分の流れの中、

リブログ先のブログを読んだのもあってか



が、ぐんぐん自分の中に入ってきました



この記事の中にも書いてあるんだけど、

ダイヤ理論を誤解する人は

「ダイヤをすごい」「ダイヤはちゃんとしてる」

と捉えてしまうことが説明されていて


私も大分ここにハマったなあ汗うさぎと同意しかありませんでした



・自分の母を昔はものすごい人と見上げていたこと

・実際は何にもすごくなかったこと


他者に対しては

・私のできないことを楽々やっていること

の視点でしかダイヤというものを見ることができなくて



この中でめちゃくちゃ引っかかったのが

「元非ダイヤでダイヤを思い出した人」

への見上げっぷりがハンパなかったことでした


これは「私ができないことをできた人」=すごい人

が私の中では強固でアセアセ


私がいつまでもできないダイヤを思い出すをできた人を見ては

・・・「ダイヤって物凄すぎる驚き

と更にダイヤを見上げたことにもあったと思います


私はプラスのジャッジマン🦥なので

大抵のことはこのトラップで引っかかるのだけど


こうやって何かを見上げた時は、

自動的に自分がガクンと下がるので

私はできないやつだ!感だけどんどん増してしまいます



この私はできないやつだ!の元を辿れば

私自身の能力が低いこと、遺伝的に見ても頭が悪いこと

もあるけど


やっぱり母だよー!でしかないです無気力


自分の凄さをアピールするために、

母は、子どもの私と大人の母の能力をとにかく比べました

「お母さんの方がすごい!」

って何でもやってたし、

成長で私に出来ることが増えると、とにかく否定や阻止に全力だったのが母だなあ

と思います

もちろん、母はスーパー過干渉だったしタラー


ほんとにほんとに、頭も人間力も低いのがうちの母です



私の方は、母に反発して「いや、私できるし!」

という思いを膨らませていったし

「やらせてくれないから、できないだけだ!」

と脳内理想をガンガンに上げていって


ほんとは何もできないのに、

「頑張ればできるし!」

「できないのがバレないようにしなきゃ」

「全方位頑張って、できることにしなきゃ」

で色々ぶっ壊れてました


やっぱ、見返したかったんだろうな


ほんと、疲れたーーー




そんな風に色々と理解できてなくて、

あとは知らなかったのもあって

今まで、無駄に頑張って自分よりずっと大きな虚像を見て生きてたけど




が、自分の中にスーーっと入ってくるようになって



ほんとそう!

別に能力が低くたって、生きてることと何も関係ないじゃん

何が関係あるのさ!


いろんな能力が低くて、何もできなくても

別に生きてていいじゃん!


は、自覚しないまま私の中に強くなっていたんだなあと

振り返って気が付きました



自分ができないことを簡単にやれる人もいる、

人と比べて私にはできないことがたくさんある


自分の過去を振り返ると、

ほんと「バカだねー爆笑」って思えるような

自分の頭の悪さが引き起こしたことばっかり


どれだけ私は考えることが苦手なのか

考えられないのか

本当に頭が悪過ぎて悪過ぎて

その他、色んな特性もあり過ぎてあり過ぎて



それを全部隠そうとするのがダメで、

隠したってバレてる

どうせ全部バレてる


この辺りの開き直りみたいな降参が、

私の中では一気にドミノ倒しでパタパタ倒れていく感じでした



一つ倒れると、どんどん倒れて止まらない〜〜!!




うちの母の人間力の低さはハンパないです

まだまだその低さを認めていける気さえします


でもそれが、私の低さを認めることに繋がって

能力低くても、生きてていいじゃん!

関係ないじゃん!

ってもっと楽になっていくんだとしたら


別に頭が悪かろうと、

考えるのが苦手だろうと、

ほんっと無能で何もできなかろうと

どうでもいいニコニコ飛び出すハート



結局は、自分が自分を無視しないで

過去の自分も含めてちゃんと見てあげられるんなら

能力低いことなんて、別にどうでもいい!



そう思えて、昨日はリブログ先のブログをノートにまとめては

何度もノートとブログを読み返していました



よし、どんどん下げていこうニコニコ


弱い部分強い部分その実両方がかけがえのない自分だから