「目の前で起きた出来事」を使って
自分は「こう言う存在なんだ」を証明しているのだから
目の前の出来事ではなく、
それを感じている自分にフォーカスする
非ダイヤ歴35年の私は、
↑のやり方を、
「私が間違っている」の証明のために使ってきたなあ
と最近しみじみ思う
やっとよーく気付けてきたみたい
先日、学校に長男を送って駐車場から車を出すために
車をバックで発進し出した時
プー!!
とクラクションが鳴って、おっそろしい程ビックリした
ギャッ!!と身が縮まる思いでしばらくドキドキが止まらなかった
「後ろに車が来てるから危ないよ」
というためのクラクションだったと思うけれど
私はこう言う時
「私が間違ってる」とまず捉えてしまう
ドキッとする
→私が間違ってる
→自分の悪かった点を探す
→証拠が見つかる(自分で作り出せる)
→私は間違った存在だ
こんな風に証明し続けてきたんだなあって
振り返った時に気付いた
だから、クラクションが鳴ってドキーッとなって
ビビりまくってそのいや〜な感じがして
確実に「私が悪い」「私が間違った」の気持ちで
いっぱいになってくるのが分かったので
ただ「怖い」「怖い」「怖い」「怖い」「怖い」
と怖い以外を考えないようにして
その怖い感情と一緒にいてみた
多分ほんの数秒だったかな
まだドキドキしてるけど
「私が間違ってる」と思おうとしてたなあ
と言うのが自分でも分かったので
気を取り直して、そのまま帰った
このドキーッ!からの怖い!からの
私は間違ってるの感覚は
とにかくいや〜な気持ちMAXなので
今までこれを「阻止!!」に力を入れてきた
そこで幼き頃の私が編み出した
嫌な感情からの逃げ方が
「ドキッとする自分をなくしちゃえばいい」
だったので
ドキっとしないように、無になる訓練をしてた
ドキーッとしたら、
表情に出すな、鈍感になれ、相手に知られるな
ってやってた
その相手が母なわけだけど
でも、
そんな訓練したって感情は常に動いていて
怖いものは怖いし、ビビリなのはビビりだし
ただ私がその感情を敵に回しただけで
そうやってネガティブな感情を抑えたら、
ポジティブな感情も一緒に押し込められちゃって
楽しいも嬉しいも幸せも
いつまで経っても、私は思うように感じられないよなあ
今まで本当に嫌だった
ドキー!の感覚はそりゃ嫌なことは嫌だけど
自分がそれと「間違った」を結びつけてるだけだって自覚して
ドキーッ!としたら
ただただ怖い!と思うこと、ビビることをOKにしたら
私ってほんとビビりなんだな、怖がりなんだな
って、
そんな風に思えるパーセンテージが増えていっていると思う
前が5%だとしたら→それでも30%くらいかな
まだまだビビってるけど
大成果!
そう、今回のことも
「ただめちゃくちゃビックリしただけ」
だから
リブログ先の記事にも
感情を感じるには、その感情を感じていいよ!
と思ってる自分が先にいる
「目の前起きた出来事」ではなく
「それを感じている自分」にフォーカスして
「それを感じようとしている自分から」にフォーカスすると
そこには自分を大切にしている自分がいる
と言うことが書いてあって
ドキッとするいやーないやーーないやーーーな感情は
感じるのはすごーーく嫌なことだけど
それでもそのまま感じようとしていって
そういうビビりなところも自分なんだなあって
受け止められていきたい