自信家で負けず嫌いな筈なのに、何年経ってもコンフィデント出来ないものがある。
サーフィンの技術である。
ホームの常連の中では、私の下はいないと「言い切れる」ほどペーペー(英語ではジュービーと揶揄する/juveniles の意味)なので、
誰からのアドバイスも素直に聞く事が出来る。
常連はみんな上手で華がある。そして紅一点(おばちゃんだけど、外人やし)の私に教えたがりなのだ。その点ではいい事しかない。
カフナも多く、波がないんやったら、コロラドまでひとっ飛びしてスノボ行ってくるわ。
ってのが、
御年70歳だったりするのでビックリする。
週末プエルトリコでサーフィンした。先週ちょっくらタマリンド(コスタリカ)行った。
ってのもいる。70超えても軽々と旅行に行くのは分かるが、サーフィンやスノボを伴っているのが凄い。ハワイや中南米のような大きな波は来ないけど、地元のサーファー達はこのレベルの波で練習しているからこそ、
どこに出ても技術的に上手いサーフィンできるのだろうとコーチは分析している。実際、世界的な誰もが知るサーファーを地元から数人出しているのだから、あながち嘘?負け惜しみ?でもなかろう。
これが、例えばジムや道場、プールなどで同じシチュエーションか?と言うと逆である。セルフコンフィデントの塊のようだからだ。(笑)
ある日の朝、
筋トレを終えて、スピンバイクで有酸素をしていたら、床にマットを引いて寝そべって「PTに言われた事を言われた通りにやっている」中年女性とそれを「見ているのか見ていないのか分からない態度で鼓舞している」パーソナルトレーナーがいた。
女性は私とは12時6時の位置でスーパーマン的なポーズを取って背筋を鍛えていた。
どう見ても、左右非対称で右側の腕の方が上がっている。
という事は、左側に可動域を止めているであろう何かがあるべきで、そこを追求せずに放置したまま、
特に気づいている様子もなく、
ただ淡々と、iPadに書いてあるであろうその女性のトレーニングをこなしていた。
これって、
女性がパーソナルトレーニングを受ける意味はあるのだろうか?家でYouTubeで似たようなの探しても、同じかそれ以上のトレーニングが無料でできるだろう。
自分のトレーニングをしていても、そう言うところまで目が行くほど、サーフィン以外の分野では心に余裕があると言いたいのだ。
今朝は波が大きくなると予想されていた。
明日はもっと大きくなる。明後日は肩〜頭行くかも?近くにストーム停滞中だからだ。
このレベルなら。。。と喜び勇んで海に出ると、予想とは裏腹に、
満潮で波がバンクスにぶつかって、海面がバンピーになっており演歌に出てきそうな日本海の荒波レベル
画像お借りしました。イメージです。
これは新潟ですね。新潟人なら分かる場所です。
アウトまで出るのも結構難しそうだ。波を読むのがド下手くそな私でも、今日は海面荒れてんな〜ってのが分かるくらい。
これで貸し切りやったら、サメおる🦈かもやし、怖いな〜誰か来て〜
と思っていたら、
2人の波将軍・副将軍が現れた。コンディション見て、彼らはチャリ組なので、一度引き返して数時間後潮の引きを狙ってまたくる!と。。。帰って行った。涙😢
1人か。。。
でも、もうすぐハワイやしな、練習せんとハワイはこのくらいの波では向こうじゃ波とは言わんやろ??
と着替えていると、
大御所のCがこれまたチャリでやって来た。
ロングのJもやってきた。でもみんな波に対する評価は同じで、Jに至っては、Cの乗る一本めを見てから入水するか決める。。。と怖気付いている。笑 結局入ってきて、その後うちらに続いてどんどん来て最終的に12〜3人に。
遠目からは小さくても、実際入ると自然の威力にビックリするから。波のパワーは半端ない。
行くでしょ?
とCに言われたので、「このまま帰るわけには行かへん。来週ハワイやからな。練習せんと。」
とついていく事に。
これで、1人で溺れ死ぬ事はなかろう。サメやターポン(イセゴイ)の餌食とか。。。笑
今日はベビーシャークもいた上、この大きさのターポンを見た。(この画像は拾って来たので、本文の地とは関係ありません。)
と思いながらもストレッチもせずに、意気揚々と波を乗り越えていく70才を「足とか攣らへんのやろか?」とお節介ながらも心配に思いながら眺めていた。
私がやっとの思いでアウトに出て、波待ちと呼ばれる波に乗る準備体制が整うまでに、この爺さんは数本波に乗った挙句、
私に
波の超え方が鈍臭い
だのなんだのダメ出しして来た。ちなみにこのカフナとは海では1番仲がいい。
それでもこのコンディションでアウトまで出て来たこの根性を讃えてくれた。
「貴方がいなかったら、きっともうとっくに心折れて海から上がり家に帰って枕を濡らして泣いていたわ。」
と言った。
Cは笑っていたが、
間違いなく本心でそう言った。沖に誰もいなかったら、数回スープ喰らって何度も押し戻され、漕げども漕げどもアウトに出られない悔しさから心へし折られて、家に帰って人のいないところで泣いていたに違いない。
私は究極の負けず嫌いだからだ。
競技という競技から足を洗い、順番争いがなくなったから誰かに負けて悔しくて泣くという事はなくなった。
でも、自分に出来ない事がある事が悔しいのだ。
趣味は努力と言えるくらい、
サーフィンのパフォーマンスを上げる為に、今与えられている人生のほとんどの自由時間をトレーニングに充てていても
出来ない事がある。なかなか上手くならない。
才能のある人はすぐ上手くなるのに、サーフィンだけは何年も現状維持のような気がしてならない。
こんな経験はほぼない。
だからこそ、今まで挑戦して来たどんなものよりもハマっているのだと思うが、
若い頃、もっと自分に今レベルの努力を惜しまない根性のようなものが有れば、時間を無駄にしていなければ
今頃は
もっとスタイリッシュに、そしてコンフィデントであれたのかなと
あの頃の時間を返して欲しい
あの頃もっと努力していれば
と思うのである。
ただ、40後半になって子育ても終わり、時間にもお金にも余裕がある今、アスリートだったあの頃以上の体力を保持し(☜夫談)これだけ一つのことに夢中になれるって幸せだな〜
と今を感謝しているのである。