小学校の2年生から日記を書き続けている私は、楽しかった日も辛かった日も全て日記に書き留めてきた。

学校を出たら海を渡って年のほとんどを途上国の現場で仕事をすることが多かった私は、いろんな思いを日記(当時は日めくりカレンダーの裏)に書いてきた。私の中では、自身の「駆け込み寺」的存在で、「王様の耳はロバの耳」の穴でもあるのだ。

 

 

それが、今週になって日記に書こうと思っていたいろんなことを躊躇いだした。

書くことがいっぱいあるときは、紙やノートに書いていたころにはできなかった何回かに分けて書いたうえでの予約投稿もしていたのに、それすらするのも躊躇った。

 

一番の理由は、久しぶりに風邪を引いたこと。

ヨーロッパから戻ってくる最中に思いがけずに空港で足止め、陸路も空路も断たれた挙句にただでさえ数少ないホテルは満室、レンタカーも全滅だった。ウーバーは深夜の2時や3時に来てくれるのは限られている。仕方なく空港で寝た。それから、下の娘が巣立つための引越しの手伝いなどで、家に戻ってきたころには調子が悪くなっていた。

 

調子が悪いのに波はある。海洋療法だと、連日海へ出てもうすぐハワイに行くので練習をしていた。海に行けなかったら朝はランニング、ジム、いつものルーティンは崩さなかった。そして、サブの仕事も引き受けたので、一度引き受けた以上は這いつくばってでも仕事へ行った。二万ドルの症例などを棒に振ることはできない。。。。

そして、こんな時にもハイエナの如く、以前の職場は、「ヨーロッパから帰ってきた?今度はいつ仕事に来てもらえる?」攻撃である。さすがにこの状況では、風邪をひく前に引き受けたサブの仕事以外は「Noと言えない私」ですら無理で、申し訳ないけど、今は無理だと伝えた。
 

 

風邪などほとんど引かない健康体の私が、久々に鼻を垂らし咳をし、惨めな風貌で仕事と海(ジム)以外はほぼ寝ていた。

最後に風邪を引いたのは、多分だが、去年の二回目の中南米のサーフトリップの最中だった気がする。

来月のサーフトリップは、今年2023下半期のトリップの中でも私が一番楽しみにしていたサーフィンを伴うものである。今年はもう一つサーフトリップが残っているものの、毎年行っているハワイに去年は日本に二度行ったお陰で行く時間が取れず、2021年7月ぶりのオアフ島である。楽しみすぎて、楽しみすぎるからこそ、このレベルの風邪でも海に行って練習しているのだ。

 

 

二番目の理由は、心の余裕がなかったことである。

先週の土曜日に下の娘が巣立ち、私たちは真のエンプティネスターになった。精神的な心の穴??みたいなポッカリ穴が。。。みたいな感覚は、私の中では、風邪を引いてひどすぎて、とりあえずこの一週間、引き受けた仕事だけを全うすることに全力を注いでいたので、娘がいなくなった寂しさはあまりなかった。

年老いた犬は、今まで誰かが家にいたのに(私のサブと娘のバイトは時間が被らないように調整していたので)いきなり一日のほとんどを留守番で過ごすようになり、このハリケーンシーズン特有の、午後の激しい雷雨にピカピカドンドンごろごろの激しい雷に最初の数日はいい子に待っていてくれたが、木曜日は耐えられなかったのだろう、家に帰って来たら、10年前のまだ若かった元気だった頃にもやらなかったような悪さをしていた。

 

泥棒にでも入られたか??と言うような荒れようだった。(今もまだ片付けていないので荒れているけど。。笑)

相当のものをほとんどない歯で引きちぎり、いくらか飲み込んだのか、昨日まで下痢が続いた。激しいストレスと置いて行かれた寂しさと雷の怖さから来ているもので、こんな明日死んでもおかしくないような老いた犬に怒ることすらできず、「ごめんね」としか言えなかった。
 

最後はやはりマウイのこと。

私も災害地域に住しているから分かるが、去年のような被害(海沿いそのまま攫われた)があると、国内国外からニュースを見た人たちからの安否確認がどこどこと足寄せる。それに返信対応しているのも疲れるのに、外は無残な爪痕しか残っておらず、それでも生活はしていかなくてはいけない。しばらくは安否確認を控えていたのだが、予想通り、西側に住んでいた一人は命以外は全てを失った。

 

もうこれ以上はマウイについては書きたくない。

 

 

そういった色々な理由で、40年続いている日記を書くと言うことが億劫になってしまっていた。昨日の事がなければ多分、あと1週間は、いやハワイから戻ってくるまでは日記を書かなかったかもしれない。。。。

昨日はある意味、白黒の塗り絵状態だった私に、幾つかのカラーが塗られたような一日であった。



 

 

それについてはまた。