私には生き別れた母の面影もなく、自分が母親になってからもうすぐ20年

 
私がハタチそこいらの頃は、それこそ現場活動でフィールドを渡り歩いていた頃だ。NGOでもそれ以外でも仕事をした。大学の教室に籍は置いていたけれども年のほとんどは活動が基盤だった。帰ってきたら教授に付き添って市町村や学校の検診の補助に出たり、講義に参加したりしていた。病院実習の研修に出る週もあったんだっけな。
 
 
ジャングルで暮らし、木の実を食べていた時もあれば、はたまた大草原でラクダ🐪を追いかけ、ある時は砂漠にいたり。
 
 
一番思い出深いのは、やはりマイクロネシア区域で活動していたころ。
 
 
それでも、海を越えて私とともにこの家にやってきた古い古いフォトフレームは、別の国での子供たちとの写真だった。
 
 
私はこの写真が一番好きだった。
 
 
奥に立ち順番を待つ子供の瞳が無垢で綺麗で、じっとカメラを見ているのが好きだった。
 
 
あの頃、子供達が決まって聞くことは、カメラ持ってる?だった。(デジタルの時代じゃないので現像しないと写真にはならない時代。)だからポラロイドは大人気で、黒山の人だかりになって、我も我もと集まって来た。
 
 
 
あれから何十年という月日がたち、私はもう器具を握ることも現場に立つこともなくなった。仕事だって、まだまだ現役でいられる年齢であるとは思ってるが、コロナ禍でいろいろあって結局退職したまま。復帰しようとも思っていない。
 
 
そして、
 
 
二十年後に、娘の一人が母の背中を追うことになった。
 
 
これは感慨深い以上の何ものでもない。
 
 
あの頃、いろいろな希望をもって生きていた。若かったしなんでも出来ると思い込んでいた。あの時二十年後に同じ場所で自分の背中を追うものがいると想像できていただろうか?写真を見ているといろんな思いがよみがえってくる。
 
 
彼女は今何を考えているのだろうか?私と同じようたくさんの希望を抱えているのだろうか?
 
 
25年経って、総じていい人生が送れている(現在進行形)と思っている。
これから二十年経ったときに、また今の私と同じ軌道を歩きたいと思う人間が出てくるかもしれない。
 
 
その時に振り返って今を恥じないよう生きていきたいと思う。
 
 
 
現場活動時代一番私を苦しめたのが偏食であることだった。私はビーガンだとか菜食だとかそういう嗜好(志向)はないのだが、究極に偏った好き嫌いがあった(今でも名残はある)ので、国によってはずいぶん苦しめられた。
 
 
そして、娘らはどちらもそのVeganなのだ。私よりも究極な食嗜好だ。乳製品代用のアーモンドミルクは常温で保存できるものがあるとはいえ、国々を回るのに重量フレンドリーであるとはいえない。
 
 
そこで見つけたもの。
 
 
ペースト状になっていて、水と混ぜればアーモンドミルクになるというもの。それこそ、キャンプ生活、ジャングル生活(笑)にはもってこいではないか。。。。
 
 
まだ味見していないので美味しいのかは分からないけれども。。。。
 
 
 
キャンプ生活で思い出したが、日曜の夜に電話をかけてきた娘の友人。面倒くさい、疲れてるから明日話す。と出ないでいたところ、
 
 
「今日何買ったと思う?」
 
と言う、
 
 
見て見て
 
 
構って構ってちゃん系の電話だったらしいが、次の日に画像が送られてきて、
 
 
私や夫に見せに来たその画像は、私ら夫婦がリタイヤ後に大陸横断をしようと思っているときに欲しいと思っていた型のRVだった。
 
 
ハタチそこそこで、そんなRVが買えることもすごいと思うけど、やはりコロナ禍で今RVは密かに需要が伸びている部門でもあるらしい。
 
 
 
もう一つ。
 
あんまり他人の言うことは信用しない自分が(特に美容系などのおすすめ)、唯一丸呑みできるほど信用するユーチューバーがいる。その人が、「日焼け止めは、外に出るときは絶対(どんな曇りの日でも)つけてくださいね。」というようなことを言っておられた。いろいろな理由を挙げておられたのだが、それがすごくしっくり来て、
 
 
海に行くとき(要するにサーフィン時)、
ランニングするとき、
 
 
くらいしか、まともに顔に日焼け止めなど塗ることなどなかったのだが、犬の散歩、食料品の調達など出かけることはあるので、朝起きたら日焼け止め入りのクリームを塗ろうと、購入してきた。
 
 
 
極端に基礎化粧品が少なく、肌荒れとかも特にしないので、今頭の先から足までで使っているのはこれだけ。そこに、とりあえず目についたものを(SPFが含有されていると言う謳い文句だけ)購入。
 
 
 
いつまでも若い肌でいられますように。(もうかなり遅いけど。。。。笑)
 
 
 
今日のスペイン語
Ola