昨日と今日、ナポロの練習を見てて思ったこと。

この二日間、いいところが全然なかった。

特に今日、ダメダメな日だった。

私は、車を運転しながら自分の疲労がたまってるのを感じでいたので、ラップやストレッチの間の最初の1時間は、どうせ外も寒いし車の中で少々仮眠をとることにした。

6時半に目覚ましをセット。

が、結局いろいろ雑音が気になってあまり眠れず、15分前にはプールに行った。
もう外は真っ暗で三日月が出ていた。

今日は振り替え練習なのでいつもの場所が使えないのか、レーンを使って練習をしていた。


コーチは講習会から帰ってきてからやたら、みんなのエッグピーターの改善を図っているようである。如何に股割りをした状態でぐるぐる出来るかがポイントなようで、それをしつこく何回も何回も言っていた。今週ずっとである。


が、私の尊敬するシンクロの強豪が集う西地方に住む、すごく成功しているシンクロの先輩親子がいるのだが、その方のアドバイスによると、小さなうちからエッグピーターばかりやってると、膝を壊しますよ。。。と注意されていた。小さい頃は肩がどっぷりつかっててもいいんです。と。

なので、、エッグピーターのよしあしはあまり気にしていない。姿勢が問題なのだ。顎の位置、目線がいつも注意されているのにナポロはどういうわけか直さない。

何度も言われているのにだ。

そした、その後にやったアームオーバーからのパイク姿勢の練習。これは、本当にしつこくコーチにいつもアームオーバーが下手だといわれている。今日も「あなたはその悪い癖を直さないとダメよ。」といわれていたし、アシスタントコーチにも、「小さいうちに直さないと、私くらいの年になったら直せないからね。。。」とも言われていた。

確かに。

私は少女時代、格闘技もやっていた。今となっては思い出せないが、確か変な癖があっていつも先生に怒られていた。癖ってなかなか治らないものなのだ。

問題はその後だ。

1人、風邪を引いてた子が居て、早めにプールから上げられた。その風引きちゃんのお母さんとコーチが話している間、練習をしていたのはロザリンだけであった。プライドが高いだけのことはある。ずっと、先週帰国してしまったK選手から習った彼女達のデュエットでのアームワークを練習していた。

彼女の動きはすごくシャープである。

ナポロに是非とも伝授して欲しいほどのシャープさである。


その頃のナポロといえば、、、、、

周りのその他大勢と一緒に、喋ってる者あり、潜ってる者あり、何もしてない者あり、のところに居た。


なんで、アームオーバーを注意されたばかりで、しかもパイクまでのカウントを外しているのに、そしてそれを分かってるのに練習しないのだろう。

1;アームオーバー~パイクの練習
2;ハイブリッド
3;ヘリコプターの練習
4;エッグビーターでの姿勢
5;カウントの再確認
6;パートナーとのシンクロしてるか練習
などいろいろ出来たはずだ。


非常に不満であった。


去年のシーズン、TEAM AMPHIBIANの練習で、ナポロは何度私に「アームオーバー!」と怒鳴られていたのだろう。とにかくすごい下手なのだ。さすがにパイクに入るときに一度顔を上げるような初心者みたいなことはやらないが、(これをやったら間違いなくAチームは外されるだろうけど。笑)とにかく、のろのろした動きで見ていて格好悪い。

いつも、カウントが変わった後は、覚えの悪いナポロのために、「3でアームオーバーになったの知ってるよね?」「新しい動きできるようになったの?」「ランドドリルやってるの??」とハッパをかけているのに、

「できるようになったよ。」

とのこと。

全然出来てない。以前のカウントの5でアームオーバーをしているではないか。。。怒


家でアームオーバーからパイクに入るところの練習を出来る方法を考えた。
オットマンの角を使うのである。明日試してみようと思う。


明日は、後輩の同僚がおばあちゃんの病気で里帰りする為、遅番に変わったのでナポロの練習が見れるかは分からない。


が、ナポロには、帰りの車の中であなたは一体何を目的としてこんな遠くまでシンクロに通ってるのか聞いた。


シンクロが世の中の役に立つとは思わないし、裁判官になりたいというナポロには全く持って必要のないことであろう。


しかしながら、目的を達成することの意義や出来ないことができるようになる喜び、そして、そこまでの苦労や努力と言うのは、生きていくうえでどこかで学ばなければならないのである。それをナポロはシンクロというスポーツの世界で学んでいるのだ。それに気づいてない時や、道が反れそうになったときには親が軌道修正してあげればと私は思っている。


私は、競泳をやってた頃、キックを不得意としていて、最初の30分くらいの練習である、50mダッシュx20本と言うのが死ぬほど嫌いであった。いつも、「今日は歯医者に行っていた。」と嘘をついて、そのダッシュが終わった頃を見計らって練習に行っていた。たぶんコーチは知っていただろう。そんなに毎日歯医者の予約があるわけではない。狡賢かった私は、内科・外科系の医者通いと違って歯医者と言うのは外見では風邪引いてるとか具合が悪そうとか怪我してそうとか分からない。何かにつけては歯医者通いをずる休みの理由にしていた。私は歯は悪くない。


そうやって、親が一生懸命働いて習い事をさせてくれている思いを全く考えもせず、ただ自分の都合だけで生きてきたので、親になった今、子供がサボったりやる気がなさそうにしているのも親の責任も少しはあると思っているのだ。親がたまに、ちょんと肩をつついて軌道を修正したりガイドしてあげることも必要なのだ。


私の親は、一度も大会など見にきてくれたことはなかった。練習もだ。親睦会とかそういうのもいつも不参加であった。いつも自分で行って、大会もコーチや先生と一緒に行った。きっと、私のような考えの親が一緒だったら、私のスポーツにおける成功度も変わっていたのではないかと思う。

いつもその話をナポロにしている。夫もこの意見には賛成だ。


だから、私はナポロの練習はいつも見ている。ナポロの希望でもあるが私の希望でもあるのだ。


この前の冬のオリンピックで娘の出番の数日前に心臓発作で亡くなられたお母さんがいた。確か銅メダルを取ったと思うのだが、その選手がお母さんの思い出を話していた。「とても厳しい親だった。小さい頃、周りの子達はお母さんがドロップオフしてくれたりしていたのにもかかわらず、うちのお母さんはいつも練習を見ていた。成績もBでは絶対に満足できないお母さんだった」と。


帰りの車の中でナポロは泣いていた。


私の言わんとすることが分かって泣いていたのか真意は分からない。


が、何の為にこんな苦しい競技をやってるのかよく考えれば、練習中に出来ないことがあるにもかかわらず、それを置き去りにして人と話したりふざけている時間はないはずだ。ナポロばかりではない。ロザリン以外の全ての選手がそれについて考えるべきなのである。

そういう考えの親を持っているかどうかは別として。