そう、それは私が幼いとき…

私が幼いときに教えられたのは、当たり前のことだった。

普通に生きる事が一番であり、みんなと一緒が一番であること。

それが当たり前であるということ。

みんな普通が当たり前。
-新しい刺激が必要だ-

三晩明けただろうか、私は£1500という大金を手にした。そして私の心持ちは少し変わっていた。

£1500という大金を手にした、Xは思い描いていたニューヨークからパリへと進路を変更することを考えていた。


パリに行くのは初めてではない、二度目のパリ、そもそもロンドンに来るのも三度目だ。

アメリカには10年以上前に行ったことがある。

しかし、新しいアメリカをXは知らない。ロサンゼルスとシアトル、いわゆる西海岸には行ったが、東海岸には行ったことがない。

パリではかつて三晩で2500€を手にした。

はぁ…自由に生きたい。
さて、自由とは何かを考えると、私はお金にたどり着いてしまう。お金に縛られない生活をしたい。
好きな事をやってくらしたい。

こう思う人は数知れず居るだろう。
しかしそれを実現させる人は稀だ。

何かを思い描いても、無理だと言う声に押され、自分自身を封じてしまう。

何故だ。
人は心の自由をいつ奪われてしまったのだろう。

考えてみればそうだ。
子供の時から、あれも駄目、これも駄目と、してはいけない事ばかり教えられてきた。

そう、それは私が幼いとき…

はぁ…疲れた。

同じ事の繰り返しに。

 

空に浮かんで根のない葉になりたい。

 

人生は退屈だ。毎日同じ事の繰り返し、求めているものはいつ手に入るのかわからない。

むしろ手に入らないのではないか、それにもし本当に望むものを手に入れたとしても、それは真に求めているものなのだろうか。

 

答えを探して今日も夜が更ける。

 

ここはベースメント、地下だ。私はいまロンドンの少し中心から外れたところにいる。

少し古い音楽を聴いている。私が生まれるより古い詩だ。

 

音楽というのは時に姿形を変える。その人によって、その場所によって、心に響く詩は全く異なる。

 

私はいま新しい詩を聴いている。決して、最新のヒットチャートではない。だが、心にとてもしみる。詩が姿形を変える。いや、詩そのものは変わらない。しかし、心に聴こえてくるものが違うのだ。

 

私はいまひっそりとニューヨークに行く事を決意している。

 

きっとそこは私の終着駅となるだろう。人生の終着点というと少し異なるが、何かが待っている事は確かなのだ。

私の探してるもの、それは何かわからない。しかし、

 

----新しい刺激が必要だ----

 

三晩明けただろうか、私は£1500という大金を手にした。そして私の心持ちは少し変わっていた。