Twitterを眺めていたら

こんなツイートが流れてきました。



LGBTsの差別する人と話していて、途中で気づいた。セイテキシコウの誤解、勘違い。「性的指向」と「性的嗜好」は全く違います。ごっちゃにしないで。


性的嗜好

何に対して性的に興奮するか。フェチも。


性的指向

どの性別の人間を恋愛や性愛の対象とするか。恋愛・性愛の対象が無い場合も含む。







これを読んでどう思いますか?


普通のことって思うかしら。




わたしは、そうは思えなかった。



これを読むと

LGBTsを差別する人は、LGBTsを“ 性的嗜好 ”だと思っているから差別するんだ。でも、本当は違うんだ。“ 性的嗜好 ”なんかと一緒にしないで

ってわたしには読めます。



でも、

それを当然じゃんって思った人には

一度立ち止まって考えてほしいことがあります。



“ 性的嗜好 ”は差別されていいんでしょうか?



たとえば

二次元が好きとか

BLや百合が好きとか

さまざまなフェチ

サディストやマゾヒスト、、



それらは

気持ちが悪いこと、であったり

差別されていいこと、なのでしょうか?



わたしは、

それは違うと思います。

もちろん

縛るのが興奮するからといって、同意なく相手を縛ったり、、

同意のない人を巻き込んだら

それは犯罪で、絶対にダメだけれど、


その人が個人として楽しんだりすることが

なぜ

差別されなければならないんだろう。



わたしがとても尊敬する文筆家の牧村朝子さんは

2014年、cakesの連載に

そしてそれを書籍化した「 ハッピーエンドに殺されない 」の中で


【 「 性的嗜好 」と「 性的指向 」の違い、知ってますか? 」 】

というタイトルで、こう書いています。



これって、差別をなくすための言説がかえって差別を生んでいる皮肉な状況なのよ。


って。



そして


「 性的嗜好 」を見下すことでしか「 性的指向 」の地位が向上しないならば、私はそんな言葉に乗りたくない。そんなことするくらいなら、私の同性愛も性的嗜好で結構です。


とも書いています。



LGBT当事者が

長い歴史の中で受けてきた差別や偏見

それはある程度知っているつもりです。

いまでも

同性愛は趣味、と平然という議員もいます。


だから

趣味じゃないんだ!と言いたい気持ちも

分かるつもりです。



だけど、差別されてきた側にいるからこそ

差別する側に立ってはいけないと思うのです。

誰かを踏みつけて獲得するような権利であってはならないと思うのです。



「 気持ち悪い 」と、言われることの苦しさがわかるわたしは、

そういうことを言わない人で在りたいと思います。

そして、

性的指向と性的嗜好は違う、なんてわざわざ言わなくてもいい、LGBTって言葉も要らないような社会をつくりたいと、改めて強く思います。