おなじことくり返してばかりで
そのたび後悔して
自分が嫌いになって

進むべき道も
選ぶべきものも
わかっているのに
間違った道を選んでしまう。



たったひとこと
“ NO ”と言えばいいだけなのに
そのひとことが言えない。



じぶんが選んだものの先に何があるかも
それが
どれだけ嫌なものかも
わかってる。


なのに、、
おなじことは二度とくり返さないと
決めたはずなのに
気づけばわたしは
じぶんの意思で
おなじことをくり返そうとしている。


いや、もうすでに
くり返しているのだ。





逃げたかった。

忌まわしい過去からも
わたしをがんじがらめにして身動きもとれなくする、あのひとからも。


わたしはふだん
たくさんのことにNOと言う。

政治に対しても
日常のなかで、両親や友人に対しても。

それは
さほど難しいことではなく
もちろんひとによっては気を遣ったりもするけれど
どうしても譲れないことをNOと言うのは、難しいとおもったことはあまりない。



でも、わたしは
そのひと相手だとNOと言えない。
言わないのか言えないのかも
よくわからなくなってきたけれど
じぶんの中からNOと言う選択肢がなくなる。



だから
逃げることなんて、できなかった。



あのひとはきっと
一生わたしの前にあらわれて
わたしがまっすぐ前を向いて歩こうとする
邪魔をするんだ。



わたしの人生は
もうおしまいだとおもった。



わたしの中の
見ないフリ、傷つかないフリをするためのココロのスペースは
とっくにキャパオーバーで
そのことすら見ないフリしてぎゅうぎゅうとつめこんできたものだから
もう、傷つかないフリなんてできなくなっていて
ほんの些細なことにも傷ついて
そのたびしにたくなっていた。




見ないフリとか傷つかないフリをしないで
真正面から向き合えるほど
わたしのココロはタフじゃないから
あの忌まわしい過去が
もしもう一度くり返されたら
きっとココロは悲鳴をあげて、壊れてしまうだろう。
でも、それはもう目の前まできてるかもしれない。いや、もう一歩その中に踏み込んでしまったかもしれない。



だから
わたしの人生は
もうダメだ。とおもう。



でも
どれだけ人生がダメでも、おしまいだとおもっても
わたしはじぶんでじぶんの人生おしまいにできるほどの勇気も気力も持ち合わせてなくて

じぶん自身に絶望しながらも
生きていかなきゃいけないんだ。


過去がくり返されても
生きていなければならないんだ。




ねえ、誰か
こんなわたしに生まれてきた意味なんて
あるのかな。
教えて。