あさ起きたら
とてもとてもかなしいことが
おきていました。


Twitterのタイムラインをうめる
テロと死者という文字。



そして
パリという文字。
一瞬あたまがまっしろになった。
パリには(正確にはパリのちかくだけど)
とても大切でとても尊敬するひとが
住んでいる。
彼は大丈夫だろうか、、不安になった。



その、尊敬するひとは
あとで無事を確認できた。

それは安心したけれど




時間がたつにつれ
死者の数はどんどんふえる。
何が起きたのか、起きているのか
理解するのに時間がかかる。



フリーズしそうになる思考を
必死でつなぎとめて
情報を集めた。



ひとが死ぬこと。
知ってるひとでも知らないひとでも
誰かが死ぬということは
わたしにとって
とても苦手で耐えがたいことだ。


もちろんひとはいずれ死ぬし
世界のどこかでいつも誰かが死んでるし

でもやっぱり
死ぬのは悲しいことだ。
わたしはそうおもう。


だから
テロの犠牲になったなんて聞けば
わたしは
涙が溢れそうになるのを
こらえながら
ひたすらニュースを眺めてる。
泣くことだけはしたくないから。



ひとがひとを殺すこと
それほど
愚かなことはないとおもう。


わたしたちは
お互い殺しあうために
生まれてきたのではないのだから。




最後にひとつ、書きたい。



テロがどこかの国で起きたとき
空爆しようとか
武力で対抗しようとする人がいる。

でもわたしは言いたい。

暴力に暴力では
なにも解決しないと。
それどころか
返ってくるのはさらに大きな暴力だと。



これ以上テロが起きませんように。
大切な命が、これ以上奪われることがないように。


そして
今回のテロで亡くなられたすべての方のご冥福をお祈りいたします。





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